2011年7月30日〜31日の報告

07/30(土)
①横浜のSさんが来てくれたので、Mくん、チームSも加わり徳泉寺の荷物を整理しました。10時から6時くらい。
種類別に分けて、中古衣類をビニールで一つ一つ包んでいきます。 
徳泉寺にある衣類は最初の頃に届けていて残った子ども服が多いです。
4分の3くらい終わりました。次に人が集まったら別院に運び出そうかと。直接BOPに持って行くこともできます。
子どもさんの集まっている仮設も何ヶ所かあるので、そこに届けましょう。


07/31(日)
②名振地区仮設と女川にある稲井地区仮設にざきさんと物資を届けました。
積み込みはセンターのKさんにもお手伝いいただきました。

名振には、扇風機27台とカラーボックス28個。
稲井には扇風機6台とカラーボックス5個とタオルケットや収納箱などを届けました。

名振で以前行った念珠作りが大好評でした。
自分たちで念珠を作りたいらしく親玉がどこに売ってるか聞かれました。
いちお念珠屋さんにありますと答えましたが、まさか買いに行くことはできないので、物資みたいな形で届けたら喜ばれるかもしれません。
ある女性は、この腕輪念珠がアクセサリーと思っていたらしく、法事などで使えますよと教えたら喜んでました。
こんなことならカラフルなビーズとは別に、落ち着いた色も作ればよかったと、次に作るときには・・・と期待満々でした。次は略念珠を一緒に作るのもありかな。
お盆前に伺って、MY念珠を作ってもらったらいいのかもしれませんが、時間が無いので、お盆明け辺りに伺えたらと思います。
お彼岸用にということで作使ってもらえたらうれしいですね。
前に伺った時に7月31日にこの周辺で慰霊祭があるとポスターで見ました。
そういう時にも僕たちと一緒に作った念珠を使えそうですね

③カラーボックスを試しに組み立ててみたらこんな感じのでした。
板は厚くて中々の高級感です。

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2011年7月27日 女川第三小学校その2

やっぱりあきらめずに書いてみる。

40回を迎えるBOP。この日、仙台仏青は2名+家族。仙台の祭仲間が3名。チーム高田がなんと14名。

高田はいつも来てくれるメンバーに加えて、地元で炊き出しの仕込みを担当してくれている女性陣も初参加。保育園の園長をしているメンバーが保母さんたちを連れて来てくれた。
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午前中、高田の皆(26の深夜に仙台に到着したのにちゃんと早起き、すごい)は別院で炊き出しの仕込み。それぞれの車にお届けするバザー品を積み込んでいく。しまむらで衣類なども追加で用意。お昼を買って女川へ出発。同乗の高校生は若林区の高校に通う野球部員。学校のすぐ東まで津波がとどいている。3年生なので今年の夏で卒部、入試時の面接で祭りのことやボランティアのことを話したいと意気込む。

カレー4人分食べる食事トレーニング(略してショクトレ)のことなどを話していたが、女川の町が近づくと言葉数が減っていく。津波被害の地域に入るのは初めてで、5か月近くたった今でも見た人へのショックは強いのだと感じた。「僕にやれることをやります」と言って到着後、黙々と支援品の段ボールを一度に3箱も持って校舎前の階段を昇り降りしていた。

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ここは閉校になった小学校。校庭に仮設が建っていて、校舎は避難所として使われている。女川町の東、桐ヶ崎、竹浦、尾浦(以前保福寺さんに避難していた人たちも含む)の方たちが集まっている。校庭の仮設に50人ほど、校舎に25人ほど。炊き出しとバザーの場所が校舎の一階、玄関前の広場だったので、大量の支援品を皆で運ぶ。もう始まる前に燃え尽きそうな勢い。息も荒い。運び終えて一休みしつつ、バザー品を並べていく。最近、男性だけの活動が多かったせいか、保母さんたちの手際のよさ、並んだ品の見栄えの良さに目からウロコ。そうか、並べ方でこんなに違うのか。残念ながらたぶんマネできないけど。


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同時に念珠つくり。以前保福寺にお風呂を持ってお邪魔した時のことを憶えてくれている人も多く、腕輪念珠を持っている人も。お寺にいるときは毎朝一緒に勤行していたそうで、小学校に移ってからも歩いていっておまいりしてるとか。竹浦の人たちとは初めてということもあって、幾つも作ってくれていた。先日利府でおまいりした方の娘さんが尾浦の人で保福寺にいたと聞いて驚いたが、仙台でみこしを一緒に担いだ人の実家が竹浦で、この避難所にいるらしい。つながっているんだなぁと思う。



つながりと言えば、僕らはボランティアセンターを通してというより、たまたまのつながりで動いてきている。尾浦の人たちが避難していた保福寺に行くことになったきっかけは、石巻市大街道でのBOP。葬儀社の駐車場をお借りして3回、お風呂と炊き出しを行った。その隣のマンションにいた人が僕らの活動を見て「友達が女川の保福寺に避難しているから」と教えてくれたのでお邪魔することに。

大街道の葬儀社さんを紹介してくれたのは曹洞宗のお坊さんで、石巻の法山寺でBOP活動している時に知りあった。法山寺さんには、仙台仏青のメンバーが火葬、仮埋葬のおまいりボランティアに参加した際、法山寺の副住職さんと話したことがきっかっけでお邪魔させてもらった。たどるとキリがないけど、たまたまが積み重なって活動させてもらっていることを強く感じる。



7月の頭に仙台教研でお世話になっているFさんと一緒にここに来た時、たまたま誰にも会わず、校舎内を勝手に進んでいって人の気配のする戸の前まで来た時に、さすがに声をかけづらくて実はそのまま帰ろうかと本気で考えた。でも保福寺からここに移ったとは聞いていたので「えいっ」と思って戸をたたいたら、以前会った知っている顔が迎えてくれた。あのまま帰らなくてよかった。その場を後にしてすぐに、雄勝の避難所で知りあった別の人から「女川三小に行ってほしい」という連絡が入ってまた驚いた。やっぱりつながっている。

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炊き出しの炊き込みご飯、肉じゃが、味噌汁、梅しそジュース、美味しかった。僕らが炊き出しする時はなかなか複数のメニューを用意することができないので、準備は本当に大変だろうと思う。しかも次の日、チーム高田は気仙沼を訪れて、夕方には福島で「キッズ福島イン高田」の現地説明会を行って帰っていった。よく僕らの体のことを心配してくれるけれど、皆さんこそくれぐれもお疲れをおこさないように。本当に心強いです。

2011年7月31日 雄勝町と女川町に物資を届けに行く


 今回は物資を届けに行きました。参加メンバーは仙台仏青二人です。積み込みは支援センターの方にもお手伝いいただきました。

-1.jpg今回、物資をお届けするところは雄勝町にある名振地区仮設と女川町にある稲井地区仮設です。

 名振地区には扇風機27台とカラーボックス28個。稲井地区には扇風機6台とカラーボックス5個とタオルケットや収納ケースなどを届けました。

 仮設では、全戸にいちおはエアコンが付いています。しかしすべての部屋に付いているわけではありません。例えば、ある仮設では6人の家族で一つの仮設の最高人数になり、そこでは三つの部屋しかありません。三つの部屋で6人が寝泊りをして、冷房機器がエアコン一台しか無いことに驚きました。エアコンの付いていない部屋では精々団扇を使って涼むしかありません。また窓を開けようにも被災地には大量のハエが発生しており、少し開けただけでもたくさんのハエが侵入してきます。そして仮設自体が密集しており風通しが良くないケースも多いのです。ですからすべての部屋に扇風機を、とまではいかなくてもせめて一戸に扇風機を一台は置きたい、そういう思いがありました。

 今回は大量の扇風機を持っていくことができましたが、この物資はチームK教区の人たちが送ってくれたものです。K教区の人たちが以前に仙台仏青と活動していた時に「被災地では扇風機が品薄で手に入らない」ということを何かの拍子で話したら、早速教区で呼びかけてくれて即日発送してくれました。
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 また他にも全国各所からたくさんの物資をお送り頂き大変ありがたいです。私たちがこの様な活動をできるのは私たちを支援してくださる方々のおかげです。今後とも継続して活動していきますので、ご支援の方よろしくお願いします。

 名振地区の帰り際に腕輪念珠の事を聞きました。私たちの作る腕輪念珠はカラフルなビーズが多いためアクセサリーと認識している方が多かったようです。それで「この腕輪念珠でも仏事などのお参りで使えますよ」と伝えましたら大変驚いてました。「こんなことならカラフルな玉とは別に、落ち着いた色も作ればよかった。次に作るときは・・・」と期待満々でしたのでまた近いうちに作りに来たいですね。これからは葬儀や法事を始め、追悼法要や慰霊祭などお念珠を使う機会も多いでしょうから、一緒に作ったものを使ってくれたらうれしいです。どうせなら略念珠を一緒に作ってみても面白いかもしれません。

2011年7月27日 女川第三小学校その1


今月はかなりバタバタした。

個人的な話だけど、地域の祭りが24(日)、25(月)。

初日は神輿とすずめ踊りのコラボなので地元は大盛り上がり。

毎週日曜の練習とその後のお天気祭り(晴れを願って飲んじゃう会)。

当日はブラスバンドの子どもたちに混ざって演奏もさせてもらった。



もちろんお寺の仕事もある。家族とも出かけたい。地域との関わりも増えてきている。

たまに「毎日BOP活動してるんですか?」と聞かれるが、さすがにそれは無理。

いろいろバランスをとっているつもり。つもりではいるけどBOPで様々な忘れ物をしたり、地元で約束していた仕事を忘れたりと時々ぼろが。そもそも忘れ物が多いのは否めないけども。

飲まなきゃいいんじゃない?という意見も。耳が痛い。体重もだいぶ増えてきた。



こどもたちのことも気になっている。

福島では学校にエアコンをつけるという。宮城でも学校のプールにかぶせておく大型のブルーシートが検討されている。

BOP活動に一緒についてきた福島メンバーのお子さんが「なんで窓あけるの?」と聞いてきた車内での言葉。仏青メンバーの中にも自主避難している人もいるし、他の土地に家族を移す人もいる。

東北の子どもたちへの企画もたくさん寄せられている。

「郡上八幡・冒険キッズ」7/21~30・8/16~25、「北海道こども合宿」7/23~8/2・8/2~9、8/18~24、「同朋ジュニア」8/1~3、「キッズふくしまサマーキャンプインたかだ」8/2~6、「こども奉仕団」8/19~21、「お寺にとまろうイン兵庫」8/22~24、「同朋会館」8/25~27。



避難所にBOPのお話を持って行ったら「焼き鳥、食べないんだよねぇ」と衝撃的な発言。

「イカが食べたい」「かき氷がいい」。あ、明日なんですけど活動日。

いつも無理を聞いてくれる仏青会長がその日のうちに地元でかき氷機を確保。

チーム二本松がそれを運んで合流してくれた。

仙台の魚屋とおろし市場の氷を扱っているところを回って現地へ。

イカと一緒に魚屋で買ったアユ(ワタをとらなくていいので)、「震災後に魚食ったの初めてだ」。

喜んでくれた。イカもかき氷もなんとか声に応えることができて、喜んでもらえてやっぱり嬉しい。



いろんなことがある中で、いったい自分に何ができるのか、どうしたらいいのか実はさっぱり分からない。

どうしたいかさえもその時その時で変わるし、はっきりしない。こんなんでいいのだろうか。

ずっと非日常だと感じていたけれど、これは震災を通して変わった私の日常なのかもしれないとも思う。

これは普通じゃない、へこんでしまった普通をとり戻さなくっちゃと思ったけれど、あの頃の普通に戻るというよりこれからの普通を新しくつくっているんじゃないかなぁ。



本当は7月27日の報告を書こうと思って書き出したのに、もう繋げようがないのでせめて写真だけでも。

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2011年7月24日の報告

07/24(日)第39回BOP
①24日は美里町南郷体育館で活動しました

メンバーは、Kちゃん、K、Iさん、Mさん、Aさん、Sさん、Hさん、Tさん、Nさん、Mさん、Tさん、Sくん、Kさんです。Kさんはその日、休みの予定でしたが無理を聞いて来てくれました。早朝、Sさんが佐世保ステップワゴンに物資を積んで別院まで運んでくれました。

9時別院に集合して積み込みの作業に。予定より早く積み込みが終わったので、若林のお寺さんを視察しつつ買出しへ。別院に戻ってきて昼食後、12時半くらいに美里町に向けて出発。予定の14時半前に到着しました。その後、体育館に向かい15時に到着。バザーの準備をしつつ、念珠作りをしました。
予定では17時にバザー開始でしたが、近くでボランティアさんたちが焼肉を振舞っており、そちらに人が行って体育館にほとんど人がいなかったために急遽18時から開始することに。
この土日で仮設に移動した人や仮設に移動するために物を運んでいる人もいるみたいで避難している人も減っているみたいですね。今は40人強くらいの方がいるそうです。19時半くらいに撤収を開始して20時半くらいには体育館を後にしました。その後、近くにある居酒屋で食事して現地解散。チーム福井、Mさん、Tさんとお別れをしました。
次来る時は仮設に移ってからかなと思います。それにしても前回来た時はものすごい勢いで物資がなくなりましたが、今回はだいぶ大人しめでした。人数的なこともあるのかもしれませんが、初めてと二回目ってこともあるのかもしれません。ちょっと驚きました。
ということでお疲れ様でした。

②Mさんと少年、かくれんぼ中。

③バザー開始直前、お父さんが狙っているタオルケットの前に陣取っています。この後、無事にお父さんはタオルケットをゲットできました。

④届いた物資の中に手作りの帽子がありました。袋に入った飴が帽子の中に入っていてメッセージも添えられていました。Aさんとすべて同じことが書いてあるのか気になり、一つずつ見てみたらそれぞれ別なメッセージが書いてありました。
「物」を送ってるんではなく、「想い」を届けてくれているんだと感じました。感動しました。
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2011年7月23日の報告

①23日は石巻市雄勝町にある名振コミュニティーセンターに行きました
メンバーは、K、Iさん、Yさん、福井からSさん、Hさん、富山からTさん、能登からNさん、東京からMさん、Tさん、Oくん、Nくん、午前中の積み込みにSさんが来てくれました

8時に別院に集合して積み込みの作業に。早めに終わったので9時過ぎくらいには出発。
途中、買い出しや被災地視察をして、予定通り12時半に到着
早速バザーの準備に取り掛かる。会場はコミュニティーセンター内でしました。開始は14時です。バザーの準備中に大きな揺れがあり、騒然としました。
バザーには述べ30人くらいは来たでしょうか。27戸の仮設なので一世帯に一人くらいは来てくれた計算になります。事前に代表の方が呼びかけてくれたおかげでしょう
その後、様子を見ながら念珠作りに。Sさんが、略念珠の編み方を知っていてうまかったです。全体的に残ってくれて大人数で念珠作りができました。
その後、お茶とお菓子を出して、茶話会に。色々お話しました。
それから撤収開始してその場を後にしたのは17時くらいに。帰りは被災地視察組みと直帰組みに分かれて、最終的に別院に到着したのが20時くらいになりました。
その後、懇親会がてら居酒屋に。IさんがTさんを誘ってラーメンの梯子をしたのは驚き。かなりTさんが参ってました。

仮設にいる人に「他に何か必要なものはありますか」と伺ったら「収納する物置が欲しい」と言っていました。14間くらいの大きさの物置を造ってくれたら助かるそうです。と言うのも、ここだけではないと思いますが、仮設の部屋がすごい狭いのです。二部屋や三部屋ある世帯もありますが、一部屋を丸々物置代わりに使っているということもお聞きしました。だいぶ窮屈な思いをして暮らしているみたいです。なのでバザーで物をもらっても置き場所がないそうです。靴置き場も無いらしく、木材を使って、自分たちで作っているというお話を伺いました。
さすがに物置を造ることは容易ではないので、約束はしてきませんでした。しかし、次の日に偶々、東京から来たMさんが大工さんということが発覚。早速、そのお話をしたら簡単に作れるそうです。また協力するとも言ってくれました。ただ家が東京ですのでわざわざ来てもらうのは申し訳無いと思っていたんですが、時々仙台には来るみたいなので仙台に来る時にはご連絡頂けるそうです。
ということでお疲れ様でした

②念珠作り中。他教区の方も一緒に覚えてくれました。

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2011年7月20日の報告

07/20(水)
久留米から送ってもらった団扇キットにKさんがBOPマークをつけてくれました。
オリジナル団扇、バザーで配ります。

今日、Iさんと女川に物資を届けに行きました。その後に23日の活動のアポを取りに行きましたので報告

数日前にIさんに女川第三小学校に避難しているSさんより物資のお願いがありました
要請があった、衣装ケース五個、布団圧縮袋MとLを五つずつ届けました
8月3日に稲井にある仮設に移るそうです

続いて雄勝町にある避難所、名振コミュニティーセンターに23日のアポを取りに行きました
名振コミュは今は目の前に仮設ができ、そちらに移りました
仮設は27戸で50人くらいの人が住んでるそうです
代表の方の仮設におじゃまをしてお話を伺いました

物資で欲しいもの
扇風機20台(7台は既に届いてる)
カラーボックス27個
ハエ叩き27個

だそうです。基本的に戸数分(27戸)欲しいらしいです。カラーボックスは揃えられたらということでお話ししました

おもしろい事を聞きました。震災後、何もなくなりお母さんたちが時間つぶしに折り紙を折っていたそうです。それを見ていたあるボランティアがミサンガの作り方を教えてくれ、それを販売しないかと教えてくれました。復興資金ということも含めて一個1000円で八月にあるロックフェスティバルというイベントで販売するそうです。
ミサンガの紐は漁に使う網でとても頑丈な物で編んでいました。カラフルな色で作り方に創意工夫がされていてとてもお洒落でした。
「ミサンガは切れたら願い事が叶うらしいけど、釣り糸では中々切れないね」と笑ってました。
お母さんたちが空いている時間をみて内職をする。それを少し高めに買ってもらって復興資金に充てるって発想がおもしろいなと思いました。僕たちにも何か応用できないかとIさんと話してました。

ということで23日は名振コミュで無料バザーと念珠作りをします

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2011年7月19日 相馬市の仮設住宅にて念珠づくり

 7月19日。相馬市北飯渕、仮設住宅にて念珠づくり開催しました。
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 この場所では初めて行います。そして今回は腕輪念珠の他に、手に持つタイプの念珠を編めるメンバーも同行しました。事前に告知ポスターを貼らせていただいていて、仮設住宅に設けられた集会所に私たちメンバー5人が到着した時にはすでに15人程のお母さんたちが机を囲んで待っていてくれました。

 様々な種類の珠を机に並べ、メンバーはバラバラに座り、各自さっそく念珠づくりを開始。私は初め3人のお母さんと一緒に作り出しました。「派手なのが大好きなの」と言って金と銀の珠だけを繋げるお母さん。「私分からないから全部選んで」と言って、私に色を選ばせてくれたお母さん。「ひ孫にあげるんだ」と言ってかわいい珠を繋げる、威勢のいいお母さん。

 3時間くらい私たちはそこで念珠づくりを行いました。たくさんの方が入って来て参加してくれました。お母さんたちは「たのしいね」「また来てね」って言ってくれました。わたしも初めて会う方と一緒に、こんなにもたのしい時を過ごせるのが嬉しかったです。

 そして楽しい時間と同じく忘れられない事は、念珠を作りながらの生の会話です。
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 私の横で一緒に念珠を作っていたお母さんが、隣のお母さんに目で合図をしながら「このお母さんは家族7人だったけど、このアレで5人亡くしたの」と教えてくれました。このお母さんと言うのは、派手なのが好きで金と銀だけで念珠を繋げていたお母さんでした。
途中小雨が降りはじめ、慌ててこどもを屋内に入れたお母さんは「雨には当たらない方がいいでしょ」と言ってました。


 …また、念珠づくりに行きたいと思います。

2011年7月16日 東松島市の月浜避難所で活動をする

 今回訪れたのは東松島にある月浜避難所。再訪になります。
 今回のメンバーは仙台仏青、チーム二本松、チーム久留米、東京、教務所の方、支援センターで行いました。P7160008.jpg
 午前中に積み込みや買出しをしてからの出発。完了後出発して、到着は15時頃でした。到着してすぐに炊き出し班、バザー班、カキ氷班、念珠作り班に分かれての作業に。カキ氷は避難所の方から食べたいとの要望があり、急遽チーム二本松からお借りして実現しました。初めての試みになります。氷は被災地に向かう途中で氷屋さんから購入しました。到着してすぐに作り始めたんですが、人気がありましてどんどん提供できました。カキ氷片手におしゃべりしたり、バザーの準備を見学したりしながら、おいしそうに食べていました。炊き出しやバザー開始までの時間に食べてもらうといい感じです。また暑いので水分補給がてら、休憩がてら僕たちも頂きました。

P7160010.jpgバザーも到着と同時に準備に。バザーの方は衣類が人気がありました。Tシャツも人気ありましたが、パンツも人気がありました。丈の長さやウエストの太さもあるので上着よりもフィットするのが少なく、中々体にあったパンツを提供するのが難しい部分があります。なのでウェストはゴムで伸縮が利く素材だと手に取りやすいようです。下着も人気があります。サイズはLかLLが多いようです。僕の感覚ではMが人気あるのかなと思っていましたがMは小さいと思われる方も多く、またゆったり着たいということで少し大きめのを手に取られるみたいです。他には靴も人気がありました。避難所の方の足元を見るとサンダルの方が多く、聞くところによるとそれしか持っていないそうです。次回は今回を踏まえて必要なものを揃えたいと思います。
P7160006.jpg 念珠作りも好評で今回は体育館の中で作らせて頂きました。腕に何個もつけてる方もいて大好評でした。
今回の炊き出しのメニューは焼き鳥とキャベツの千切りとイカ焼きと鮎焼きです。イカ焼きは避難所の方からの要望で準備しました。キャベツの千切りは午前中にチーム久留米と切ったものです。当初は多めに100人分を用意しましたが、渡し始めると売れる売れる。あっという間に完売になりまして大急ぎでイカを焼き始めました。それで僕たちの賄いもすべて提供しまして何とか皆さんに行き渡らせました。また作っている傍で机とイスを用意し、アルコールも提供してちょっとした居酒屋風になりました。P7160012.jpg
 そんな中、あっという間に時間が過ぎ、19時くらいに撤収が完了して現場を後に。帰り際に酔っ払ったお父さんが「次ぎ来たら新鮮なアワビを食べさせてやる」と声をかけてくれました。また次も来いよよいうことでしょう。7月下旬か遅くても8月上旬には仮設に移動するみたいです。次回来るときには仮設にお邪魔する形になるでしょう。お父さん、アワビの件忘れないでね。楽しみにしてますから。P7160015.jpg

2011年7月13日 寄磯での活動


 今回訪れたのは石巻市にある寄磯小学校です。学校の体育館が避難所になっており30名くらいの人が今も避難生活を強いられています。
 今回訪れたメンバーは仙台仏青、チーム久留米、チーム高田、東京、チーム支援センターです。
 バザーと念珠作りを仙台仏青とチーム久留米が、炊き出しをチーム高田が担当して活動しました。

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 晴天の中、現地に到着したのが13時。到着後すぐにバザーの準備に取り掛かりました。
 この避難所で炊き出しやバザーをする場合は体育館に避難している人もそうですが、近所で自宅避難されている方にも提供します。ということで自宅避難されている方は15時開始、それまでの時間までに優先して体育館に避難されている方に見てもらいました。
 13時からの開始でしたかバザー品を出しながら見てもらうということで、現場は大混雑に。陳列をする暇も無く時間が過ぎていきました。結局は炊き出しがある16時までバザーをしました。体育館の避難所の方に優先してバザーをしたかったのですがその方法が難しかったです。今後の反省材料になりました。download-2.jpg

 チーム高田の炊き出しは、炊き込みご飯とポトフとキュウリ漬けです。ポトフをご馳走になりましたがとてもおいしかった。避難所の方にも好評だった模様です。
 バザー片付け後、少し休憩して引き続き念珠作りに入りました。場所は体育館の一角をお借りしてしました。バザーの時に結構子どもたちがいたので一緒に作ろうと思っていましたが、自宅に帰った後でした。後で思ったんですが自宅避難の子どもたちが学校終わりに寄ってくれたんですね。あの時に念珠作りをしてれば・・・なんて思いましたが後の祭り。それでも10名くらいの方たちが作ってくれました。

 前回も作ったと言うこともあり、子どもたちが作り方を覚えるのが早い早い。子どもたちに教えるどころか、いつしか子どもがスタッフに作り方を教えていました。まさに共同作業ですね。
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 そんな盛況の中、19時を向かえ外も暗くなってきたので店仕舞に。
 その後、避難所の方から新鮮なサーモンの刺身を頂いたのでビール片手にご馳走になりました。

 帰り際に子どもから「次はいつ来るの?」と聞かれました。被災地には僕たちを待っていてくれている人たちがたくさんいます。会いに行きたい。でも時間も人手もお金も足りません。限界があります。それでも待っていてくれる限りいつかは会いに行きたい。そう思いました。待ってろよ、少年・・・













2011年7月10日〜11日の報告

07/10(日)
今日は女川第三小学校と雄勝の唐桑地区避難所に物資をIさんと届けに行きました

午前中から買いだしに。ドライヤー、血圧計、アイロン、棚用の突っ張り棒などを購入しました。
扇風機も頼まれてたので買おうとD2やイオンやヨドバシやダイシンなどに行くもどこも売ってなく、困り果ててKさんに相談したら一緒に扇風機探しをしてくれました。
その後もリサイクルショップやコジマなどに行くも売ってなく結局は断念。
僕たちが仙南、仙台駅周辺で探しているのと並行して、Iさんが仙北や利府などを探してくれました
そのおかげで何とかサーキュレーター2台をゲット
二日前にD2で買った時にはまとめて10台買えたので油断してました
買える時に買ったほうがいいのかもしれません
買いだしに手間取り届けたのは夕方になりましたが無事に渡すことができました
第三小学校に避難している尾浦地区の人は7人くらいです
今回渡したSさんが毎回食事を作っているみたいで大変そうでした
今月中には仮設に移動するみたいですので引き続き支援をよろしくという旨の言葉を受けてその場を後にしました
また何かあれば連絡くれるそうです

次に訪れたのが雄勝の唐桑地区で以前に頼まれていたパソコンを届けました
このパソコンはKさんが交渉してくれて安く手に入れてくれました。
パソコンをお届けしたら上がらせてもらいジュースや果物をご馳走になりました
この避難所にいたTさんという女性の方が僕の渡した名刺に書かれていた僕のお寺の名前を覚えていてくれて実際にお寺まで来てくれたそうです
写メを見て驚きました
めちゃめちゃうれしかったです
丸森に来たついでに寄っただけと言っていたけど、ついでに寄れるほどの場所ではないのでわざわざ来てくれたんだなと思いました
この方も近いうちに雄勝にある林業センターという場所の仮設に移動するそうです
移動されても引き続き炊き出しなどをしたい旨を伝えましたのでまた連絡が頂けると思います

帰りに天雄寺というお寺を見てきました
このお寺は雄勝でも大きなお寺でそのほとんどが菩提寺になっているそうです
曹洞宗で檀家数は700もあり歴史があるお寺です
今回の津波では壊滅的な被害に遭い、実際に見ましたが本堂の見る影もありませんでした
再建の話もあるのですが檀家さんのほとんどが自宅を流されている中でそんな余裕はあるわけがありません
4ヶ月弱立つ今でも先が見えないという現状を感じました

①お届けしたパソコンとのツーショット



②ここ数年前に建てた山門です
使われている木材がすごい太かったです
回りが壊滅的な中、柱は倒れていませんでした



③これが本堂の屋根の部分かと思います



07/11(月)
河北町に行って来ました。
飯野川中学校は27人。昼間は数人のため炊き出しは難しいと受付で言われました。
以前活動させてもらった飯野川1小は約60人。こちらはぜひ、とのことで日取りとメニューをお伝えし、確認のため支所の福祉課(炊き出しの窓口)にいくことに。
結果からいうと今は炊き出しは断っているそうです。理由は人数が少ないため。
決して少なくはないけれど、無理も言えないので退散。

次に牡鹿半島に行きました。
寄磯小学校は仮設への移動も進んでおらず、今度炊き出しをさせてもらえることになりました。

昼1時頃到着で2時からバザー(体育館の中の人を先にしてほしいそう。)
様子を見て念珠つくり。
炊き出し:4時(周辺の人たちも合わせて200人ほど)、高田による炊き込みごはん、ポトフ、キュウリ漬け。

要望の品があります。バザーとは別にお届け。
・体育館用スリッパ(夏物)
男性用18女性用11
・包丁14
・出刃包丁14
・まないた8
・網戸の網
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2011年7月8日 水浜地区の仮設住宅

 7月8日(金)、水浜地区の仮設住宅へ行ってきました。前日人手が足りないとのお話で、急遽代休をもらい、参加に至りました(休みを取らないと参加できない体制もどうかと思うが)。
 朝6時半、德泉寺へ集合。誰も来ていないので駐車場で一服していると、中でI君とK君が朝5時30分から作業中とのこと。蛸を一口大に切り、生姜をみじん切りにして、醤油で味付けして準備完了。荷物を車に載せ、30分遅れで出発。

 女川を経由して現地へ。女川もあまり作業がはかどっていない様子でした。途中、石巻の地盤沈下が激しい地域を通り、家の門に並んである土嚢袋が痛々しく写りました。どのような気持ちで夜を迎えているのだろう…。

 色んなことを運転席のS君と話しながら、水浜へ到着。A君と入り口で合流し、準備開始。本日のメニューは50人分の蛸と生姜の炊き込みご飯と焼肉、サラダ。焼肉は私が担当し、隊長Kの指示で「壺付けかルビ」に決定。壺の中で焼肉のタレとカルビをコラボさせて網へ投入。いい感じに焼け、味も上々。途中、三条のOさんと名古屋のH君、Kさんが当日に急遽合流していただき、作業がスムーズに行くかと思いきや、問題が発生。近所の方も誘ったので、30人程増えて計80人分が必要になったとのこと。今から肉を買い足しに行けるようなスーパーもない。間に合わない思いつつ、とりあえずKさんに買出しに行ってもらい、ある材料だけで何とかすることに。download.jpg

 炊き出し中、ハエの大群に遭遇(水浜は、他の仮設住宅よりも少ないらしいが)。「ペットボトル式ハエ取りマシン」を即席で作成したが見向きもされず、彼らは食材へ一直線。原始的な方法ではあるが、粘着式のハエ取りをテントに吊るすのが一番効率的かと。人間のエゴで申し訳ないが、一番集まる場所で捕獲しておかないと、今後さらに増えて大変になるのでは?

 最終的には隊長Kの気配りと、主任Iの「恐ろしや、恐ろしや」の呪文に感化され、何とか80人分を準備。皆さんに「おいしかった。ご馳走様!」と声を掛けていただき、大変嬉しかった。我々の昼食は、元コックのOさん特製スペアリブとサラダ。焼肉と炊き込みご飯は少量しか余りませんでしたが、全部美味しかったです。

 後片付け後に法要。K君が前から希望していた東日本大震災被災者追悼法要が、会長さんのご好意により勤修できることになった。5人が装束に着替え、「表白・小経・短念仏・回向」の式次第の基、法要が勤修された。その後K導師による法話。「僧侶として何ができるのか・何をしなければならないのか」「結局自分は何もできない。でも、被災された皆様に何かをしたい」。ボランティア活動をしながら、自分の中で葛藤していたのだろう。法話を聞いていた参列者の方からも涙が溢れ、会場が悲歎にくれていく。
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 導師の話が終了した途端、会長さんが堰を切ったように話し出された。「私は、津波で兄弟を2人亡くしたが、今まで手を合わせる場所が無かった。今回、法要を営んでいただき、初めて兄弟に手を合わせることができて、大変感謝しております。ありがとうございます。」と涙ながらにおっしゃられた。被災された方には、手を合わせる場所すら無くなってしまった…。震災の現状について、あらためて実感させられた。

 その後念珠作りとバザー。バザーは人数が多いため、BOXティッシュは1人1箱、殺虫剤かハエ取りリボンが1人1個というふうに制限が付けられた。
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 後片付けが終了し、麦茶とバナナをいただきながら、お話を聞かせていただき、最後に「バザーは結構だから、また炊き出しに来てね。」と声を掛けていただいた。この言葉は、単に支援してほしいという意味ではなく、また遊びに来て欲しい、話をしたいという気持ちが込められた言葉なのではないかと受け止めた。真宗大谷派の寺院が存在しない地域で、東本願寺の名を定着させたのは、かなりの苦労があったと思う。仙台仏青の皆様の活動に、あらためて頭が下がる思いである。download-3.jpg
 全日程が終了し、大渋滞の中、仙台を目指した。途中の休憩箇所で、吉本天然素材よりも天然素材であるK君の天然ボケに困惑しながら德泉寺に到着し、後片付け後に反省会。会場を別院に移しシャワーを浴びて、また反省会。沢山反省して、また大きくなれればと思う。

明日も暑くなりそうである。この時期にカキ氷なんかも提供できれば、また喜んでいただけるのではないかと思う。

 単純に、少しでもいいから喜んでもらいたい、一緒に笑いたい。今回参加して、こんなことを思った。












2011年7月5日〜6日の報告

07/05(火)
32.5回BOPin大船渡

今回は聞き取りもセッティングもセンターのお2人におまかせの活動だったので遠慮して32.5回目のBOPという感じです。

7月5日(火)
後ノ入(のちのいり)公民館
地元の住職さん、坊守さん、門徒さん、町内の皆さんとチーム高岡、チーム長崎、支援センター、仙台仏青。
8時30分すぎに仙台の東北別院を出発。東北自動車道一関ICから陸前高田を目指す。高田から三陸道で大船渡。入り江の対岸、赤崎町の後ノ入へ。到着はお昼少し前。さっそくセッティング。

①愛のお米リレー。この米は仮設に移られた皆さん約100世帯に腕輪念珠などと一緒に一軒一軒配ります。

②さすがスタッフも地元どうしということもあって、皆さんきちんと列になって開始時間を待っています。その間に趣旨などをお話させてもらいました。
今回も無料バザー。個数に制限はないけど、一種類につきお一つでお願いしています。
ただし、次の日で賞味期限の切れるオレンジジュースが大量にあったので、それに限っては3つまでOKということで。大丈夫、すぐ飲めば。

③念珠処。三条からいただいた本念珠が喜ばれました。「流されちゃったからありがたいわ」と。
ご門徒さんも多い様子。今回は高岡にも長崎にも作れる人がいて大変助かりました。ありがとう。
かなりの日差しの中、汗をかきながらの腕輪念珠つくり。また来てほしいとの声。よし、Kくん(地元)まかせた。

④喫茶店。マスター、座ってます。

⑤帰りは陸前高田のお寺さんによって例のオレンジジュースを引き取ってもらって帰路に。
高田には震災後初めて行きましたが、何もなくなっちゃった、本当に何もなくて、瓦礫の山がものすごく高くて切なかった。

そのまま海沿いを気仙沼、歌津、志津川、登米と抜けて帰って来ました。沿岸部はやっぱりあまり変わってないです。特に気仙沼の火災のあった地域は、大形の船などもそのまま、冠水して道も進めずという状態。どうなっていくんだろう。
南三陸町志津川のビルの屋上にのってる車もそのままでした。


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2011年7月6日 美里町の報告

07/04(月)
宮城県美里町の避難所で
7月6日19:00~
バザーと念珠作りを行います!
私の住むお寺から車で5分くらいの場所にある町民体育館が避難所になっています。
現在は78人の方が住んでいます。
参加できる方ぜひ お手伝いお願いします!

07/04(月)

Sさんの報告どおり6日は19時から避難所でのバザーがありますが、それまでの間に集まれる人で集まって炊き出し(バーベキューetc)をしたいと思います。
今まではバーベキューといえばチーム二本松にお世話になることが多かったのですが、今後誰かが欠けても他の人がカバーできるようにということが目的です。
あと新メニューへの挑戦。これを踏まえた上で8日に雄勝に炊き出しなどの活動をしたいと思います。
炊き出しの内容は候補はありますが未定。
6日の午前中に買い出しや準備をします。
ということでよろしくお願いします。



07/06(水)

・炊き出し、新メニュー開発
①相変わらず買い出しの肉の量が多いです。タコと生姜の炊きこみごはん、美味しかった。
発火剤バージョンと薪をこまかくしたバージョンと両方で炭をおこしてみましたが、薪の方が断然早かったね。

②お寺の皆さんと念珠作りも。


・33回BOPin美里町
・7月6日(水)美里町民体育館。
③無料バザー&念珠。
仙台仏青6名、Iさん、Aさん、名古屋からOさん。
近所のご住職も来てくださってました。

④5時半頃に着いてセッティング。
7時からのバザーに早い人だと30分以上前から並んでくれてました。
現在70名以上の人が体育館にいて、仮設などへの移動を待っています。
お届けの品は9割ほど持って行ってもらえました。
体育館の中、暑かったです。

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2011年7月4日 牡鹿半島・大原中学校 \たちあがれ自分/


さてさて、冷やかし半分で始めてみたボランティア。

月曜日にワタシが行ったのは、宮城県・石巻市(牡鹿半島)の避難所。
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こちらは、昨年廃校になった大原中学校の校舎を使っています。

コチラを訪れるのは今回で2回目。

ちなみに、前回はみんなで肝だめしをしました。

ホンモノの学校でやる肝だめしは迫力満点。

さすがに子どもたちの前でコワいとは言えません。オトナですから ←

炊き出しの準備をしていると、中学生たちが避難所に帰ってきました。

ワタシが手を振ると、あれ?PON太さん!?(←仮名)と返してくれました。

ちょww 名前おぼえてくれてたのかww

\感無量/

土日に中総体をやったため、今日は振りかえ休日だったらしく、映画を観に行ったとのこと。

ちなみに振りかえ休日のことを「振り休」というそうな。フムフム。
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以下、中学生たちとの会話↓

中学生1 : きょうは『もしドラ』を観てきたんすよ(*^^)v
ワタシ:  も、もしや・・・AKBの前田敦子ファン!?
中学生1 : えへへ。 でも、本命は篠田麻里子っす!
ワタシ: ちょww よくわかってんじゃんか \やるな/
中学生2: ちなみに、オレはこじはるファンっす!
ワタシ:  却下!

と、こんな風にしばらくAKBの話題で盛り上がりました。

小学生1: PON太さん、もしかしてこのまえと同じ服装じゃないですか?
ワタシ: あれ?そうだっけ?
中学生3: それ一張羅ですかww ぷぷぷ

\バレた/
いやはや、細かいとこまで見てるもんですね。download-7.jpg

そういえば、避難所である体育館には子どもたちが遊ぶスペースがあるのです。

といっても6畳くらいのスペースに、コタツやテレビ、ゲーム、CDプレーヤーやマンガが置いてあるくらいなのですが。

まるで学生のたまり場のようなところです。

おもしろそうだなと思って、コタツを囲んで子どもたちとお話ししました。

好きな音楽のこと、学校の出来事、将来の夢などなど。

また、アニメの『けいおん』を好きな子たちが多かったのです。

中学生3: けいおんっていえば、やっぱあずにゃんですよね~
ワタシ: わかるわかる。
中学生3: そういえば、支援物資で唯チャンのフィギュア送られてきましたよ。
ワタシ: ゴクリ。。。それ頂戴よお~
中学生3: ダメですwww

そんなこんなで盛り上がったのですが、最後にポツリと一言。

中学生4: でも、10枚以上持ってたけいおんのCD、ぜんぶ流されちゃったんすよお~
みんな: だよね~。ハハハ

そんなふうに笑顔で話す子どもたち。

思わず苦笑い。一緒に笑ってはみたものの、どんなウマい言葉を返せばよいか分かりませんでした。

ヘタレです。\たちあがれ自分/

しばらく話してると、避難所のお母さんたちが煮魚を持ってきました。

今日収穫されたばかりの鯛とのこと。避難所には漁師さんが多いのです。

美味かった。こんな美味い鯛は初めて食べました。download-8.jpg

お酒を持って行ったため、避難所の方々を含め、みんなでベロンベロンに酔った状態。

ドライバーの方、ごめんなさい<(_ _)>

帰り際、また遊びに来てねと言われました。

また来ます、と言って避難所を後にしたのは21時すぎ。

大原中学校、なかなか印象深いところでした。また行きたいな。










2011年7月1日〜2日の報告

07/01(金)
水浜避難所のKさんより連絡がありまして、女川第三小学校の避難所で物資が不足してるので可能ならば連絡を取って欲しいと電話ありました。
今はその避難所には9名くらいいるそうです。
不足している物資をお聞きしました。
後また何かあったら連絡くれるそうです。
冷蔵庫があるみたいなので冷凍物も持ってくことは可能そうです。
物資は直接避難所に持ってきて欲しいということ。
来るときには留守にしている可能性があるので代表者の方に連絡くれとのことでした。
このことをSさんに連絡したら、ついさっき行ってきたと聞いてびっくりでした。

07/02 (土)
Kくんから報告がありましたが、保福寺さんにいた尾浦地区の皆さんが女川3小にいます。閉校になった小学校。
校庭に仮設が建っており、すでに移り住んでいますが、残った竹浦地区ともう一つの地区と尾浦の人たちが、他の仮設への移動待ちで避難所にいます。移動は7月17日(日)の予定。
今でも保福寺さんに朝のお勤めに行く人もいるそうで、炊き出しがあれば保福寺のご家族も小学校に来られるとのこと。
雄勝の水浜にいた自衛隊のお風呂部隊が撤収したので、シャワーはあるけれどお風呂はないそう。人数は少ないけど入りたい人はいると思うとSさんという女性が話してくれました。
以前つくった念珠を持っていてくれてた。

東松島の月浜は10日に仮設に移動予定。
福島から来た冷蔵庫と5kgの米30袋を置いてきました。

同じ宮戸島の室浜は、仮設建設中。7月末までに入居予定。ここも現在はシャワーのみ。炊き出しなら、ソーメンや冷やし中華がいいなぁとの声。
浴槽はあるけど、他の浜との兼ね合いで遠慮して使ってないんだそうです。
おにぎり、弁当、菓子パンが届くけど、味に飽きてしまっている様子でした。

美里のシャワーも6日までで撤収予定。ここも今月中にぜひ行きたいです。