3/13(水)3.11東日本大震災・心に刻む集い 明日に向かって輝く響き
3.13朝、石巻市雄勝。沿岸部からバスを出すので添乗するために向かいます。
お迎えです。雄勝方面のバス、もう着いてました。浜の皆さんと挨拶して、僕が担当の牡鹿半島へ移動です。
いやー焦りました。
添乗するはずだったバス、出発しちゃって んの。
出発予定の9時半には浜に着いたのに。待って~。
仙台まで伴走です。途中のパーキングで会えました。
添乗するはずだったバス、出発しちゃって
出発予定の9時半には浜に着いたのに。待って~。
仙台まで伴走です。途中のパーキングで会えました。
各地からも向かって来てくれてます。10台以上のバス。岩手、宮城、福島の各地から。東京チームは前日からいわき入り。いわきの皆さんと前夜祭をしてからの仙台です。ありがたい。
お出迎えは東本願寺キャラクターたち。ゆるキャラです。
今日の赤本くん、ちっちゃ。そいて鸞恩(らんおん)くんは、で かっ。
今日の赤本くん、ちっちゃ。そいて鸞恩(らんおん)くんは、で
門徒さん、お寺さん、知り合った仲間たち。たくさんの人が。
ご招待の沿岸部の皆さんはじめ、団体できてくれた皆さん とお昼。
会場内でもそうでしたが、「あっ、あの人も」「あっ、あなたも」「おひさしぶり」「ようこそ」の連続でした。
冒頭のお勤め。東日本大震災3回忌、追悼法会です。
表白(ひょうびゃく)。この場をどうのようなこととしてむかえるのか。どのような場としたいのかという願いを語ります。本当は表白を中心になって考えた3人で立ってほしかった。叫びたかったはずのもう1 人は舞台監督のため、断念しました。
表白を考えた3人。リレートークメンバー、スタッフ。
リレートーク。佐々木さん。震災で陸前高田に起きたこと。自分と家族に起きたこと。今、これから、どういう風でありたいのか。
金子くん。新潟から毎月東北へ。出会うまで一人ひとりとして、いのちとして感じられていなかった。申し訳なさからはじまってるんだ、って。
関口。あんまり覚えてませんが、表白からずっと泣きっぱなしでした。
神戸のアカペラグループ。シュガースタイルスピリット。
メンバーはHERO、大地、KUMA、IWAJI、ピエール、NARU。
阪神淡路大震災を経験したリーダーのHEROの言葉に続いて演奏です。
阪神淡路大震災を経験したリーダーのHEROの言葉に続いて演奏です。
会場のあちこちに知ったお顔が。
お買い物広場。
仮設のお母さんたちが作った品々。
本人たちが来てくれて ます。
仙台仏青グッズを含め、支援ののために販売してい る品も。
最初はできるかどうかわからない思いつきのような案だったのに。
動いてくれて実現してくれた皆さん、本当に ありがとう。
託児室。最後に一緒に歌ってもらう予定の幼稚園の子どもたち40名もいます。もはや公園?。
2部のリレートーク。遠藤さん。
放射能の降った地元にとどまり続ける不安。徐々にひらいてくる周囲との温度差。ずっと泣いておられた。
小澤さん。仮設住宅の自治会長として、故郷に帰れない人たちとどうやっていけばいいのか。どう暮らしていけばいいのか。たくさんの思いを語ってくださいました。
松本さん。お子さんと避難しているけれど、あくまで自主避難という扱いの中、旦那さんは地元に一人残っておられる。会えるのは月に一度か二月に一度。本当なら一緒にいれて食事や洗濯、普通のことを普通にできていたはずなのに、今はそれができない。申し訳ない、と。
出会いによって名前を取り戻す2年だった。私の中で被災地という言葉は福島の好間、牡鹿半島の小網倉という名になり、被災者という言葉は・・・さん、・・・さん、・・・さんという名になった。
一緒にバスで移動してきた好間の皆さんの言葉や思いも紹介してくれました。
Metisのコンサート。
七ケ浜で被災したピアノを修理して、そのピアノの演奏で歌ってくれました。
福島の桜の映像を流しながらの歌も。
最後は幼稚園の子どもたちや仮設住宅から来られた方々、リレートークの面々もステージに上がって大合唱でした。
2013年3月21日木曜日
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