3.11の声

同朋新聞

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こちらは同朋新聞の記事です。

本山の許可を得て掲載しております。
詳しくは真宗大谷派のお寺においてありますので、お問い合わせてください。

転載厳禁


BOP活動を通して被災地で共に生きる人々に出会う

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3月11日、東北地方太平洋沖地震による甚大な災害に見舞われた。甚大な災害に見舞われた仙台教区では様々な支援活動の動きがある。その一つが仏教青年会による「仏青お風呂プロジェクト」、通称BOPだ。そのBOPが3月30日に開催された。今回訪ねた場所は石巻市にある避難所の住吉小学校である。今でも150人程の避難者がいる。ここも津波の被害に遭い、一階は浸水しており主に二階以上で避難生活をしていた。校庭は一面ヘドロで覆われており、校内のプールには乗用車が沈んでいるなど津波による被害は甚大だ。
 今回のBOPでは、家庭用の浴槽と焼却を兼ねたかまどを改造して作っている。薪をかまどで燃やしてお風呂の水を沸かした。また脱衣や洗髪、洗体の場所も作った。周囲からの目隠し用に浴槽の四隅にポールを立て、それにブルーシートを取り付ける形で設置し、タオルや石鹸なども用意した。他の避難所にはドラム缶を用いて入浴をしたりもした。
 最終的に10名を超える人たちにお風呂を提供することができた。お風呂ではしゃぐ子どもたちの声が聞こえた時、自然と笑みもこぼれた。
 ある年配の女性と話をする機会があった。その方は震災の時に住み込みで仕事をしていたそうだ。その後も実家には帰らずにここに留まり、地域の人に呼び掛けてお米や野菜などを少しずつ持ち寄り、炊き出しをしている。「実家には帰らないのですか」との問いかけに「日頃お世話になっているし、この地域の人に恩返しをしたいんだ」と力強く答えてくれた。あえて婦人会等には属さずに炊き出しをすることにより、地域の枠にとらわれず誰にでも配給することができるという。「目の前にお腹を空かせた人が通ったらおにぎりを3個くれてやるんだ」と方言まじりで笑って話してくれた。地域とか知り合いとかに拘らないその姿に「共に生きる」という言葉が重なった。
 被災者にお風呂に入ってもらいたいという想いからBOPを発足させた。そして活動を通して共に生きる人々に出会う事ができた。それは地域のつながり、人とのつながりの中で共に支えあい生きる姿だった。支援しようとしていた私がその様な人々に出会ったことによって逆に支えあう大切さを教えてもらった気がする。
 夕刻になり小学校を後にする際に教頭先生にお礼を言いにいった。「始業式は4月21日からだが、課題は山積しています」の言葉に復興までの道のりの険しさを感じた。一日でも早く校庭で子どもたちが元気に遊んでいる姿を見てみたい。それが復興への原動力になると信じているから。



DSCN1167 のコピー.JPG3月11日次男坊の誕生日。
午前中に奥さんは誕生日を祝うためケーキを買いに行っていた。
私は研修会からお昼頃帰宅、前日は夜遅くまで起きていたため家に着いたら寝ようと思っていた。
普通に日常が進んでいた。
2時45分、地震・・。揺れる揺れる止まりそうにない揺れ。必死に立ちながら「大丈夫・大丈夫」連呼。
偶然、家族全員1階に集まっていた。外を見てみると屋根が落ちていく「まさか」まだ揺れは終わらない。
後に5分位の揺れが続いたと聞いた。

ラジオをつける。「津波の高さが10メートル、高台に避難して下さい」想像がつかない、聞いたことのない数字、津波被害があんなに酷いとは、この時点では想像もしていなかった。

震災から、2週間たつが部分的にしか覚えていない。

震災当日の夜、余震の続く中、誕生日ケーキに灯をつけ「みんなでハッピーバスディー」を歌った。写真を撮る余裕がなかった。今年で六歳、毎年写真を撮ってきたが、今年は一枚も残せなかった。

外は電気が通電していないため、本当に真っ暗。
痛烈に覚えてる奥さんの言葉、
「パパ仙台に来て初めて、こんな綺麗な空、星がたくさん見える」

当日の夜、寝ていたのか起きていたのか記憶にない。

日付だけは「日常」に3月12日を迎えた。