2009年6月27日〜28日「死刑から考える」 座談

━━━死刑について

* ・正直今まで意識していないことだった。
* ・死刑はあったほうがいい。被害者家族は苦しみを味わいながら生きる。心の負担を減らすためには、憎む対象がいなくなればよいのでは。
* ・そもそも死刑にして加害者を裁いたところで被害者はそれだけでは納得いかないと思う
* ・そういう縁になれば自分も人を殺しかねない存在だということを認識することが大切
* ・言葉が先行して具体的なものを知らない
* ・遺族のための刑なのか?その考え方は違うのでは。でも死刑をなくせば無期懲役でいいのか?人の命を奪っておきながらそれが最高刑でいいのか?
* ・制度や理論ではなく「人の命」という視点で考え続けていきたい。
* ・被害者が死に、加害者までも死刑にし。お互い死を持ってしてもなにも解決しないのではないか。
* ・どちらかというとなくていいのでは。遺族が死刑を望む気持ちはわかる。しかしいざ刑を執行するとなったとき、自分がそのボタンを押せるか。自分が押せないものを社会に押し付けているという現実があるのでは。
* ・被害者になった仮定の話ばかりが出るが、加害者(の関係者)になる仮定の話が出てこない。そうならないとは絶対言い切れないではないか。
* ・『こいつは死刑でいい(荒川沖事件)』と親が言ってしまうような社会の状況とはどうなのか。
* ・死刑は自分が被害者で死んだ場合に自分の母親は相手を憎んで死刑にしてほしいというだろうがそれは代理で母親に加害者を殺させるようなものだから必ずしも死刑がいいとも限らないし、誰のための死刑であるかというところを考えなければならないと思う。
* ・いい、悪いの次元ではないのでは法で裁くというところに宗教的な解釈を入れるのはどうなんだろう
* ・宅間事件のように死刑を望む人間の死刑が迅速に執行されることをどう思うか。
* ・自分がどの立場に立ってこの問題を考えるかが大切、絶対に被害者の悲しみもわからないし加害者のことも全てをわかるわけではない。いまは第三者の意見としてしか物をいえない
* ・すごく考えたが、やはりどちらにも決められない。人間が決められることではない、決めちゃいけないことなのでは。世の中には答えられることと、答えられないことがある。

━━━いのちについて

* ・命は殺されるべき命ではないし、殺した人の命も殺されるべきではない。
* ・人間はほかの動物を殺して生きている。他の動物に償えるのか。
* ・たまたま殺していないだけで、心の中でたくさんの人を殺している。
* ・裁判官が刑を決めるのは以前の判例と法律に従ってであっていのちという視点には立っていない

━━━裁判員制度について

* ・裁判員に選ばれて、死刑を望まない少数派になったが、結局多数決で死刑という決断が下されたら、どう考えていけばいいのかわからない。
* ・賛成・反対あっても裁判員には行きたくない。
* ・実際に裁判員に参加したほうが自分の意見を訴えられるのではないか。
* ・裁判員制度で、三日やそこらでどれくらいその人のことがわかるのか?親ですら子供のことがわからない時代。まして他人のことなんてわかるのか。
* ・人が人を裁くということには間違いがおこりやすい裁判員を無作為に選ぶのではなく被害者家族にやらせたらどうか