2011年6月28〜29日 小網倉で居酒屋を開く

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今回訪れたのは牡鹿半島にある小網倉避難所
ここは既に何度か訪れており顔なじみの所です
今回はチーム東京とのコラボで居酒屋風炊き出し・・・いや完全に居酒屋でした
そして今回が初めてになるテント持参の被災地宿泊です
今までは何度か被災地に宿泊することはありましたがテントでの経験はありません
しかも10人以上も寝られるスペースのあるテントです
これもコラボならではの経験です
今回のメンバーは仙台仏青、チーム二本松、チーム東京や山形の方、途中からチーム支援センターや小松の方やカメラマンの方などで行いました
現場到着時には曇天でしたがテントを張る最中に小雨が
雨が降ったから中止というわけにはいかないので急遽10m×10mくらいのブルーシートを張り仮設テントにしました
炊き出し開始は17時
お肉やお魚やイカぽっぽやじゃがバターやしじみ汁やらもうたくさんのメニューを提供しました
メニューが多くて私も把握できないほどでした
そしてそれと同時に宴が始まります
いつもなら帰りの時間を気にしたり、帰りの運転のためにアルコールを控えたりしてたのですが今日はテントがあります
ということでたくさん飲んじゃいました
宴も夜11時くらいまで盛り上がり色々な事を語らいました

そんな二日酔いの中、翌朝6時に起床して後片づけの準備に取りかかりました
また皮肉にも前日と打って変わっての晴天
二日酔いには堪えます
8時くらいに片づけが終わりそれからお昼まで漁師のお父さん方のお手伝いをさせてもらうことになりました
二手に分かれての作業になったのですが、片方は津波で流された浮きの回収です
手を広げても届かないくらいの大きな浮きが津波により漁港に散乱しています
その浮きを回収するのですがそれにはロープが付いておりそれを切らなければいけません
かなり丈夫なロープでそれを切るにも一苦労です

そして別部隊は津波で浸水した民家の清掃です
泥だらけになった便器や洗面所を取り出して水洗いをする作業をしました
その方のお家に入ると玄関は大理石で、また入ってすぐに私の背丈ほどの熊の彫刻がありすごい豪邸でした
男子用便器、洋式便器、洗面所を屋外に持ち出したんですが、内心「これは買った方が早いんじゃないか」とも思ったんですが「使える物は使おうと思って。無職みたいなもんだからさ」という言葉に深く頷きました
ということでかれこれ3時間以上便器を磨き続けました
洗っても洗ってもどこからともなく砂が出てきますが次に使う時に少しでもきれいな状態でと思い洗い続けます
ここのお家のお父さんは漁師さんです
主にカツオなどの餌になる鯖や鰯を捕って業者に販売する仕事をしています
従業員も抱え、お父さんで三代目だそうです
地震後、大津波警報が発令したときに学校にいる孫を助けに行くか、漁船を助けに行くか迷ったそうです
結果的に孫たちを助けに行きましたが漁船は陸に上げられ使い物にならなくなりました
それでも笑顔で「それでよかった」と言ってました
しかし仕事はできなくなってしまいました
ここの小網倉には地震後30分ちょっとで10mを越える津波が何度も押し寄せました
特に第二波が大きかったそうです
お父さんが津波にあったのは孫たちを車で迎えに行ってちょうど帰ってくるときでした
数十㎝の津波を横から受け車が横転
孫二人を両脇に抱え、ドアからよじ登り脱出しました
よく水圧でドアが開かないという事を聞きますが横転したことにより奇跡的にドアが開きました
まさに九死に一生を得ました
お父さんはずっと包丁を研ぎながら語ってくれました
流されて刃が欠けた包丁です
私たちが作業する傍に来て語ってくる間ずっと笑顔でした
その笑顔をどう受け取ったらいいのかわからず複雑な心境でした

お昼ご飯を避難所で頂いてその場を後にしました
今までは炊き出しやお風呂やバザー中心でしたが現場作業、特に困っていることを聞いて手伝うのもいいのかもしれません
今回でまた一つ方向性が見えました
でも僕たちに何ができるのだろうか・・・








2011年6月28日 東松島市小野市民センター 小松&岐阜&仙台仏青

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東松島市小野市民センターでチーム小松が炊き出し(塩焼きそば)、チーム岐阜、仙台仏青でバザー及び念珠作りをしました。

炊き出しのチーム小松の方々は、二時間ぐらい人の列が途切れる事なく塩焼きそばを作って頂きました。皆汗だくで休みもなく頑張っていました。

貰って食べていた方々は美味しそうに食べていました。実際食べたら非常に美味しかったです。

また来て下さい。お疲れ様でした。


バザーのほうは、チーム岐阜の方々中心に衣類はサイズ別に、品物は種類別に並べて頂きました。

地元の方々と話をしながら「これなんか似合うじゃないですか。」と声かけをしていました。地元の人も「そうかなあ~」と言って貰っていく方もいました。

「津波で全部流されて何にもないからとても嬉しい」と言ってく方もいました。

まだまだ大変な状況なんだなあ~。と感じました。

チーム岐阜の方々もお疲れ様でした。



最後に念珠作りは大好評で沢山の方が二個三個作っていました。余り時間がなく帰る頃にももっと作りたい人がいました。また行きたくなりました。

自分も念珠作れるようにしたいです。

チーム小松、チーム岐阜、仙台仏青、東京から来たカメラマンさん、お疲れ様でした。










2011年6月26日 福島の子たちを

福島の子たちを放射能から救いたいプロジェクト(仮) 先日の仙台教区教化委員会で「少しでも放射能をあびないために何ができるのか」ということから夏休みなどの長期休暇に他所の土地で子どもたちに過ごしてもらう、遊んでもらうという企画が幾つか持ちあがっていることが話されました。

顔の見える、関わりのある範囲で言えばまず二本松の子どもたちを北海道へ。そのための金銭的な助けを教区でできないか、と。教区会などで話しあっていくのと同時に教化委員会名でカンパを募ることになりました。この夏休み単発ではなく、長期的な取り組みが必要となります。今後、東北各地(宮城、岩手も含む)での受け入れ場所を探したり、新潟、会津などへも働きかけていくことになりそうです。

僕等との関わりの中では、Iさんの企画してくれている岐阜へ高校生を。Tさんからお話してもらった同朋ジュニアへ小学4年生以上。Nさんからの同朋会館へ子どもたち受け入れ。など。
こちらは現在、参加者を募っています。福島はもちろん宮城や岩手の子たちもストレスが溜まってきていると思うので募集よろしくお願いします。






2011年6月25日の報告

雄勝の避難所回ってきましたので報告
唐桑地区避難所
親族や有縁の人らで集まる小規模避難所。
今も4、5人くらいでいます。
7月頭に仮設に住むみたいです。
弟さんがすずりの仕事をしているみたいでその仕事でパソコンを使うみたいです。
ということでパソコンを持っていく約束をしました。
こちらはKさんにお願いしてます。
林道なんとかと仮設場所の名前を忘れてしまいましたが今後そちらの様子も見たいところです。

大須小学校避難所
ここは50人くらいの避難所。
自衛隊が常駐してお風呂をしたり、物資を届けてくれてるみたいです。
物資の不足を聞きましたが特に無いそうです。
強いて言えば定期的に野菜を届けてくれたらとは言ってました。
炊き出しも特に需要は無いそうです。
学校裏に仮設を作っていたので今後そちらに移るみたいです。

名振コミュニティーセンター
ここも50人くらいの避難所です。
コミュニティーセンターの前に既に仮設が作られており7月頭から移り住み10日には解散の予定みたいです。
お風呂は水浜か大須小学校まで入りに行くそうです。
片道30分はあるのでBOPの需要はありそうですが仮設に移り住むまでに期間が無いので移り住んでからのボランティアがよさそうです。
ここは地域性が強く感じられ自分たちで自炊しているみたいです。
10日以降に無料バザーをさせてもらいますと交渉してきました。
移り住んでからすぐが物資が少なく大変な時なので一度お邪魔したいです。
人数がいなくて大変ならば無料バザーと数珠作りだけでもいいかなとも思います。

水浜避難所
以前お邪魔したところです。
6月始めに仮設に移り初めての訪問になります。
今は24戸で50名ほどの方がいます。
水浜保育所の避難所からは10名ほどでほとんどが他の地区の人たちだそうです。
まだ仮設の代表者は決まっていませんが以前にいた会長さんが代表者っぽくなってるみたいです。
仮設に住むと色々と見えるようで不満がたまっているみたいでした。
例えば仮設の室内には釘などを打って壁を傷つけてはいけないそうです。
というのも仮設が撤収しましたらそれを解体して外国に売りに行くそうです。
要するに後々売り物にするから釘で穴を開けたりして傷つけないようにって事だそうです。
避難所の人たちが住みやすいように使ってもらうのが筋だと思うんだけど現実はお金優先なんだなと思いました。
実際に会長さんの仮設の部屋を見せてもらいお話を伺いました。

バザーは仮設にある講話室を使っていいそうです。
他には冷凍のお肉なんかもあったらうれしいそうなのでサトー商会でまとめ買いしてもいいかもしれません。
それと法要の件ですが、もし失礼でなければ供養のために海に向かってでも読経するのでお焼香を希望される方はもしよかったらどうですかと、びくびくしながらそれとなしに聞いて見たら喜んでくれました。
海は潮の満ち引きであれだからということで厚意で水浜旧保育所を使わせてくれるそうです。
有志の方でできればと思いますがこれから考えます。
ということで日にちは決めてませんがお伺いをするお話をしてきました。
会長さんとは何だかんだで5回目くらいの顔合わせでしたが初めて身内で亡くなられた方のお話を伺いました。
そういうこともあって法要を喜んでくれたのかなとも思いますが何か力になれればとも思います。

まとめると7月に入ってから水浜に10日以降に名振コミュニティーセンターに行きたいです。
人数が厳しそうなら無料バザーと数珠作りだけでもいいかなと思います。
以上報告でした


①雄勝の自然公園横にある土葬場所です
木札にかかれている番号は50番弱まででしたが前半の数字が無いのも多かったので火葬に移されたのかなと思います

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2011年6月22日の報告

美里町の避難所に行ってきました。
避難所の本部長さんと仲良くなりました。
野蒜の運河よりも海側の地区に住んでいたため、家も全部流されてしまったとのこと。
「津波の二日後には御家族の一周忌の法事を控えていたから、祭壇とか用意していたのにみんな流されちゃってさあ。」と話してくれました。
お墓もすっぽり流されて遺骨もなし。
仏壇もお墓もないし、いったいどこに手を合わせたらいいんだろ。遺骨もないのにお墓つくってもいいのかなあ。そのようなことを話してくれました。
宗派は違うけども・・・三つ折り本尊、お渡ししてもいいんでしょうか・・・?

基本的なものはあるようですが
やはり仮設へ移る方が増えているので日用品の需要はあるようです。また、夏服の需要も。
炊き出しについては、弁当の支給はあるので汁ものがうれしいとのことでした。
ちなみに体育館の脇には着ない冬物の服とカップめんが山積みでした。

なんとか7月中に行けないでしょうか??
24日にまた避難所に遊びに行く予定です。役場職員の知人・本部長さんとまた色々お話してきたいと思います。
「本部長だからなかなか愚痴吐けなくてさあ。色々話せてよかったよー」と言ってくださった笑顔が印象的でした。




2011年6月20日の報告

①29回BOP。

仙台市の小学校に行って来ました。

能登から5名、仙台仏青2名、支援センター2名。
焼き鳥、大好評。さすがに念珠までは手が回らなかった。



②バザー、きっちり時間まで待ってもらってスタート。始まる前にお話をさせてもらいました。



③具だくさんトン汁。キャベツ、油揚げ、豆腐、その他ほんとにいっぱい入ってた。
焼き鳥、とうとう僕も焼きチームに参加。おしんこ。
バザー、やっぱりほとんど物が無くなりました。街中で比較的物が届きやすくても、必要とされているようです。
一種類につきおひとつ、というのは結構まもってくれていました。

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2011年6月20日 高速無料化について

もう皆さんご存じでしょうが、被災証明や罹災証明での高速無料化が始まりましたね。
うちのお寺で罹災証明書がとれたので高速で使えると思っていたのですが、あらためて調べてみると「法人」名義で取得した罹災証明は高速で使えないんだとか・・・・・残念。
法人名義の罹災証明は使えなさそうですが、いま市町村の判断で「被災証明書」の発行が始まっています。
花巻市は23日より停電・断水のあった世帯(たぶん全戸)に発行すると市役所の方が教えてくださいました。
盛岡や一関・釜石や遠野なども一律全戸に発行しているようです。ただ北上市は「家屋以外の家財道具などに被害があった場合のみ発行する」など条件をつけており、対応は市町村ごとに様々。
一方、仙台市など宮城県内の自治体は、証明書の発行対象は「動産、不動産に被害があった世帯」と少し対応は厳しそうですが、一度挑戦してみる価値はあると思います。「被害があった世帯」といってもその重さ軽さは問われないと思います。

以下、新聞記事より抜粋
 被災者対象の無料化は当面1年間の実施を予定。被災者は東京電力福島第1原発事故による避難者も含み、地元自治体が発行する罹災(りさい)証明書や被災証明書を料金所で提示すれば、全車種が無料となる。被災者が運転できず、同乗する場合も適用する。
 被災者は、対象地域外から高速道路に乗って対象地域内で降りる場合やその逆も、利用した区間はすべて無料とする。(毎日新聞より)

東北地方のICで発着なら大阪でも熊本でも行けることになります。岐阜の冒険キッズの時にも高速代がかからなくなります。(首都高を通るルートはだめですが・・・)
もし時間があれば仏青メンバーも一度自分の住む市町村役場に問い合わせてみてはいかがでしょうか。
活動費がかなり節約できるのではないでしょうか。











2011年6月19日「物資に込められた思いを」

6月16日、牡鹿半島のある避難所へ。はじめてお邪魔したその避難所には地域100世帯のうち、津波で家を流されてしまった30世帯40人ほどの方が暮らしています。今回は高田教区の有志のみなさんが「唐揚げ・炊き込みご飯・豚汁」のメニューで200食分(自宅非難されている方々の分まで)提供してくださるということで、いつもお風呂の支度や炊き出しを担当していた私ですが、この日は無料バザーの担当をしました。


先日三条教区の方からたくさんの支援物資をいただいていたこともあり、バザー担当もどこから手をつけていいかわからないほどの物資の量。日用品・衣類・食糧・食器・・・・大きいブルーシート4枚分ほどの広さになったでしょうか。少しでも綺麗に陳列したいと物資を並べ始めたところに、「もう持っていいていいの?」と数名の避難所のお母さんたち。私は「時間を決めて、みなさんが揃ってから始めます」と言ったものの、「もうみんな揃ってるからいいじゃない」という声に押され、ほとんどの段ボールが開いてない状態でバザーが始まってしまいました。


「入浴剤ある?」「男性用の下着は?」次々とみなさんから質問が寄せられ、スタッフは段ボールを開けながら必死の応対。いつもより広いスペースに大量の物資、スタッフの人数より多い避難所の方々全員に対応できるわけもなく、自分たちで段ボールを開けだすお母さんも。


そこへ今度は近隣の自宅避難されている方が続々と大集合。自宅避難の人たちには今までほとんど支援物資が配られたことがないらしく、物資を見る目が少しこわいくらい。「必要な物を選ぶ」というよりも「バーゲン会場で奪い合う」というのが合っているかもしれないような、なんでもいいから他人より先に、とにかく袋に詰め込むような状態になってしまいました。服や日用品を入れている籠をひっくり返してバラバラと物を出し、籠自体を持っていってしまう人。「1種類2~3個でお願いします」と声をかけても石鹸や入浴剤、シャンプーなどを大量に(石鹸は200個くらい)持っていってしまう人。綺麗に袋詰めされた服のビニール袋はもうビリビリと破かれてしまったり、興味のない物資を投げ捨て

るように扱う人がいたり・・・・・なんだかとても悲しい光景でした。


大量にあった物資の9割が2~3時間でなくなったということ自体は、困っている方にそのくらい物資が届いたと思えば喜ばしいことなのでしょうが、私の心はずっとモヤモヤして喜べませんでした。


このモヤモヤの原因をよくよく考えていたのですが、やはりバザーを開催する私たちに原因があるのだと思います。ここに並んでいるのはどう扱ってもいい無料の物資ということではなく、送ってくださった全国の方々の思いが込められた大切な物資であるということを伝えられなかったからだと思います。小規模の避難所で無料バザーを開くことが多かったので、今までは直接お一人お一人に話しかけながらそのことを伝えていましたが、規模の大きい避難所や仮設住宅では「全国から届いた思いの込められた物資である」ということをお伝えする方法をあらためて考えなければならないと思いました。


たとえば、

①必ず開始時間を決め、告知して、必ず時間通りに開始する

②開始直前に無料バザー開催の趣旨を代表が伝える

(全国から届いた思いの込められた物資であることをお伝えする)

③いま必要な物に限って持っていってもらい、残った物資はまた違う避難所に持っていくことを知ってもらう

(自分が必要なくてもきっと誰かがそれを必要としていること)

④要望があれば必ずまた訪問するという意思を伝える

などなど。


家や船・財産すべてを失った方の「物が何もない」という不安を少しでも和らげ、「全国の方々はみなさんのことを応援していますよ、忘れてないですよ」と支援物資を届けることが、避難所と全国各地を結ぶ私たち仙台仏青の役割なのではないかと思いました。


幼稚園児が自分のおこづかいで買って送ってくれた品、町中を駆けまわって苦労して集めて来てくれた品、仕事が終わってからコツコツと縫って作ってくれた品、そういう思いも含めてお届けすることを忘れたくないとあらためて思いました。


最後に、高田のみなさんの唐揚げは最高に美味しかったです!!!










2011年6月18日の報告

今日、震災百か日  

宮戸(月浜)に行って来ました。野蒜海岸近くの流されたお寺跡で、テントを建てて法要が勤まっていました。黒い服の皆さんがたくさん集まってた。
少し行くと、民家の跡地で椅子を出して黒服で語り合っている家族の姿もありました。
縄文村(月浜地区避難所)は現在53名。入ってみるとおばちゃんたちに「ちょうどお寺さんに聞きたいことがあったのよ」と招き入れられ、仏壇も位牌も流されてしまったけど、仮設でこれからどうしたらいいか尋ねられました。皆さん、曹洞宗とのこと。
手が合わされば簡易でも構わないんじゃないかなぁ、とお伝えしつつお寺さんと相談してもらうように話してみました。
ひょっとしたら仏具なんかも喜ばれそうな雰囲気です。今度行く時は三条から頂いた普通の念珠も持って行こうかと。

①途中の道には通常なら道路の下にあるはずの水道管が地上に連なっていました。宮戸島、ようやく水は戻った様です。仮設が残った旅館の間に建っていて、7月頭くらいから入れるそう。月浜の人たちは抽選でなく入れるみたい。仮設になったら物資が心配なので、ぜひ来てほしいと言われました。今回はすでに炊き出し予定が詰まっていたため、7月にまたということで別れました。
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2011年6月17日 短冊 写真

こどもご縁忌にて、被災者のかたへメッセージを書いて頂きました。その中の数枚です。

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2011年6月17日 車が届く。凄いです。

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富山教区災害復興支援ネットワーク様より、ステップワゴンを支援活動の為にと、提供いただきました!

しかも、富山教区から維持費まで出していただけるとのこと、本当に有難い限りです。

富山から、被災地に何か力になろうとしても、距離のことを考えると、中々難しい。その中で、どのような支援が可能か考えることに。仙台仏青が、自家用車で被災地に入り、パンクさせたり、傷つけたりしている状況を見て自動車の提供を提案。仲間うちで、色々融通をきかせ、車両を用意することが出来たとのこと。この車を使ってもらうことで、自分たちも被災地と繋がることが出来るから。そんな風に願いを伝えて下さいました。

被災地の外から、想いを届けてくれる仲間たちが、沢山います。そんな仲間たちと共にある支援をこれからも続けていきます。

存分に活用させていただきます、本当にありがとうございました。















2011年6月16日の報告

①28回BOP。牡鹿半島、寄磯小学校。
仙台仏青3名、青少幼年センター2名、京都のKさん、二本松のKさん、みこし仲間のS夫妻、高田と大阪から4名。支援センター2名。
要望の品をお届け後、バザー。念珠つくり。から揚げ、味ごはん、トン汁、それぞれ200人分がカラに。
バザー、在宅被災者と言われる、家が残っているけど物資の供給のない人たちは、本当に初期の頃に僕等が避難所に物資をお届けしていた時と変わらない勢いだったそう。僕はひたすら念珠つくってましたがバザー担当してくれた皆さん、お疲れ様でした。
今回の忘れものは高田のナベ。頼まれてたのに。これはマズイなぁ。持って行くものリストを作ろうかと思います。

②バザー。この日も三条からの物資が大活躍。おそらく過去最大規模じゃないかと。


③小学校から少し内陸に戻った所に仮設住宅を建築中。まだ地ならし段階でした。そのこともあって、前日の大原中と今回は食器類などもバザーに出品。

④ここでも小中学生と遊ぶ。昨日の大原の子たち、小網倉の子たちも同級生。
昨日の旧校舎での肝試しは盛り上がりましたよ。
寄磯の帰りに忘れ物を取りに大原に。
結局、区長さんがいなくて見つからなかったものの、体育館にお邪魔して晩酌に参加。10時くらいまで飲んじゃった。
子どもたちは子どもたちで盛り上がってました。
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2011年6月15日 第27回BOPは、牡鹿半島にある大原中学校

第27回BOPは、牡鹿半島にある大原中学校。

20数人規模の避難所でした。

今回は、炊き出しにバザーを提供することに。


個人的な理由で、ここしばらく活動に参加出来なかったので、久しぶりのBOPは、楽しみな気持ちと不安な気持ちが介在するなかでの訪問でした。


石巻を抜け、牡鹿半島へ。震災初期の頃に、何度も通った道は、当時の惨状に比べれば、瓦礫の量など明らかに片付いている。

あの時に感じた、この瓦礫の山を人の力でどうにか出来るのか、という絶望感は、あの日から毎日のように続けられている撤去作業によって、自衛隊、地元企業、ボランティアなどによるたゆまぬ尽力によって、取り払われたように感じる。

勿論、一歩大きな道を外れると、個人の家屋などに目を向けると、あの時となんら変わらない光景は、まだまだ転がっている。

確かに復興進んでるよ、でもまだ十分じゃない。
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避難所に行く途中に、何ヶ所か仮埋葬場を訪れる。

火葬場の稼働量を越える数の遺体の対処の為に、一旦仮埋葬する措置をとった自治体があること、ご存知かも知れません。

それらは、そんな場所の一つ。人気のない、打ち棄てられたゴミ焼却場の近くや、山奥など、そんな場所である。


整地された土地が区分けされ、名前が書かれた板が立ち並ぶ。花が手向けられ、お供えが並ぶ。身元不明で、名前がなくただ四百七十等と、数字だけが記された板の立つ場所もかなりある。

身元不明者の埋葬場所にも、小さな花瓶に一輪の花。恐らく市の職員なんかが、手向けたのだろう。

家を失い、いのちを失い、そして名前も失った名もなき人の列が、堪らなく胸をうつ。



仮埋葬場をあとにして、今日の目的地へと向かう。

炊き出しのメニューは、焼鳥に野菜炒め。

バザー班と炊き出し班に分かれて、準備を進める。

やはりもう手慣れたもので、あっという間に準備が終わる。

バザーを見に来たお母さん方は、これもいいの?と嬉しそうに品定め。やっぱり物資足りてないんだな、と再確認。

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炊き出しも、予定時間に合わせて配膳開始。早くもビールを片手にそこかしこで、話し込む姿が見られる。

しばらくして、子供達が学校から帰ってくる。一通り炊き出しを提供終わると、他の仲間はお父さん方と酒を酌み交わし、語り合っている様子。私は、子供達の元へ。


沢山話して、遊びました。中学3年の男の子に、クラスでTOP3に入る人気者の女の子に電話して、自分のこと好きかどうか聞かせたり。そうしたら、「うん、好きだよ」とか電話越しで言ってんの!

遠い昔の甘酸っぱい感覚に悶えまくりました。

そのあとは、避難所になってる廃校で肝試ししたり。もう、楽しくて仕方ない。やっぱり、支援とか偉そうなこと言えない。

自分が楽しくて楽しくて、子供達と笑い合って、それが何より自分の元気になって。


結局、遅くまでお邪魔してしまいましたが、避難所の皆さんとは、また来ますと約束をして帰路につきました。

2011年6月7日 山下第一小学校再訪

6月7日 山元町山下第一小学校でBOP
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今回の場所は再訪になります山下第一小学校です

参加者は仙台仏青、チーム二本松、チーム名古屋、岡崎、チーム金沢になります

今回はBOP、炊き出し、念珠作り、そして床屋さんになります

ここの避難者は数日前までは80人強居たそうです
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しかし6日から仮設への移動が始まり当日居た人数は10数名でした

そして12日には解散が決まったそうです

ということで人数が少ないとお風呂に入る人も必然と少なくなり少し寂しかったです

でも人数ではなく一人でもそれで喜んでもらえたらいいのかなって思います

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今回の炊き出しは焼き肉でした

何度も提供しているメニューなのでお手の物です

午前中に伺った時には人が少なかったんですがお昼くらいになると仮設の人たちが昼食を取りに避難所に来ました

ということで炊き出しは大盛況で終わりました

本日も大好評の床屋さん

午前中から始まり昼食を挟んで終わりまで活動してました

なんだかんだで20人弱は散髪したんじゃないでしょうか

それにしても大活躍でした

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今回の所もそうですが、だいぶ仮設住宅に移る人が多くなったように感じます

徐々に避難所の数が減ってきました

それはそれでいいことなんですが、仮設に移り住むということでまた新たな問題もでてきます

それは「自活する」ということです

語弊があるかもしれませんが、今までは如何に生きるかが問題でした

それは食べ物もそうですし、衣類などもそうです

今生きるのに何が必要かを考えるのが急務でしたが、これからは今後生きていくには何が必要かを考えなくてはいけます

その一つがお金です

仮設に移り住み自活をするということは自分たちの生活費を自分たちで捻出しなければいけないということです

あるおじいさんが未だに政府からの一時金が振り込まれてなくて憤ってました

ニュースや新聞などでは一見すると既に届けてるニュアンスで報道されてますが現実はまだ被災者の手元に届いてないことも多いのです

義援金も含め経済的な支援はスピード感を持って対応していかなければ仮設に移動しても困窮するだけです

これ以上被災者を二重三重に苦しめないように今何ができる、何が必要かを考えながら臨機応変に動いていきたいです













2011年6月6日〜7日の報告

06/06(月)
①小網倉はBOPP。
仙台仏青、チーム二本松、名古屋からお二人、岡崎からお一人。チーム久留米は冷蔵庫運搬後に直接空港へ。
とにかく暑かった。
②念珠つくり、バザーも行いました。
最後はみんな合流して焼肉。軽く居酒屋のような雰囲気でした。「泊まってけ」って何度も言ってくれてた。

06/07(火)

山元町でBOP。
小網倉でも好評だった二本松のバーバーマン、Oさんが大活躍。皆、笑顔でした。
仙台仏青、チーム二本松、名古屋から三名、金沢から三名、センター。
前日までに83人残っていた皆さんのうち60人ほどが近くの仮設住宅へ移動。
人が少ないかも?と思っていたら、結構仮設からお昼をもらいに戻ってくる人も多く、焼肉もバザーも品切れに近いほどになりました。

この小学校は12日に避難所解散の予定。お世話になった職員のIさんは中央公民館に戻るようです。
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2011年6月3日〜5日の報告

06/03(金)
午前中に別院で長崎から届いたバスに詰め込まれた物資をおろす作業をしました。
メンバーは仙台仏青4名、久留米からのお二人と、長崎からこられたお二人です。
その後、徳泉寺さんでバザーの仕分けをしました。
お昼くらいに長崎の方々が帰るということでYさんも同行しました。
残ったメンバーで海楽寺さんの視察に行き、帰りに炊き出しの品やバザー品を買い出しに行きました。
仙台沿岸部のお寺さんの瓦礫がほとんど無くなってましたね。

帰宅後にOさんと神社の宮司さんが合流して積み込み作業や野菜切りをしました。
その時に長崎から来たバスの後方座席を取り外しました。
これでかなりのスペースです。
夜にT君やチーム二本松が合流という形で活動しました。
仏青の軽トラがまさかのパンクで焦りましたが修理はできました。
タイヤのすり減りが激しいので代えた方がいいかもしれないですね。

06/04(金) 06/05(土)
①皆で一緒におはぎ作り。5升炊きはすごいね。調理用てぶくろ着用です。皆さん、はやいはやい。結局完売(ただですが)でスタッフが食べる分も残らない勢いでした。
②BOPPはSくんとKさんが建ててくれました。なんとオーシャンビューの窓付き。2人ともかなり大変だったはず。お疲れ様でした。
夜中にチーム二本松のWくん、校長先生、設備屋さんが合流。WくんとMさんはチームBOPPへ。
③南三陸町は、ひさびさにBOP活動。愛のバケツリレーです。
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2011年6月4日 トン汁なのにトンがないっ!!?

NEC_0729.jpgトン汁なのにトンがないっ!!?

今まで数々の忘れ物をしてきた私ですが、これは青くなりました。



南三陸町志津川の平磯生活センター。ここは避難所ではなく、地域の公民館のようなところで、今回は仮設お風呂をしながら、無料バザー、念珠作りなどをさせてもらうことに。また、平行してお風呂常設BOPP(仏青お風呂プレゼントプロジェクト)も行います。



初日の昼食はおはぎ。宮城県村田のお寺から5升炊きのプロパンガスつき炊飯釜を持ち込んでの調理。かなり時間がかかると思っていたけど、近所のお母さんたちが次から次と集まってきてくれて、手際よく握っていくもんだから、2回目炊きあがるまでに待ち時間ができるほど順調に。10升分のおはぎが、すっかり完食。ありがたかったです。一緒にワイワイ作る感じが楽しかった。ほぼおまかせでやってもらってしまいましたが。


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今回のバザーでは、毎回要望の多い男性ものを買い足して持って行きました。復興支援ガレージセールからどっさり持って行ったものもすぐになくなっていきます。日焼け止めやシャンプー、リンス、くし、手鏡、デオドラント、カゴ、タッパ、袋、タオル、バスタオルなども、ほしいという声が多いのでいつもの準備品。



ことに気づいたのは無料バザー終了後、念珠つくりも落ち着いてきた頃。

夕食の炊き出しは焼きとりとトン汁、なのに前日に買い出ししたはずの豚バラ3キロがどこにもない。BOP出発は早朝のため、毎度バタバタしているとはいえ冷蔵庫の物をクーラーボックスに移し換えた後、冷凍庫のことを忘れたのは初めてのこと。本当に焦りました。

 慌てて登米市まで買い出しに出てもらって、先に焼き鳥を食べます。なんとかトン(豚)の入った汁ができるのを待ってもらって配り終えて一息、今度は次の日に餃子で使う予定の鉄板が一つしかないことに気づいてしまいます。やばい。チーム高田から預かっているガス式のコンロがあったので、現地でフライパンを借りてなんとか事なきを得ました。準備が大事なのは重々承知しつつも今回は本当にいろいろやってしまいました。


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 南三陸町は二つある浄水場がどちらも塩の濃度が飲料水に使えないほどの値のため、ほとんどのところで蛇口から水が出ない状態です。松島や大崎、登米などの近隣の自治体からの給水車からと沢や井戸の水で生活されています。貴重な水は飲料水としては使えるけれども、なかなかお風呂としてまでは贅沢に感じて使えないということもあるようです。普段の生活にはまだまだ遠いことを実感しました。


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 今回も全国の皆さんからの支援、仲間の助けがあって活動できました。福岡、奥羽、京都、そして登米からフットマッサージ師さんたち、二本松からお風呂設備屋さんと仲間たち、本当にありがとうございます。生活センターに泊めてもらっての2日間だったので、若干飲みすぎて朝がつらかったけど、たくさんの人と会えて話すことができました。今度は忘れ物しないように気をつけます

2011年6月4日 タイミング

NEC_0698.jpg6月6日(月) 牡鹿半島、小網倉

BOP連続4日の3日目。我らながら無茶なスケジュールかなとも思うけど、基本的には先方の声に合わせて動いているのと、なるべく状況が変わる前にお邪魔したいという思いもある。

お風呂に関しては、ライフラインが復旧さえすれば家が残っている人は入ることができる。訪ねた時に聞くことが多くなってきた声は「もっと早く来てほしかった」「あの頃にあれば」。必要としている“今”に応えたい。でも、もちろん限界もあるし、お話しをうかがうだけで実際には活動できていない場所も少なくない。
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ここは4月に現地の木材を使って小屋を建ててお風呂を設置した地区。沢から水をくみ上げての薪お風呂だが、その後自分たちでコンパネを使用して脱衣所を増設、より使いやすく大きくなっていた。設置したお風呂は1台なので、交替で家族や夫婦はなるべく一緒に入るよう工夫しているそう。一度炊いたらなるべく間を空けずに入浴している様子だった。

近隣からお風呂に入りに来る人たちのために、そちらにも設置してほしいという要望を受けて準備を開始した。今回は高田からいただいたコンパネや購入した木材を持ち込んでの作業。目の前の海では津波被害から残された船での浜の男の人たちによる瓦礫の撤去が行われているが、地震によって海が上がってしまった?(もしくは地盤が沈んでしまった?)ため一日に作業できるのが午前午後のそれぞれ数時間程度とのこと。そもそも自分たちでしなくてはいけない必要な作業なんだけれども、今は行政から日当が出ていると言っておられた。
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久留米からのメンバーも2日の長崎ハイエース受け取り、3日の仕分け買い出し、4、5日の南三陸BOPに続いて参加。軽トラックで現地へ置いてくる冷蔵庫を運んだ後、飛行機出発時刻に間に合わせるために一路空港へ。フル回転、本当に有難う。この日は名古屋、岡崎からのメンバーも一緒に活動。牡鹿半島にある別の避難所を回っての聞き取りにも同行してくれた。そこで訪れた大谷川の小学校は全壊。校舎の中心にある時計の指す時刻は、津波がきた時のものなのかもしれない。この日も海は本当に綺麗で、おそらく体育館だった瓦礫を目の前にしても何が起こったのかさっぱり分からない。理解ができない。これは一体何なのだろう。

夕方、それぞれの活動を終えて炊き出し。一緒に飯を食べながら男の人たちは「全部の港を直すのではなく、一つの港を修復して幾つかの地域で共同して使うようになりそうだ」と話す。「右向けっていわれたらグッときても向くしかないけど、口だけは開くんだ。声はあげていかないと」。語りながら次の日に自分たちで食べる予定だったという貴重なイカをすすめてくれた。
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自治体によっては瓦礫の撤去などの復興作業に日当を出したり、雇用という形で仮設住宅に関わる仕事を考えようとしている。これまで私自身、何かに突き動かされるようにして走り出してきたように思うけれど、活動するたびにできることの小ささを突きつけられる。行くことのできる場所もそうだし、関わり自体だってどこまで関わっていけるかまったく分からない。でも、そこで出会った人たちがいるから、また会いに行きたいし、また話したい。最初の動機なんて忘れてしまった。またあの子たちと遊びたい。またあの人たちと一緒に、飲んで話をしよう。

2011年6月3日 BOPP写真館

5月5日、こどもの日。東松島市、野蒜海岸の奥にある宮戸島にてBOPP写真追加

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2011年6月3日 『長崎からバスをいただきました!』

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長崎のお寺さんから仙台仏青にバスをいただきました。長崎から、住職さんとそのお寺の幼稚園に勤めていらっしゃる娘さんと、自らバスを仙台まで運転して届けてくださいました。6月1日の朝5時に長崎を出発し、ずっと高速を走らせ、途中のサービスエリアで車中泊をし、2日の11時30分に仙台へ到着!!

バスの中には長崎の子ども達とお母さんお父さんからのたくさんの応援物質が詰め込まれていました。長崎を出発する2日前に呼びかけをしたら、皆さんがたくさん持って来てくださったそうです。

幼稚園のお子さんが、大切に貯めたお小遣で、みんなが喜んでくれるようにとヘアアクセサリーや小物を買って持って来てくれた、と、教えてくれました。

子ども用の衣類や、ヘアアクセサリーなどなど…。また、バスが出発する時にみんなでメッセージを記した大きなボードも受け取りました。IMG_8044.jpg

小さな子ども達が何とかして力になりたいと、精一杯に行動している。

全ての物にあたたかな気持ちがたくさんこもっている事が伝わってきます。

バスは人も物も、みんなのあたたかい気持ちを多くの方に伝える事に役立たせていただきます。

ありがとうございました。