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東北子どもの集い

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仙台教区 東日本大震災追弔会の報告

 去る3月4日。東北別院に於いて「真宗大谷派 仙台教区 東日本大震災追弔会」が厳修された。13時からの開式前には、寒空の中多くの方が東北別院に参集された。

 開会宣言後、参務による焼香の後に挨拶があった。続いて粛々とした中、阿弥陀経、正信偈によるお勤めが行われた。

 その後に仙台組海楽寺門徒である大友一雄師による感話があった。海楽寺、また御門徒のほとんどが被災され不自由な生活を余儀なくされている中、それでも「我宗派の一番大切な仏事、報恩講を被災しているからこそ行うことが大切だ」と話された。そして海楽寺の報恩講は津波の被害にあった庫裡で行うことを決めた。津波により柱が折れたり、壁が無くなってしまったりと被害はとても大きかった。床にはブルーシートを敷き、仏具は仙台教務所から借りて荘厳した。「大変うれしく思いました」と海楽寺の報恩講への思いを語っておられた。津波の被害を受け、生活すら間々ならない中での報恩講の厳修。例年通りの場所では無かったが報恩講という場をひらけたということに深い意味があったのではないだろうかということを感じた。

 続いて浜組明賢寺住職藤内和光師による法話があった。災害で大切な人を失い、生き残った人に残るのは悔いである。しかし、その悔いからは立ち上がる力は生まれない。亡くなっていった人たちの本当の願いは、残された者が生き生きと生きることではなかろうかといった内容を話された。

 その後、仙台教区教区会議長並びに、仙台教務所長の挨拶があり東日本大震災追弔会は閉会した。

 震災から一年。改めて東日本大震災から問われていることに真摯に耳を傾ける事が必要ではないだろうか、ということを感じた取材だった。











であった言葉たち(S.S)

「見てないから 住んでないから」

 震災瓦礫処理に関して仲間と意見が分かれ「外の人にはわからない」「外のつもりはない」という後での言葉。たしかに私は毎日の生活の中で積み上げられた瓦礫を見ていないし、同じ地域に住んでいるつもりでも状況は各々明らかに違う。違うから何もできないのではなくて、状況が同じじゃないからできることがあるし、別の視点が必要なこともあるはずだ。だけどこの時、明確な立場の違いを突きつけられて「自分は誰なのか」「どこに立っているのか」を強く問われたように感じた。

 二〇一一年三月一一日の東日本大震災の時、水道、ガス、電気などのライフラインや飛行機、電車、高速道路などの交通が止まり、町からは物が消えた。本堂は避難所になり、少ないガソリンで火葬場につめて亡くなった方のおとむらいを勤めた。土葬にするための仮埋葬場でおまいりしていた仲間もいる。
 三月末に高速道路の一部開通とガソリンの供給が始まり、仙台仏青の仲間たちとBOP(仏青 お風呂プロジェクト)を立ち上げて仮設お風呂を持って避難所をまわった。

「ぼくんちなくなっちゃった」 
「一緒に走ってたのに はぐれてしまった」
「どうすればいいか わからない」
「この子の両親はもういねぇんだ」
「地元を見たくない」
「なんで・・・」

 怒ったように語る人、呆然としたつぶやき、ぽつんとおとした言葉。どれに対しても私は頷くだけで何もできない。なんにもできなさすぎて泣けてくる。
そもそもBOPは私にとって町内の延長だった。水が出ている人は水を提供し、風呂が使える人は知人に貸し、やっている店を見つけたら皆に教えていた。私の町で大変なことが起きて、足りないものをお互い補い合っている。ガソリンが手に入ったのでその延長で距離を伸ばした。・・・はずだったが、出あったことの重さと悲しみの深さに愕然とした。
 何かできないだろうか、何かしなくちゃいけないという焦りのようなものが自分の中に生まれたが、この時はかなりきつかった。私のできることはほんとに限られているし、「しなくちゃ」と思っていると「しない自分」「できない自分」がつらくなっていく。そして自分だけにとどまらず、周りの人にも同じ目を向けてしまう。

「帰っちゃうの?」
「また来るよね」
「実家だと思ってね。おかえり」
「はやく切り上げて飲むべ」

 私にとって救いになったのは避難している人たちの言葉。ただ来てほしいとせがむ子どもたち。おかえりと言ってくれるお母さんたち。飲むべぇと迎えてくれるお父さんたち。「しなくちゃ」から「会いたい」に変わった時、なんだかわからないしんどさが肩からおりた。
 別に何もしなくても構わない。だけどまた会いたい。

「できないことを責められる役場職員の気持ちが痛いほどわかる」


 この言葉に驚いた。
 なんでそんなに杓子定規なのか。いのちを最優先にできないのか。話を聞くことぐらいできるんじゃないか。そう思っている心に棘が刺さった。立場の中で動くしかない人がいて、職務や縛りの中で苦しんでいる。そのことを見落とさないでほしい。悲しみを忘れないでほしい、と。

 震災後、あちこちで立場や状況の違いから衝突し、対立していく場面に出あってきた。その度に『阿弥陀経』に出てくる一つの体に二つの頭を持つ共命鳥(ぐみょうちょう)のことが浮かぶ。頭が二つある共命鳥の様に私たちは常に状況や立場で分かれてしまうけれど、実は身体は一つの同じ命、同じ願いを生きている。どれほど思いを寄せても私の立つ場所は家庭であるし、自分の関わる寺だ。私の家族、私の町、私の知人。自分との距離でしか関心や問題意識を持つことはできないし、立場の違いはなくならないのかもしれない。だけど、だからといって諦めたくはない。ともに精一杯生きていきたいと、いのちがいきいきと生きられることを願う時、おなじ願いの大地にたってその壁を越えていきたいと今、感じている。どんなにぶつかっても、道を違えても、願い、願われていることに違いはないはずである。











家族に支えられて(K.S)

 東日本大震災から一年。走りっぱなしであっという間の一年だった。仙台教区仏教青年会では、昨年の三月下旬から被災地に入り活動を続けてきた。その中で様々な人との出会いがあった。時には笑い、時には泣き、辛い思いもしたけれどその人たちとの出会いが自分自身の原動力でもあった。

 昨年の九月十一日だったと思う。妻と二人で被災地にお話を伺いに行ったことがある。その帰りの車中での会話であった。「どうしてボランティアに行っているの」唐突に質問された。咄嗟に「被災地で待っている人がいるからかな」と答えた。半分ホントで半分ウソの様な答えをしてしまった。動機はそれだけではなかったが、その時はその言葉が思わず出てきた。さらに妻に「家では○○(息子の名前)が待っているよ」と言われた。ぐうの音も出なかった。

 震災以降、その惨状を見て「自分にも何かできないか」そういう思いだけで行動してきた。何が正しくて何が間違いなのかは分からないけど何かせずにはいられなかった。そんな中、自分が家を空けることが多くなったがその穴は家族が支えてくれた。法務のことだったり、家事や育児のことだったり本来自分がするべきことも代わりに行ってくれた。その様な支えがあるおかげで今まで活動できてきた。

 被災地で自分を待ってくれている人たちと家で待ってくれている家族。そういう狭間で様々な葛藤や矛盾を抱えたまま動いてきた。偶に「ボランティアがんばっているね」とか「偉いね」何て言われるけど、寧ろ家族の方が自分より遥かにがんばっている。申し訳ない気持ちで一杯だ。

 仏青仲間に「二歳児の息子に十年後震災の事を話すならば何を話したい」という質問をされたことがある。「あの時は寂しい思いをさせてごめんね」と謝ろうと思っている。いつも家を出る時、泣きながら息子が見送ってくれる。まだ言葉はしゃべれないから涙で寂しさを表現してくれているのだろう。自分がしていることが正しいのかは分からない。だけど家族が応援してくれている限り続けていけたらと思っている。次もまた、葛藤と矛盾を抱えながら被災地に赴くことになるのだろう。
















活動費カンパのお知らせ

カンパ総額 1745万2574円
支出金   およそ 1200万円

 全国の皆さんから寄せられた活動費カンパ額をお知らせいたします。

 2月3日の時点で1745万2574円。まだ支出の部分で打ち込んでないところが残っていますが、約11ヵ月、およそ90回のBOPとその他40回くらいの支援品お届けなどで約12,000,000円を使わせていただきました。

 まだ打ち込み途中なのでおおよそですが(支出合計金額もまだあってないです)、長期休暇の保養など放射能から子どもたちを守る活動へ約260万円、炊き出しに約100万円、念珠なども含め支援品購入が約550万円、交通・ガソリン・車両費(現在3台の車をいただいて、1台長期でお借りしています)などが約250万円です。

 お礼、ご報告が遅くなり申し訳ありません。今後も岩手、宮城、福島を中心に活動を続けていきたいと思います。

2月3日現在のお知らせです。近日中にはっきりした会計報告をいたします。




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3.11 勿忘の鐘(わすれなのかね)

あの日のこと そして、あの日からのこと
わすれない わすれたくない それが一番の願いです
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会長より年頭挨拶

11月29日「福島を生きる」にて大谷大学学生ボランティアのみなさんより・・・

━━━11月29日に東本願寺(真宗本廟視聴覚ホール)で行った仙台教区の日「福島を生きる ―いま そして これから―」の時に、駆けつけてくれた大谷大学学生ボランティア有志代表の方から支援金とメッセージをいただきました。

大学の学園祭で写真展示や募金、訪れた人にメッセージを書いてもらうなどしてくれた模様。「福島を生きる」のチラシも配って下さいました。
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━━━11月29日、受付に置いたカンパBOXは71,098円でした。
さらに仏青ポストカード80枚、缶バッチ176個を販売し95,800円。
計166,898円を放射能で苦しんでいる人たちへの支援金とさせていただきます。
有り難うございました。




こちらをクリックでメッセージをダウンロードできます(PDFファイル)

飛び越えたい(S.S)

 「自分の気ままで仮設に入らなかったから・・・」と申し訳なさそうに電話がかかってきた。小学校の体育館が避難所だった時に知り合った人で、市街地に近い場所に家を借りているとのこと。「仮設には支援が来てるけど、遠慮があって」。初めは冬を前にした毛布の依頼で、今は月に何回かお邪魔している。同じ仮設同士でも町寄りの仮設に分かれた人は「便利な方に来たし、地元の人たちとギクシャクしてる」という。実際は車がないとどこへも行けないような場所なのに。一緒の場所でも補償がおりる人、おりない人で分かれてしまった。峠の途中の小さな誰も来ない避難所で本当に家族のように話したり笑ったりしていたのに、今では顔を合わせようとしない。起こったことは同じ地震でも、きっと無数の状況や立場が生まれている。


 地震と津波。自宅と仮設。沿岸部と内陸。生産者と消費者。30km圏内と圏外。福島とそれ以外。行く人と行かない人。声をあげる人と我慢する人。動く人と動けない人。垣根を越えたいという思いは、仙台仏青をたちあげた時にみんなからもらってそのまま私のテーマになった。状況による温度差や危機感の違いもある中で、それらを飛び越えて全国から集まってくれる人たちがいる。様々な形で気にかけてくれる人がいる。何ができるかわからないと悩みながらも関わりを持ってくれるおかげで、私たちは被災した地域で活動を続けられている。でもやっぱり動けない場合もあるし、行きたくないという声だって当然ある。関心を持つような縁がなければ殆ど知らない人もいるだろう。一つの震災が起きたことで分断されて、たくさんの立場や状況が生まれ、対立さえしているように感じる。だけど本当はぶつかりたくない。ぶつかることが苦しい。分けられたくなんかない。いま、この時、立場を越えて出あっていけないだろうか。



「最近どうよ?」「たちあがれ自分」(2011年11月の報告)

震災から八ヶ月たちました。

崩れた塀も、建物の倒壊危険を知らせる赤い貼紙も、道路にできたひび割れも、とびだしたマンホールも、目に見える震災の爪痕はどんどんなおっていっています。

仙台仏青のボランティア活動も、震災当初の、お風呂に入れていない避難所に、仮設のお風呂を運び入浴をしていただく、そういう形から変わってきています。

全国からの様々な支援物資を、仮設住宅に運んでバザーという形で現地にお届けする。

焼き鳥や焼肉などの食事の炊き出し、あるいは夏はかき氷を提供したり、喫茶的な場所を提供することもあります。

念珠づくりもしています。様々な柄の珠を選んで、自分のオリジナルの念珠を創る、これがかなりの人気です。はじまれば大人も子供も本気です。

そんな時に被災者の方と、お話をすることがあります。復興に前向きな方、現状に戸惑う方。元気な方、悩みを口にされる方。様々です。

被災地の現状、と一言に言葉にはなってしまいますが、被災地の課題は場所ごとでも違うし、同じ場所にいても各々抱えておられる問題は違うと感じます。震災から八ヶ月という言葉は同じでも、皆同じ立ち上がり方、向き合い方ができているはずはないと感じます。

どこまで活動すれば、震災から立ち上がったと言えるのかはわかりません。
福島原発の問題も、先は見えていません。

今の場所から、自分達にできることから。自分達だけでは到底できないことも、全国から心にかけ、あるいはわざわざ足を運んで来てくれる仲間たちと。「最近どうよ?」「たちあがれ自分」というテーマのもと、まだまだ活動を続けていきたいと思います。

最後ではありますが、これまでも多大な御支援をいただいております全国の皆様に、深く御礼申し上げます。









ついにBOP君Tシャツのネット販売解禁

多方面の人から欲しいという声を聞きつつも中々届けることができなかったBOP君Tシャツ。従来は仙台仏青と共に活動して頂いた方にお渡ししていました。地元に帰ってもこのBOP君Tシャツを見て被災地を思い出してくれたらという願いがあります。しかし中々現地に来て共に活動できない方には今までお渡しする機会がありませんでした。そういうこともあり、ついにネット販売に踏み切ることになりました。ちなみにこのTシャツの売上金は全額『福島の子どもたちを放射能から守ろうプロジェクト』に使わせて頂きます。

喉から手が出るほど欲しいと思っていたあなた。義援金を送りたいけどどこに送ればいいか迷っているというあなた。放射能から福島の子どもたちを守って欲しいと思っていたあなた。お金は腐るほど持っているというあなた。この機会に是非一枚如何でしょうか?
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皆さん既にご存知かとは思いますが「BOPって何それ?」「BOP君の顔は何?」って方もひょっとしたらいるかもしれませんので改めてご説明させて頂きます。

BOP君マークは仙台仏青のマスコットキャラ的な存在です。○コちゃんマーク似の輪郭。目はドライヤー。頭の上にはシャンプー、リンスのケースが乗っております。そう、これはお風呂に関連したキャラなのです。

BOPとは「B(仏青)O(お風呂)P(プロジェクト)」の略称になります。今でこそ仏青の活動というと、炊き出しやバザーや念珠作りがほとんどでしたが元々は被災地の方々にお風呂に入ってもらう活動を中心にしていました。活動の内容については省きますが仏青お風呂プロジェクトから生まれたキャラがBOP君です。

BOPには「B(仏青)O(お念珠)P(プロジェクト)」や「B(仏青)O(Open Mind)P(プロジェクト)」という意味合いもあります。これからも末永く活動はさせて頂きますので皆さんのご支援ご協力のほどよろしくお願いします。

以上、宣伝をさせていただきました。

LinkIconTシャツ販売サイトはこちらから



















BOPの活動費について(2011年7月5日現在の報告)

BOPの活動費は主に皆様から頂いた活動資金を元に成り立っています。
元々、仙台仏青は有志団体で震災以前は個人でお金を捻出して研修などの費用に充てて活動をしていました。
しかし、震災後BOPを発足する上で経済面での個人負担が不安になってきたため、カンパという形での活動資金集めをしてきました。
このブログを通してや他教区でのお話、知人友人など活動に賛同して頂いた人たちのおかげでこの様な活動をさせて頂いております。
その活動費がどの様に使われているかについて簡単にご説明します。

●お風呂について
浴槽とボイラーで定価だと大体10万円強します。
他にも浴槽の蓋、桶、座椅子、簀の子、シャンプー、リンスなど家庭一般にある入浴セットを揃えてあります。
燃料の薪はチーム二本松の人たちに寺の木を切り、割ってもらっています。
仮設のお風呂でしたら使い回しが利きますのでいいのですが、常設のお風呂をプレゼントする場合にはこれら一式を揃えます。
おそらく15万円前後くらいはかかりますが、知り合いの設備屋さん、お風呂屋さん、大工さんに協力してもらっているおかげで経費はおさえられています。
今のところ常設のお風呂4機をプレゼントしました。

●炊き出しについて
炊き出しは焼き肉や焼き鳥などを提供することが多くなってきました。
炊き出しの人数にもよりますが毎回1万~3万円くらいでしょうか。最近では居酒屋風に夜の炊き出しも行うため、若干?酒代も含まれます。

コンロなどの調理器具、クーラーボックスなどについては購入していますが、大鍋や寸胴鍋など各地からの貸し出しやご提供いただいたものを使用しています。

またガスコンロなどもお借りしています。
食材などは主に仙台市内にある業者向けの量販店で購入しています。

●物資について
活動費の中でも特に大きな割合をしめるのが支援物資の費用です。

現在はおもに無料バザーとしてお届けしています。

衣類に関しては、支援物資として届くものと、サイズや種類の足りない分を自分たちで購入したもので揃えています。
しまむらやイオン、青山などの値段の比較的安いところ、復興支援コーナーなどで購入。多いときには100点以上になることもあります。
他にも生活用品としてシャンプー、リンス、洗剤、鏡、クシなど日常生活で使うものなども。
最近ですとこれから夏ということで制汗スプレーや日焼け止めクリームが人気です。

バザー以外に個別に要望のあった品として冷蔵庫、洗濯機、レンジ、コンパネ、チェーンソー、食器、調理器具、ストーブなどを持って行ったりもしています。

●腕輪念珠について
ビーズは百円均一のお店で、親玉とぼさは念珠屋さんから取り寄せています。
一つ作ると100円から300円くらいでしょうか。毎回かなりの数が出るため、念珠費用も結構かかります。

念珠の珠募集に応えてくださった皆さんから多数お寄せいただきました。有難うございます。
作り始めると意外とはまる腕輪念珠つくり、両腕いっぱいに作る子や、お参り用にと黒い念珠を作るご婦人も。

●交通費・車両費等について
東北地方は広域のため、時には片道100キロ以上ある被災地に行くこともあります。
また当日だけではなく、事前に現地での聞き取りや物資運搬などもしたりします。
それらのガソリン代や高速料金、パンクなどの修理(震災による悪路のため)費用も活動費内の大きな部分となります。

おかげさまで現在はお借りしている車も含めて仙台仏青として4台を使わせていただいています。

ハイエース、ステップワゴンなどに乗り合わせるため出動の台数が少なくすむようになりました。

また、被災証明による高速道路無料も利用していきたいと思います。高速出口が非常に混雑していますが。

主にこれらの費用として活動資金を使わせてもらってます。

様々な面から私たちを支えていてくれる方たちのおかげでこの様な活動ができております。
今後もこのブログを通して私たちの活動を発信していきますので、引き続き御支援の方をよろしくお願いいたします。








東北三県について情報交換 (2011年3月29日現在の報告)

岩手県
津波の被害が大きい地域は大槌町
物資の面ではだいぶ支援されており飽和状態のところもある、特に食べ物類
しかし小規模の避難所や自宅生活の人たちには物資支援が届いてない可能性も高いが中々支援しにくいのが現状
食べ物はあるがシャンプーやリンスやボディソープや歯ブラシなど生活用品が不足しているところもある
海岸線の地域は暖をとれる場所の改善。プライバシー問題など問題山積。

宮城県
東松島はボランティア登録なしで活動可能
松島町は家屋の水に浸かる被害はあり、後片付け難航
若林区から亘理町にかけての海岸沿いの情報が手薄。同じく家屋の後片付け難航
被災者はボランティアの存在も把握出来ない。情報を得る手段が全て流されてない。
避難所は今も需要と供給のバランスがとれない
コンビニ市内2時間限定開店。スーパーは会社によって通常営業開始
牛乳・食パンを手に入れるのは奇跡。

福島県
南相馬市から相馬市の避難者が多い
相馬市から宮城県内に避難が難しいので山形や新潟への避難者が増えている
すでに新潟へは一万にほどの避難者がいるとのこと
避難所での差別も少し出始めてるとのこと
福島県民が他県へ避難した際に被爆の風評被害で受け入れを断られたりする
また他には南相馬市の人が相馬市に避難した際にその避難所で物資が配られる時に地元の相馬市の人が優先され余所から来た避難者に物資が回りづらくなってるとの報告あり
お金を所持しているか、所持してないかいかでは大きな違いがある。これは重要で早急の対策望む。

他教区との連携について
仙台教区が活動発信、他教区の有志が後方支援をする。
真宗大谷派災害V活動のブログにも情報を発信して貰う。

ボランティア活動の問題点
物資を運ぶ際に乗用車では限界があるので大きめのトラックがあればもっと効率よく運送できる(トラックの準備だけど宮城県内のレンタルは需要が高く不可とのこと)
教務所に届いてる物資に何があるか教区で共有すると物資を運んだり購入する際に効率がいいのではないか。出入りが激しいので詳細の個数は難しいかもしれないが種類や大雑把
物資を仙台教区に輸送する場合にリレー方式にしてはどうか。遠方からの輸送になるとその教区に負担をかけるので分担して運んではどうか。その際の中継地点は三条教区や東京教区など、場合により山形教区にお願いしてはどうか
お金の出し入れは各自の財布から出して後から精算。現状まとまったお金がない早急の対策望む


所感。
刻一刻と状況変化。各自、臨機応変に対処していかなくてはいけない。
なにが正しくて、なにが悪いのか、わからない状況。
恐れずただ進むべし。