2009年6月10日「死刑から考える」事前学習座談会

仏青事前座談会(森さんの講演会に臨むにあたって、それぞれの疑問等を確認しました。)

━━━なぜお呼びするのか?

 はっきり答えを出さない。悩んでいることを隠さない。

 聞く側にも考える余地がある?考える主体が自分だと気づかされる。

 メディアに深く関わる森さんの社会を見る視点、善悪に二分化できない、間違うし迷うという人間を見つめる視点に学びたい。

 自分自身反対なのか分からない。坊主で教研(僧侶学習会)や森さんの講演会に来てこういうことを考えるようになったけど、
 そのことがなければ深く考えずに答えを出すかもしれない。

━━━浄土真宗でなんで死刑に反対なのか?

「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」を大谷派宗務総長名で出しているが、宗門以外に届いてこその声明なのだから、
 新聞の紙面を買って載せたりすべきじゃないか。

 Fさん(教研講師)に聞いてみたところ、死刑囚も含むあらゆる命に仏教にであってほしいから死刑には反対だと言っていた。
 被害者と加害者がであえる・ゆるしあえる世界が(仏教に聞く)オレたちが目指す世界で、であう機会を切ってしまうから反対だと。

 寺の会で「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」(『歎異抄』悪人正機)の話の時に、
 死刑について聞いてみたところ門徒さんの7・8割は死刑賛成で世論といっしょだった。

 仏教は人を殺しちゃいけないっていう思想的な方向でいるけど、しょうがない現実(当事者になるなど)になった時どうなんだろう。

 『歎異抄』にであったかどうかが大きいんじゃないか。
 「さるべき業縁のもよおせば いかなるふるまいもすべし」という教えに聞いているかどうか。

━━━死刑、裁判員制度について

 ケースバイケースで情状酌量ということもあるが、(事情や精神状態などで)「しかたない」ということがあるのか?・・・ないと思う。
 しかも加害者に対しての見方であって、被害者に対してのものではない。

 被害者の意見はまったくとりいれられない。裁判員制度にはそういった意味も含まれているのか?

 こういう場合にはこのくらいの刑ということがなかった時代、無法無秩序(あるいは司法を握った一部の絶対権力か)だった。
 だからある程度の前例に基づいた決まりは必要。

 量刑が相当というのは誰かが決めた前例でしかない。人が人を裁くということに無理があるんじゃないか。

 「生きていてほしい」から殺さないのか、「殺しちゃいけないから」殺さないのか。
 その人と関係が近くならなくては「生きていてほしい」とは思わないかなぁ。

 なんで人の命をもって罪をつぐなわなくちゃならないのか分からない。
 あなたの家族を殺されたらとか、守るためとか、人を殺しても解決しないし、日本の秩序と関係ないと思う。

 廃止の議論から「生きるべき命」のことが抜けているように感じる。
 えん罪があるからとか、先進国で廃止しているからとかばかりが語られているが。

 でも、他の「生きるべき命」を奪っている「生きるべき命」ってこと?

 反省したら生きてていい? 反省しなければ生きててはだめ?

 裁判員制度ではハードな事件と関わって、一般の人が心に傷を負うかもしれないという声があるが、そうすると刑務官や裁判官はどうなるのだろうか。
 同じ人間じゃないのか。

 誰かに傷を押しつけているなら、裁判員制度はそのことを知る機会になるかもしれない。

 素人ではむずかしいというけれど、人を裁くプロってなんだろう。量刑に対する知識や経験?
 裁けないのに裁かなくちゃいけないのが歪みになっているのかも。 

 終身刑・・・人の命が今度はお金の問題になる可能性も(受刑者の衣食住にかかる費用)。

 終身刑であっても、工場などでの労働で、自分の生活分は稼いでいけるんじゃないか。

 死刑よりも終身刑の方が重いということも言われる。

 死刑が決まったことによって反省し、そのことから被害者の家族がその人の死刑反対運動に参加したということもある。(森さんの『死刑』より)

 裁判員制度によって、別世界のことや他人事ではなくなった。嫌でも考えなくちゃいけない。

 裁判員になりたい。よくわかんないけど悪い奴は死刑って思ってたのが、こういう話をするようになった。
 この話をその裁判員の現場でしてみたい。そこで自分はどうするのか。

 存置だと言っている人が実際に死刑のボタンを押せるかどうかじゃないか。

 人が理性を保ちながら、(話し合った結果)人を殺すことが気持ち悪い。

 しかし、突発ならよし、理性的はだめなのか。

 制度として死刑を廃止するなら他の制度のことも考えるべき。(無責任?)

 制度が問題になるけど、Fさん(教研講師)が制度がどうとは言わずに、「命」が仏教にであってほしいと言った言葉がひびいた。
 被害者と加害者がゆるしあえる・・・ゆるしということをUさん(教研主催の講演会講師)も言っていた。

 死刑が1人に減ったからいいという話ではないと思う。