12/9(日)東松島・名取

5日から東北に来ている愛知の皆さんの滞在最終日。
7日は富山ステップワゴンで愛知から出向してる職員さんの住む二本松へ。
8日、同じくステップで以前訪れた北上川沿いの中学校→雄勝→女川→原発PRセンター。
9日に仙台仏青と再合流というスケジュール。

7日、チーム愛知は先に帰るメンバーを送りに行った仙台空港で地震発生。津波警報と避難勧告が出たため空港の2階にカンヅメに。
大変でしたね。2時間以上遅れたものの飛行機は飛んだそう。
  
まずは6日に断念した東松島へ向かいます。
野蒜海岸近くの学校にて。
京都のフリーペーパーの取材で学生さんも加わっての活動です。
この辺りはほとんど変化がないように見えます。いろいろ集められた品もそのままでした。
でも徐々に進んできてもいるようです。野蒜の駅には線路側に行けないようにロープがはられていたし、住宅跡の区画がわかるようなコンクリートや基礎などがほとんどなくなっていました。

 


その後、この頃ずっとご無沙汰だった宮戸島の浜へ。
民宿のご夫妻が迎えてくれました。
久留米からの柿と春日井からの手編みのマフラーをお届けに。

一昨日、7日の地震についてたずねると、仮設がいま建っているところは昨年津波がきた場所なので、新しい車をまた流されないようにするために車を高台に移すのに渋滞して大変だったとのこと。

坂になってる道路のあちこちにギュウギュウ詰めに避難したとか。
幸い、今回の地震では被害はなかったようです。

この地域では今月末までの申請が、行政で家の基礎などを撤去してくれる最後ラインとのこと。
すでに基礎の上にテントをはって作業とかしてるからちょっと困ってるんだと言っておられた。

 

その後、5日に行って定休日だった名取閖上のさいかい市(いち)へ。
食事が遅くなって2時近かったので、皆かなり腹ペコです。
まずは腹ごしらえをして、それからお店を見て回りました。

「もともと閖上にあったんだよ」
「ぐちゃぐちゃの中を孫に手を引っ張られて走って逃げたんだから」
お店の皆さんと震災当初のお話など。

一昨日の地震ではすぐに避難したけど、車の渋滞が起こってまったく進めなかったと話しておられた。震災の時この辺りも道路までは水が来たそう。

    

京都から来てくれた大谷大学の学生さんが初めてなので、5日に行ったルートで再び沿岸部へ。雪で少し白んでました。

 

NPOが行っているプレハブの「閖上の記憶」へ。
子どもたちの当日の記憶を紙粘土にしたものや未来の自分たちの街を作った物などがあります。
ここで5日にお話をうかがった愛知から来ているというNPOの方にたまたま再会。
チーム愛知の皆さんと共通の知り合いも多いとか。
なんだか縁があります。

 

空港まで愛知組を送ったあと、車で移動して仙台駅で解散。
風邪も治ったみたいでよかった。
いろいろありがとう。お疲れさまでした。

2012年12月19日水曜日

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