ラブ座談の報告

1班

一班

・自分のおばあちゃんに愛がないのではないが、近くにいるときびしくあたってしまう。遠くに離れて生活していてたまに帰ってきた時はやさしくできる。愛とやさしさは違うのか。
→表面に現れるやさしさが本当のやさしさとは限らない。
→距離感が近すぎると、こちらの問題を相手が自分のこととして感じてくれないだけで腹が立つ時もある。
→近くにいることでやさしくできなくても、一概に距離が遠い方がいいとは思えない。

・親から愛を注がれているのはわかるが(言われれば言われるほど)反発してしまう。
→親からの愛は、実は親自身がほっとしたいために言っているということもあるのではないか。
→大人になるにつれ、だんだんと正面からぶつからず、衝突を避ける術が身についてきてしまった。
→言ってもわかってもらえない。聞いてもわからない。愛がないとは思わないけれど。
→親が関わってくれるというだけで羨ましい。
→実の親でなくても愛ということを感じる。
→愛は受け取る側が感じる場合も、こちらから発する場合も、一方的なもの、一方通行なのではないか。たとえ相手が相手自身の為を思ってしたことでも「こちら」が愛と感じることはあるし、相手にどう思われようと「こちらが」愛だと思っていることはあるように思う。

・彼女とつきあって長いので、愛は感じるが、自分が何かに没頭している時(趣味など)の時は関わってほしくない。
→自分は本気でやっているから、ちょっとついて来たくらいのレベルで一緒にいるのはきつい。
→「愛の反対語は無関心」というマザー・テレサの言葉があるそう。
→マザー・テレサ、嫌いになりそう。愛がないんじゃないけど、一人でいたい時もある。そんな時は無関心でいてほしい。
→一緒にいたい気持ちはあっても、買い物なんかはちょっと…。目的を持って行って終えたらすぐ帰る、がいい。
→俺は一緒にずっと見て回っても全然苦にならない。

・愛はかなり広い。漠然としてるのかもしれない。
→直江影継の兜に「愛」とあるとカッコイイが、「してる」がついたらヤバい。
→「愛」は意味が広いから、口に出すのもそれほどためらわずにいけるが、「愛してる」はつらい。
→俺は言えない。言ったこともない。たぶん言わない。
→俺は言ってる。子どもに「好きだよ」も平気。言えるのは意味が軽いからかもしれないけど。

2班

LOVEザダン 座談会報告 2班 2月13日

・母親の愛について
無条件に肯定してくれる 悪いことをしても自分のことは肯定してくれる
絶対に否定しない 父親とは違う母の温かいものを感じた
いつも近い存在だったが、その母親が病気になって始めて温かさが気になった
母親のことは好きだが人間として合わない 自分とは違う気がする
家族だけが自分で選んでいない人間関係 家族だからといって特別な気はしない
家族は特別ではないという話は友人には伝わりづらい
母親の人との関係をみると自分とは遠く感じる
母親と真剣に話すのにはかなり腹をくくらないと話せない
家族だから言えることもある 家族を大好きと言えることは素敵なこと
親だけは関係に見返りを求めない
自分が親から与えられることより、自分が親を傷つけることが多い
母が病で弱っている姿を見て、自分がしてあげられることはない ただ自分が生き生きと生きるだけ
失いそうになって感謝の気持ちに気がついた
家族から離れて住んで何となく家族をないがしろにしていた時、帰る際母親がずっと見送る姿を見てなにやっていたんだろうと思った

・恋人との話
大好きな恋人なのに長時間一緒にいるのが辛い
愛と恋の違いは?
自分の中で愛とは覚悟
長く一緒にいて感じるのは情か愛か?
DVをする人は暴力を愛だと言う
妻に手をあげたことがあるがとても後悔した
学生時代、先生に殴られた時愛情を感じた その先生には最近になって謝られた
DV・ストーカーにも始めは愛があってその後歪んでいった
愛を交えた殴りあいもある
言葉での伝え方が分からず手が出ることもあった

愛をもつのは人間だけ?
一生伴侶を変えない鳥がいる

自分が愛を表現するにはどうしたらよいだろうか?
相手からは愛を感じても自分は感じさせられているのか?
愛の自分の理解は温かい気持ち
他人にも瞬間感じるときがある すげーって気持ち
結婚することが愛ではない
今日会場に来てくれた仲間を愛している
応援しているサッカーチームがすごく弱くても金払って応援に行く
一生懸命な姿が好き 特に子供のまっすぐな姿
テレビの感動のシーンでなくのは愛か?
自分は喧嘩することも感動していた 自分は心の底から暴力は否定できないかも
自分の心の中はドロドロ 人には見せられない
兄弟を心配していても色々とイライラさせられる
愛情をもつはずの家族でも関係が難しいこともある
自分が感じている愛をみんなに伝わっているか不安になる
愛は人間関係において双方向なのでは 一人では成り立たないかも


2月14日
愛の反対は無関心(マザーテレサ)
自分は実家から離れていた時、たまに家に帰るとおばあちゃんに優しくしていたが、同居の家族はきつくあたっていた しかし自分が実家に帰って同居すると、自分がおばあちゃんにきつくあたっていた
愛しているが近くにいるときつくなる
嫌いじゃないが苦手な人がいる その人から逃げたくなる
自分は嫌いな人がいない 他人に嫌いになるまで感情がない

3班

2010/02/13 仙台仏青ラブ座談会3班座談メモ

テーマ「愛」

○自己紹介

○愛というテーマについて
・言葉の意味がすごくあいまいでは。

好きのほうが言いやすい。深さの問題なのか?(好きが深くなって愛となるか)

外国で言う愛と日本の愛とは同じなのか。

真言宗では、愛は清らかですばらしい。子供を作るのはすばらしい境地。

与えたい?。あげるものでなくて感じるもの?。

いいイメージ。

自分を動かすもの?そういうものが愛?(原動力が不明)><打算的?(特に女性)

・対象は?

子供へ・女性へ

違う相手に変えられないものが愛?

・やりとり

相手の感情が変わっても同じ心を持ち続けられるのか。

男は言ったこと、あるいは相手に(しむけて)言わせていることが多いかも。

・感じるとき

「あぁ、あの人は愛されているな」と言葉が出てくるようなこと。

誰かを見て

物をあげたときにすごい喜ぶ。

親からの子供への接し方

etc

それによって悩みが湧き上がることも。乗り越えていく。

・思うこと

損得勘定なし?決意(がある)。

相手を肯定すること?。(愛している相手にも)自分が肯定されたい。

長い付き合いで、相手と最近だんだんしゃべらなくなってきた。それは仲のいいということ?

・恋人

喧嘩をしても切れない関係。(そのときにも)愛を感じる。

親子のそれとはまた違う。

・力関係

年齢差が大きいと対等と見えないときもあるのでは?

親と子

男と女−年の差があるカップルを見て、本当に愛だけなのかと疑ってしまう

理解できない愛に出会ったときに僕は認めてあげれるのか

4班

座談会

○愛と恋の違い
・いくつかの違いを羅列して見てみるが、納得できないものがある。自分は愛というものを恋人(愛の対象)に与えていると言い切れるのか?
・愛とは絶対に公平で無条件なものであるという考え。果たして自分が与える愛はそれに値するものだろうか?どこかに打算的な思考や、欲望が含まれている気がする。
・結婚とは契約ではないのか。

○愛を感じる時
・母親からの愛。自分から求めずとも受けているという実感がある。安心感。やさしさ。
・愛しようとしているのではなく、自然の愛なのではないか。
・それでも愛されているか不安になり試してしまいたくなる時がある。
・愛を受けてそのとき初めて自分の中にある愛という感情に気づくのではないか。

○自己愛
・自分を愛さないと人を愛せない?
・自己愛ゆえに、自分自身を許せなくて自殺を選んでしまう人間がいる。
・自分をちゃんと見て欲しいという願望があるのではないか。何かを目標とした時、それの結果だけを求め、うまくいかないとき自分で自分を責める。しかしその過程をみている人がいてくれれば救われるのでは?
・そのままでいいと言われる。それこそが愛なのでは?

○ある音楽家の言葉
「すべては愛である。私達はその愛の中で生きている」
私達が愛と気づくことができるのは大きな愛の中の極一部なのではないだろうか。