2月13日、仙台仏教青年会の主催で座談会を開催しました。私にとって、座談会に参加するのは学生時代以来のことでした。
 座談のテーマは「愛」。イベントの名称は『LOVE座談』。いい大人が、口にするには少し数かしい「愛」について気兼ねなく語り合えるような場を作ろうという願いの元、会場の仙台別院に仙台教区の若手と一般の参加者が集まりました。
 テーマがテーマですので、これは中々心のうちを話し辛い座談になるのではないのか?そう私は内心危惧しておりました。
 まず「愛」という言葉がどこか陳腐であるように思います。
 「愛」を自分で口にするかどうかの前に、よくよく見てみればこの世間は「愛」という単語に溢れているのが解ります。テレビに、雑誌に、曲の歌詞。毎日なんらかの形で「愛」を目にしている。それを何で今更に話をすることがあるのか。そう思っている人が多いのではないかと心配する次第でした。
 しかし、いざ会が始まってみればそれは杞憂に過ぎませんでした。
 皆それぞれ私の想像以上に「愛」というモノに対して考えを持っており、それを誰かと話をしたかったという話や、または今までは「愛」など考えてもいなかった、今回が「愛」ということについて考える良い機会となった、という話を聞くことができ、このような積極的な発言が多かったため、当初予定していた時間があっという間に過ぎてしまうというとても有意義な座談となりました。
 考えてみれば世間に溢れる「愛」はそれ自身のある一面にしかすぎません。それは自分の中にあるであろう「愛」とは別のモノです。
「愛」とはこの世界のすべてに在るものであり、私達がそれを「愛」と認識するためには、極一部を切り取ってでしか確認できないのかもしれません。
 今回の座談で私個人の思いとしては、「愛」とは自分の意思だけで誰かに伝えるものではなく、他人との関係性の中で見えてくるモノなのではないかという考えを持ちました。それを今後確かめていくためにも、座談という他者との繋がりで成り立つ催しは非常におもしろいものであるのではないかと思っています。