2011年9月28日〜30日の活動

09/28(水)
前日27日の活動の後片付け。
仙台仏青I、東京のUさん、Oくんと。僕はおまいりの合間を縫って参加です。
サンマの香りが軽トラの荷台やバーベキューコンロやいろいろすごいので、
手分けして洗いに洗いました。
最後は運びやすいようにコンロ用の箱をダンボールで作成。
なかなかのできです。

09/29(木)
支援センターと仙台仏青Iは奥羽チームに合流。
宮古での炊き出しに参加しました。
チーム奥羽の主な活動場所は岩手県北部ということもあって、
なかなか全国からの応援隊も来られない様子。
人数がたりない時、仙台仏青も合同で行う方法もあるかも。

別動で仙台仏青Kと東京から来たUさんで、
雄勝の仮設と住宅、石巻市の仮設に物資を届けました。
雄勝の仮設には毛布、ペットボトルのお茶、
野菜ジュース、カレーレトルトなどを届けました。
雄勝の住宅地にはお米を届けました。
石巻には毛布を届けました。ここではバザー、炊き出しの要望もいただきました。

さらに別動で仙台仏青S、30日の買い出しです。
肉、焼き鳥、念珠のたま、毛布、つっかえ棒タイプの棚など。

09/30(金)55回BOP

牡鹿半島、寄磯の仮設にお邪魔しました。
ふたつの浜から26世帯。小学校にいた15世帯の皆さんも入られました。
今回の参加はチーム高田6名、仙台仏青2名、九州大学仏青寮7名、滋賀のHさん、
京都のNさんとNさん、山形のMさんとFさん、センター2名、Oくんの計23名。

朝、7時から積み込み等。高田は早朝から仕込みです。
現地へは昼頃に。
高田による足湯、喫茶、炊き込みご飯とみそ汁に加え、
バザー、念珠つくり、焼き鳥、焼肉を行いました。

①足湯、500Lタンクに水を入れてなんと高田から。
それをずん胴で沸かして、さまして提供です。かなり好評でした。

②チーム炊き出し準備(漬物お手伝い班)。
同時に足湯待ちの皆さんにお茶やお菓子などを出します。
足湯もゆっくりできるし、待っている間も喫茶で話したりできるのでいい感じでした。



③談話室をお借りして初の「有料」バザー。
1品50円でお1人4品までで行いました。
売上は現地に渡すつもりでしたが、自治会がないので支援品を買ってお届けすることに。
支援品なのになぜ有料なのかということがありますが、
「自立しなくては」「頼りすぎかも」という声があったり、
年配の人が貰い過ぎてしまった分を家に帰った後で若い世代が捨てるんだということも聞いています。
自立と支援、購買欲、プライドなどいろいろ悩むところです。

④炊き出しは4時半から。
仮設の周りからも来られているのでお持ち帰りの人が多かったかな。
以前小学校で飲んだおじさんたちはこの後御馳走してくれるとのこと。
高田はこの時点で泊まることが決定した模様。
毎回誘われるので実は寝袋持参です。

セブ島の水30パック(1パック1L×9本)や、
毛布を支援品としてバザーとは別にお届けしました。
この地域はほんの少し前まで台風15号の影響で断水していたそうです。
途中の道路も土砂の崩れた跡がけっこうありました。

⑤片付けを終えた談話室で宴会です。
浜の人たちは歌好き。
途中で帰ってしまって残念だったけど、高田は夜っぴいて飲んだみたい。
次の日の寄磯小運動会にも参加したとか。いい感じです。
次回は10月の25日にお邪魔する約束もしてきたとのこと。

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2011年9月27日 東松島市月浜地区にある仮設で活動する

今回は東松島市にある月浜地区の仮設で活動しました。仮設に移動後、初めての活動になります。34世帯、約100人くらいの方が住んでいます。

今回のメンバーは仙台仏青、チーム能登、チーム恒沙、チーム九州大学、東京から来られた二名の総勢25人で活動しました。

朝9時に別院に集まり積み込み開始。準備が整い次第出発。道中で買い出しや九大生のお迎えなどがあり、各々が現地に向かいました。

到着が13時くらい。到着後、代表の方とバザーの場所や炊き出しの場所を相談しました。講堂も使わせてもらい仕込みなどはここですることに。

13時半くらいからバザーの品だしを開始。人数が多いということもありスムーズに並べることができました。

それと並行して炊き出しの準備をします。チーム能登がメインで野菜スープとご飯を提供。それのサイドメニューでサンマや焼き肉や焼き鳥を焼きました。

バザーは15時から開始。生活消耗品を中心にレトルト関係の食品も人気がありました。その中でも一番人気があったのは毛布です。今の宮城は日中は半袖でも過ごせますが、夜や早朝になると10℃くらいまで下がりすごい寒いです。そろそろ寒さ対策を考えていかなければいけない時期なのかなと思いました。人気のある毛布に殺到しトラブルになりかねなかったので急遽抽選にすることに。14枚の毛布を17名で抽選しました。一世帯に一人ということでお願いしました。

そんなこんなで無事に終わり次は炊き出しの提供になります。提供時間は16時半からです。定刻になり少しずつ人が集まりだしたのでアルコールを出しながらお出迎え。17時くらいには大勢の人で溢れかえりました。能登の野菜汁こと能登汁やサンマ、焼き肉、焼き鳥など好評でほとんどが無くなりました。

18時くらいになり日も暮れてきたので少しずつ片づけ始めることに。月浜の人たちも手伝ってくれたのであっという間に撤収できました。

月浜の人たちは海苔を養殖している人たちが多いようです。帰りにお土産に頂きました。また養殖と並行して民宿を経営されている方も多いです。ある方は津波で全部持って行かれたそうです。浜辺を探して民宿の看板と家の大黒柱を見つけるのが精々みたいでした。その大黒柱を加工して机や何かに作るんだと嬉しそうに話されていたのが印象的でした。
またある方は位牌を見つけたといっていました。工事の方が瓦礫を撤去するときにとてもいい人で何か個人の物っぽいものが出てきたときに作業を中断して保管してくれたそうです。その中から位牌が見つかりました。「位牌が見つかった時は嬉しかったですか?」の僕の問いかけに「見つかった物の中で一番嬉しかった」と言っていました。傷ついたり、欠けたりした位牌らしいですがそれでも位牌には変わらないそうです。

宮城県は曹洞宗の地盤で家に位牌が置かれていることが多いです。日頃手を合わせている位牌が見つかることは何よりの喜びなのかもしれません。

また月浜のお母さんが「久しぶりに月浜の人がこんなに集まった」ということを言われていました。仮設に移り住みあまり家から出なくなったという話も聞きます。四畳ほどの狭い部屋に一日中いたら気が狂いそうになるという事も聞きました。孤独死の問題や自殺の問題も聞いています。炊き出しをすることにより偶にはみんなで集まってご飯を食べるのも一つの気分転換になるのかなって。仮設を出て外の空気を吸う動機になればそれは嬉しく思います。

仮設に移り住み数ヶ月。落ち着くところか次から次と課題が生まれます。お話を聞く中で教えられ、少しでも共有し僕に何ができるか考えたいです。






2011年9月26日の活動

深夜、小網倉から戻ってきたBOPP1号機のお掃除。
雨ざらしで泥だらけのためセンターの高圧洗浄機をお借りしました。
たまたま来ていた山形のSくん、大活躍。ありがとう。
3時頃にグループ恒沙が別院到着。夕方、27日に運ぶ品を積み込みました。
その後、炊き出し用のサンマの予約。肉、焼き鳥、念珠のゴムひも、炭など買い出し。
深夜、チーム能登が別院到着です。

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2011年9月25日 小網倉仮設で活動、その後大原の仮設へ

今回は石巻市牡鹿半島にある小網倉地区の仮設へ、そしてその後同じ半島にある大原地区の仮設へ行きました。

メンバーは仙台仏青、仙台仏青のバンドメンバー、支援センターで活動しました。
朝に別院で物資などを詰め込み、途中で炊き出しなどの材料を買い足し現地に向かいました。

まず始めに大原の仮設に向かい以前に約束していた水をお届けすることに。届け終わるとそのまま小網倉の仮設に向かいました。小網倉に到着したのは13時くらいです。
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以前に小網倉ではお風呂の常設をしました。仮設に移ることによりお風呂はお役御免になりました。小網倉の方よりまた別なところで使ってくださいと厚意を頂いたので今回はボイラーと浴槽を回収することになりました。ボイラーと浴槽以外はきれいに片づけてあり、その常設跡地に置かれていました。少し寂しい感じもしましたがこれも復興への過程なのかもしれません。それにしてもいつ振りだろうって思うくらいにお風呂セットを見ました。僕たちの原点がそこにあり、とても懐かしく思いました。

ボイラーと浴槽を積み終えたのが13時半くらい。仮設に戻り代表の方と打ち合わせをして無料バザーの準備に取りかかることに。バザーの準備中に「何か手伝うことはありますか?」と聞かれたので、それなら是非とバザーの陳列をお願いしました。ボランティアは提供する側、被災者は提供される側と境界線を作るのではなく、共同作業をする中でその境界線を少しでも薄くできたらなという思いはあります。なので遠慮無く手伝ってもらうことにしています。

バザーの陳列が大方終わる頃から念珠作りに移りました。いつもながら大盛況です。
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バザー開始は15時。その少し前に念珠作りを中断しバザー開始に備えました。最近のバザー物資は消耗品を中心に持って行くことが多いです。例えばシャンプーやリンス、洗剤などは安定して人気があります。逆に需要が少なく感じるのは食器関係や鍋などでしょうか。物資としての供給を長いことしており、消耗品でも無いので行き届いているような感じはします。また仮設の収容スペースの少なさから例えばお茶碗にしても二個も三個も必要ではないからです。また鍋なんかも常備してあるものや一回もらった人には需要は低い傾向にあります。ただみんながみんなボランティアが来たときにいて、もらえるとも限らないので少しは持って行った方がいいのかなとは思います。鍋でも圧力鍋は人気があります。料理のバリエーションが増えるからでしょうか。料理をあまりしない私にはわかりませんが、何回か「圧力鍋ありませんか?」という声を聞きました。

バザーの最中に隣の地域にある小渕という仮設に住んでいる方が来ておりました。「私たちのところには来てもらえないのですか?」と言われたので連絡先を交換することに。これもご縁ですからまた機会があれはお伺いしたいです。

そんなこんなで16時前くらいにはバザーは終了。片づけも仮設の方が手伝って頂けました。なのであっという間に終わりました。
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炊き出しは16時半開始。少しずつ集まりだしたので、まずはアルコールでお出迎えすることに。最近の炊き出しはアルコールを提供することが多くなりました。またアルコールは提供するだけではなく僕たちも一緒に飲んじゃいます。これも提供する側、される側と分けずに一緒に飲み交わすことが必要なんじゃないかなという思いはあります。

今回の炊き出しは焼き鳥とお肉、後は再度メニューに枝豆やトマトや漬け物などを用意しました。

盛り上がってきたところで今回一緒に同行してくれたバンドメンバーの演奏が始まりました。アコギ一つで歌を披露します。途中手拍子がでるなり、笑いが起こるなり、歓声が上がるなり大盛り上がりでした。

そんな盛り上がる中でしたが18時に近づき日も暮れ始め暗くなってきたのでお開きにすることに。ここでも仮設の方にお手伝いを頂けたのであっという間に片づけられました。
「10年振りくらいに(小網倉地区の人)みんなで集まった」という声を聞きました。僕たちが炊き出しをする事によって知らない内に地区の人たちのコミュニティーの場になっている。仮設に移り住むことによりコミュニティーが崩壊していく中で、炊き出しでみんなが集まって食べて、歌って、飲んで、笑ってそういう中に生きる元気だったり意欲だったり喜びだったりが生まれてくれたら嬉しいなって思います。

19時前くらいには撤収が終わり現地を後にすることに。それから約束していた大原の仮設に向かいました。近くに来たので寄らせてもらい一緒に飲む約束をしていたのです。
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代表の方とはお忙しくてお会いできませんでしたが、区長さんとAさんとがお出迎えしてくれて、Aさんの息子さんの仮設部屋でお酒を飲みながら語らうことに。ここでもバンドメンバーが来たということで歌を披露することになりました。四畳の部屋。ぎゅうぎゅうになりながらもみんなその歌声に聞き入ります。途中、仮設の方が涙をする場面がありました。歌に感動したのか、歌詞がよかったのか、目にゴミが入ったのかはわかりませんが確かにその歌声はみんなの心に届いたんだと思います。笑って、泣いて、歌ったって、叫んで、あっという間に時間が過ぎました。「会いに来たんだ」そこにはボランティアをする側、される側の境界線は無くただ親友と飲みに来た、そんな雰囲気が感じられました。
大盛り上がりの中、お開きになったのは22時半くらい。仙台に到着したのは24時を過ぎていました。


この様な活動を通して色々な人と出会える。大原の仮設の代表の方がテレビの取材でこの様な事を言われてました。「震災に感謝するわけではないが人とのつながりすごいありがたい」。みなさんも一緒に活動してみませんか?




2011年9月23日〜24日の活動

09/23(金)

お彼岸のおまいりが終わって20時頃から積み込みです。

センターの皆さんに手伝ってもらって行いました。
現在、別院本堂に置かせてもらっているセブ島の水(神戸の団体から頂いたもの)、

1ℓ×9本で1パックを1世帯にお渡しするとして約40パックを運びます。

運び先は25日にお邪魔する仮設です。

09/24(土)
午前中、炊き出し用の肉、酒、つまみ類など買出し。お寺の冷蔵庫につめておきます。
午後から、両ステップワゴンに積み積みにした支援品を別院2階へ(仏青メンバーのお寺から移動しました)。
夜にバンドメンバー、東北別院に到着。東京でのツアーを終えてそのまま東北入りです。






2011年9月17日の活動


51回BOPin新地
福島県新地町のグラウンド集会所へ。前日の場所からすぐ近くです。
参加はチーム二本松5名。現地復興支援センター2名。名古屋のバンドメンバー6名。
喫茶、居酒屋、バンド演奏。ラムネ、かき氷、ビールサーバー、焼き鳥、焼肉。
たりなくなったら現地調達でサンマとか焼いてくれたそう。3日間本当にお疲れ様でした。


52回BOPin牡鹿半島


51回と同時に別動隊は牡鹿半島へ。
小学校の運動会に参加してきました。
まったくの手ぶらです。レジャーシートくらい持って行けば良かったかも。
参加はOくん、Mくん、仙台仏青2名。
別院6時集合。8時半からの開会式に途中参加でギリギリセーフ。

①名物、ムカデ競走。
この他、ダルマをかぶって走ったり、借り物競走やおはやしによる獅子舞い演舞など個性的な内容で面白かったです。
助っ人でのぞんだ玉入れ(すごく高くてカゴが小さい)や綱引きではあえなく敗退。
漁師さんたち、強かった。
さお2本でサッカーボールを運ぶレースやグラウンドいっぱいを使って輪になって踊る牡鹿音頭にも参加しました。

②疲れてます。ややへこんでます。


③でも食べます。JA山形のごはんと芋煮、マスカット。
中学校の運動会でも一緒だった牡鹿ボランティアのフランクフルトとフルーツポンチ。午後は4種目。

④津波にあった小学校を中心に津波にあった地域をまわってみました。
小学校は初めて行った時から変化はなく、合併の方向の中、なかなか手が入らないのかもしれません。

⑤運動会はテントや土嚢、ブルーシート撤収でようやく活躍?できました。
その後、近くの仮設に寄って以前届けたけど壊れてしまった扇風機を回収します。

浜にも寄ってお風呂の様子など見てきました。
話を聞いてみるとお風呂1号機の回収をお願いされました。
そのままにしておくのも悪いし、有効につかってほしいとのこと。
次回、軽トラでお風呂とボイラーを持ってきます。

こちらの仮設には、まだ炊き出しなど来てないそうで歓迎ムードでした。
小学校の運動会で一緒に牡鹿音頭を踊ったおばちゃんたちとお話。
25日(日)にお邪魔させてもらうことに。ひどい雨の時は中止の予定です。

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2011年9月16日 50回BOPin新地  

福島県新地町の前田応急仮設住宅へ。
新地では海から一番近い仮設とのこと。
仙台仏青から5名。東京のMくん。二本松のKさん、Mくん、センター2名。
Oくん。名古屋からバンドメンバー含む9名。
ほぼ前日同様です。喫茶、居酒屋、バンド演奏です。
ラムネ、かき氷、抹茶、ビールサーバー、焼き鳥、焼肉。

①沿岸部はまだまだこれからという印象です。
海まで近づこうと思ったけど、どこも道路が崩れていて行けませんでした。

②何もなく、誰もいません。

③今回は談話室内での演奏です。写真はちょっと休憩中。
子どもたちが楽器を借りて構えたり、お客さんが弾いたりしてました。

④念珠コーナー、プレゼント バイ ダブルK 。ネックレスも人気。

⑤日も本当に暑かった。かき氷、偉大です。
近所の子どもたちも食べに来てくれました。

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2011年9月15日 いっしょに、お念仏を、となえましょぉぉおおーー!!!

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きーみょーむーりょーじゅにょーらいー♪ なんてすてきなこーとーばー♪
(帰命無量寿如来 なんて素敵な言葉)

9月15日(木)、相馬市で49回目のBOP。
名古屋の坊さんバンド、G・ぷんだりーかとのコラボ。
まず、迷った。工業団地内を探すも広すぎるくらい広い。ようやく見つけたと思ったら第1と書いてある。え、いくつあるの?・・・きょろきょろしながら順に移動、若干不審です・・・・・。なんと9つありました。一つの仮設に70~100戸。
本当に本当にたくさんの方々がおられます。
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久しぶりのチーム二本松と合流、喫茶やかき氷、くずきり、お菓子、ラムネなど。
チーム東京から託されたくずきり。前日の晩にゆでて、東京メンバーにすすめられたブルーハワイのシロップをかけて試食。・・・・三人中二人がアウト、やや怒りも込み上げている模様。
僕は大丈夫。全然アリだけど? 
その後、黒蜜をかけて食べてみると、これが正解だったと気づく。マンゴーシロップも試したが、シロップは無しの方向に決定。
抹茶は意外や意外、子どもたちに大好評。自分たちでやってみるのが面白かったのか、何度もたててる子も。
お茶飲んでお話ししながら、長崎から届いた子どもたちの手紙も読んでもらう。その後、九州へ返事が届いているらしい。よかった。
バンド、G・ぷんだりーかは二本松で演奏してからこちらへ。ブルーシートにドラムで電気を引っ張って野外即席ステージ完成。メンバーは衣にカラフルなたすきがけをしてそれぞれの楽器を手に演奏する。
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♪念ずれば花ひらく 不安に立つこの身のままで
♪念ずれば花ひらく 悩み多きこの身のままで

皆、聞きいっていた。最初は遠巻きに聞いてた人たちもだんだん輪の中へ。
隣の仮設の人たちも外に出てきて聞いてくれている。
夕方の演奏が終わると、だんだんと暗くなってきて、いい感じの雰囲気に。それにあわせて焼肉、焼き鳥、ビールサーバーなど開始。夜の部は居酒屋で。
学校が終わって子どもたちも増えて来たので、子どもソングもたくさん歌ってくれた。
僕らがいつもする炊き出しとは少し印象が違うのは、やっぱり音楽があるから。
皆、自然に集まってくるし、自然に足がとまっている。

ここは津波被害による避難というよりも、放射能による避難。本当は帰りたいけれど、帰っても店も病院もなければ生活は成り立たないし、放射能に対する不安も多い。
なんとか生活ができるように、誰かが動かなければと思って組長を引き受けたというAさんは僕と同い年だった。ここにも声にならない福島の声がある。
たまたま来なければ、こんなに広くて大きくてたくさんの声にきづかなかった。気がつかないままの声が今もきっとたくさんある。
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G・ぷんだりーかの『念仏ブギ』
「皆さん、いっしょに、お念仏を、となえましょぉぉおおーー!!!」
なーーむあみだーぶ なーむあーみだぶつ♪
なーーむあみだーぶ なーむあーみだぶつ♪
ぜーにんみょうーー G!ぷんだりーーーか!ありがとうございましたぁ!!


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2011年9月11日〜12日の活動

09/11(日)
今日、調査がてら妻と石巻市雄勝町の名振と水浜に行ってきました

10月8~10日に東京のMさんとTさんがこれる予定です。
その時期に以前に頼まれていた倉庫を造ってほしいというお父さんがいたので名振に行こうかと思います。
他教区からの来仙が無いので人数的には不安ですが、せっかく来てくれるので造る段取りを進めています。

その帰りに水浜に寄って来ました。会長さんは不在でしたが、副会長さんにはご挨拶してきました。
物資としては暖房器具を心配されていました。
寄り合いでも話題に上がったみたいでしたが、仮設は狭くて危ないので石油ストーブは使わない方向で考えているそうです。
なので、ファンヒーターやカーペットや小さめのコタツを考えているそうです。
また秋から冬にかけての掛け布団や敷き布団が足りないみたいですので、教務所にある在庫を見て持って行こうかと思います。
次に行く時には事前に連絡して必要なものを聞いてから行きます。

①写真は今度倉庫を造る予定の場所です

②倉庫を使ってくれていました

③秋鮭用に網を作り始めました。11月一杯が旬だそうです。

09/12(月)
石巻の仮設から毛布の依頼があり、お届けしました。
女川の避難所におられた皆さん。数がたりなかったのでまたお邪魔します。

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2011年9月9日 小野市民センターで物資支給のお手伝いをする

 その日の前日、仏青メンバーが調査がてら小野市民センターに寄ると「明日の予定どうですか?」とのお誘いが。物資支給のスタッフが足りなくて困っているらしく急遽、助っ人に行くことになりました。

 参加メンバーは仙台仏青とチーム支援センターです。朝、6時に別院出発。小野市民センターに到着したのが予定していた7時半ぴったりでした。到着するとすでに作業が開始されていました。

 作業は袋に物資を詰め込んだものを運んでいました。袋の中身は日常用品、男性用物資、女性用物資と分かれています。対象の人は小野地区の住民で仮設の方も対象になります。配布されたチラシを持参すると、袋詰めの支給品がもらえます。またチラシについている半券が抽選券になり、色々なクジが引けたりします。またセンターの中には私たちのする無料バザーみたいに衣類等が陳列されていてこれも配りました。まだ朝早いというのに、僕たちが到着した時には長蛇の列ができていました。

 配給開始は9時からです。その時点で400名以上の方が並ばれていました。流れ的にはチラシの受付→物資を入れた袋を配る→クジを引く→無料バザーをするという具合です。チーム仙台は袋詰めにされた物資を配る作業を担当しました。

 多くの人が並ばれていましたが、人数制限を設け、少しずつ流れてもらったので僕たちの目からは大きな混乱も無く配ることができました。

 一旦、客足が途絶え気味になったので11時に中締め。ここで僕たちはお役目御免になり帰ることに。この時点で800名位来られたそうです。人数が少ないと思っていたスタッフも全体で集まって見ると40名を超えるほどいました。思った以上に多かったです。

 帰る途中で昼食を取り、別院に到着したのが13時くらい。活動をしてこんなに早く帰るのは初めてじゃないかなとふと思いました。













2011年9月8日 目が合っちゃった

 奥羽のSさんから、7日に山田町で活動した後に8日に大阪の坊守さんたちと宮城に来たいと連絡があった。その日はあいにく活動がなかったので、気仙沼をまわってもらった後で東松島に一緒に行くことに。仮設に移ってからまだお邪魔していない宮戸の浜でお話しが聞けるかも。

 9月8日。午前中に前日の若林区でのBOPの片づけなどを行う。ネットで調べた南京結び(トラックなどに荷を結ぶ時に便利)の練習も。いつも適当に結んだり、できる人に頼んでいたのでこの機に憶えてしまおうと。これ、実は結構難しい。
 そんな感じでよそ事をしながらの片づけは何となく進みます。あ、発泡スチロールに角氷が! 
 天気もいいので、片づけもそこそこにしてかき氷大会開催。教務所員や会議で集まってきていた若坊守さんたちにも押し売り。やはり不動の人気No1はいちごシロップ。誤解のないように念のため言い訳させてもらうと、いつもいつもだらだらしてる(言っちゃった)のでは決してなく、前の月末から連続の活動の区切りがようやくついたので、若干のびのびとしているのです。普段はもっときびきびしてますとも。

 かき氷機をしまって午後から東松島に向かう。仙台東部道路(全体では三陸道と呼ばれる)は時期や時間帯によっては復興車両などで今も渋滞することがしばしばだけど、この時はスムーズに鳴瀬奥松島ICに到着。
約束まで間があったので、すぐそばにある市民センターに顔を出してみようかと。そこは6月末にチーム岐阜とチーム小松でお邪魔させてもらったところ。岐阜はその前日、牡鹿の大原中でBOPと宴会をしての連日参加、バザーや念珠つくりを担当してくれた。小松はなんと小松焼きそば協会のプロの皆さんも参加の名物「塩焼きそば」、これは本当に美味しかった。太麺と塩、デザートの白玉もいい感じで・・・、話がそれたけど避難所だった頃にお世話になった場所にもう一度寄ってみようと行ってみました。

 玄関を入ると何となく忙しそうな空気。皆、何かしらの作業、片付け?をしている。事務所へ向かおうと思ったその時、目の前で作業していた女性と目が合っちゃった。
「明日、時間ありますか?」

 え?・・・ええ、まあ・・・。以前、BOPの話を受けてくれた女性職員の方でした。挨拶もそこそこに話を聞いてみると、避難所は9月頭で解散して支援の品だけがたくさん残っている。そこで明日、小分けにした支援品を避難所におられた皆さんや地域で被災された皆さんにお配りしようと、自転車や電化製品なんかも抽選会をやっちゃおう、青空市(体育館内だけど)もやっちゃおうとのこと。「7時半の準備スタート時に10人しかいないんです。9時にはあと10人くらい来てくれるけど・・・」。し、7時半ですか。そうですか。そうですよね。来ましょう。

 その後、約束の合流まで沿岸部に行ってみる。ここは津波の水が引いたのが早かったのか、草の丈が高い。2mくらいの雑草が、人のいない家を覆い隠すように伸びてきている。
 大阪の皆さんと合流して、震災から線路の上で止まったままの仙石線の電車のそばまで。ここも線路が見えないくらいの雑草。後日、線路の雑草を刈るボランティア募集という話をちらっと聞いたが今はどうなってるのか。

 大阪の皆さんは仙台仏青ホームページやメーリングリストなど見てくれているそうで、「初めて会った気がしない」「こっちはもう友達ぐらいのつもり」と言ってくれました。遠くても気にしてくれてる人がいるというのは本当に心強い。山田町の仮設にいる皆さんとは文通しているそうで、中にはぐっとくる重い内容の時もあるけど続いてるとのこと。なるほど、そういう関わり方もあるんだ。

 浜の仮設では、談話室に世帯数分の水を運びいれる。神戸から届いたセブ島の水(1パック1L×9本を35パック)。そして民宿のロビーにお邪魔してご夫妻に震災当時の様子から現在の状況などお話しをうかがった。
BOPP2号機(常設お風呂)は取り壊さずに置いておいて、海水浴客のシャワー室として利用できないか検討してくれるそう。仮設には他の浜の人たちもいて、炊き出しもたまにあるとか。今年の夏は海水浴客はなかったが、被災した親戚や知り合いに会いにきた人が何人か宿泊されたようです。とにかく大阪の皆さんのパワーがすごい。だーっっとしゃべってたらあっという間にタイムオーバー。慌てて仙台空港に向かいました。

 次の日の市民センターでの活動予定を、すっかり休暇モードに入ろうとしていた支援センターのKさんに話したら「えーーーーー!?」という反応でした。だって目が合っちゃったんだもの。









2011年9月7日 仙台市若林区日辺地区の仮設に活動に行く

今回は若林区日辺(にっぺい)地区に活動しに行きました。

メンバーは仙台仏青、チーム東京、チーム金沢、チーム支援センター、そして海楽寺の坊守さんも参加していただきました。

今回行ったところは若林日辺グラウンド、通称ニッペリアというところです。閑静な住宅街の中にあります。戸数にして100以上、人数にして300人くらいが仮設住宅に住んでおります。以前に訪れた六郷中に避難していた人たちが住まれているみたいです。
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午前中に炊き出しの下拵えや無料バザーの積み込みを完了、といいますか僕はお昼から参加でしたので午前中の詳しい活動は割愛で(笑)

昼食を済ませ、13時くらいに別院を出発、13時半には現地に到着しました。

到着後、軽く自己紹介をした後にみんなでの集合写真を。
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その後、各チームが担当に分かれて準備をします。
かき氷を担当したのはチーム東京の女性二名。この日は天候もよく、暑かったのでかなりの数が出たのではないでしょうか。かき氷は人気があります。

今回はニッペリアにある集会場の様なところで活動しました。そこの表でかき氷や炊き出しを、中で喫茶や念珠作りや無料バザーをしました。

喫茶を担当したのはチーム金沢。和菓子や抹茶などで仮設に住む人たちとお話しながら頂きます。

かき氷と喫茶は到着後すぐに準備をして開店、またそれと並行して念珠作りと無料バザーの準備をします。念珠作りは主に仙台仏青が担当。数をこなしているからなのか念珠作りはお手の物でみんな作れるようになりました。念珠の準備をして、作り始めたのが15時。かき氷に並んでいる人たちを誘う作戦に。最初は疎らでしたが人がぼちぼち集まりだすと、それを見てか輪をかけたように集まりました。
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それと並行して無料バザーの陳列をします。今回は消耗品を希望されるとのことだったので、トイレットペーパーやティッシュボックスやラップや石鹸やインスタントラーメン、レトルトカレーなどを用意しました。開始時間は16時。開始直前には長蛇の列が。バザーをする上での注意点やお願いを説明して、いざ開始することに。案の定、室内は大混乱になりました。とりあえず、狭い場所に多くの人が集まったのでバーゲンセールさながらの勢いで物が無くなっていきました。大規模の仮設、無料バザーの難しさを感じました。
16時半からはお待ちかねの炊き出し。こちらはチーム東京が担当。メニューは中華丼やおひたしなどすべて手作りの料理です。特に中華丼はおいしそうだった。こちらも無料バザー同様に長蛇の列ができました。みなさん、ちゃんと整列してくれたので混乱は無く、スムーズに配膳できました。中には足の不自由なおばあさんもいたので仮設までの宅配もしたりしました。
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中華丼を人数分用意しましたが、最後の方に無くなってしまいました。それで結局は全員に配れないことに。聞くところによると、近所の人がもらいに来たりというのがあったりしたみたいでその分足りなくなったみたいです。どうしても仮設で何かをしていると人の目についてしまいます。「整理券を配っては?」との声も聞きましたが、現実問題どうなんだろう。試したことはありませんが、難しそうな感じはします。

配膳が足りなくなったトラブルともう一つ別なトラブルがありました。事前に炊き出しの開始時間を17時としていたのですが、窓口の方との相談で急遽16時半から提供することに。なので予定の17時に炊き出しを取りに来たら既に始まっていて、炊き出しが無くなってしまう事態になってしまいました。事前に提供の時間を周知している場合、この様なトラブルになるので今後気をつけなければいけないと思いました。

今回は大規模な仮設ということで色々と課題が見つかりました。次回以降に参考にしていきたいです。













2011年9月3日 つくって(焼き鳥)、走って(リレー)、食べます(かき氷)

 9月3日、47回目のBOPは牡鹿中学校の運動会へ。

 もとは鮎川中学校。寄磯中と大原中が閉校、3校合併して牡鹿中学校となったそう。

寄磯小の体育館が避難所の時、体育館脇のプレハブ(お父さんたちはなぜかサティアンと呼んでいた)で何度か宴会になったが、今思えばそこに寄磯中学校旗が掛けられていたっけ。

 大原中は校舎が残っていて谷川や大谷川からの避難所になっていた。

 校舎前のアスファルトの上で何度かBBQをしたが、先日の台風(お彼岸のときの15号のこと。現在10月、今ごろ書いてます)で入口の坂がくずれてしまったらしい。たしかにもの凄いひび割れで、車でおっかなびっくりまたいだのを憶えている。

 たまたま避難所の頃に知り合って仲良くなった人が中学校のPTA会長さん。それで今回呼んでもらえることに。今までお世話になったボランティアの皆さんにも参加してもらって子どもたちのために運動会を盛り上げたい、一緒に地域も盛り上げていきたいという思いを聞いてふたつ返事で参加です。
 もちろん中学校の運動会に屋台が出るのも、他の地域の人が参加するのも前例はなく、校長や会長、地域の皆さんの思いと勢いがあってはじめて実現したのだと思う。一応僕も仙台市内の小学校PTA会長だけど、前例にないことをやるのって本当に大変、たぶん歴史があればあるほど、ほんとけっこう苦労してるんですよっていうのはグチだけど、だから尚更すごいパワーを感じました。

 この時も台風が接近中(とてもゆっくりで各地に被害が)、予備日に4日、5日とあてていたけれど、ボランティアの皆さん(特に僕ら仙台仏青)に来てもらえるのは3日だけだということで、雨天決行!!?
朝、8時半からの準備に間に合うように早朝に出発。途中、海沿いの道を通ると海が荒れていて、車の屋根に波がふってくる。・・・これ、帰り大丈夫・・・?という一抹の不安がよぎりつつも中学校に到着。牡鹿ボランティアの皆さんがカレーや焼きそばを用意してくれるらしい。あとで食べに行こう。僕らが準備したのは焼き鳥、わたあめ、かき氷。・・・この天気でかき氷?

 校庭に万国旗はなく、代わりに大きな大漁旗が連なっている。子どもたちのソーラン節の演技の衣装も大漁旗で作ってあって勇ましくてカッコいい。船を新しくすると、関係する人たちから旗が送られてくるので、古い旗は学校に寄付するそう。同じ宮城県なのに初めて聞いた。
 聖火点灯(つかなくて仏青ガスバーナーが出動したのは見えてても内緒)やかなり今風なお笑いなどを取り入れた応援合戦、激しすぎる競技など、雨の中でドロドロになりながら進行。ソーラン節もアンコールが入ったりして、面白かった。後から聞くと、気の利いた先生はアンコール用に違う振り付けも用意するとか。・・・アンコール前提かいっ!!かなり好ましい。

 途中から晴れて青空も見えたため、かき氷も人気。走り終えた人が殺到してくるのはアツいから。でもシロップかけたら喉かわきますよ・・・。牡鹿のあちこちで出あった子どもたちが話しかけてくれた。憶えててくれて嬉しい。ほらどんどんわたあめ食べろ。

 地区対抗リレーに仙台仏青もヤング8名、アダルト8名を投入。皆、長くつやはだし、クロックスなどおもいおもいのスタイルでのぞむ。ぬかるんだコーナーでは転倒者続出。途中で長くつが脱げて靴下で走って行く人も。周りが大爆笑で見守る中、地元のチームが他を圧倒。だって中学生速いんだもん。PTA会長さんが優勝のテープを切った時に、グラウンドの内側を娘さんが伴走して一緒に両手あげてゴールしてたのが良かった。泣けてきました。

 震災後、生徒数はかなり減っているとのこと。でも、かなり元気が溢れてた、ほとばしってた。そしていろんな人がたくさん来ていた。「震災をありがたいなんて思えないけど、こうやっていろんな人に出会えて、たくさんのつながりができて、ある意味感謝してるんです。本当にたまたまなんだもんやぁ」。この日呼んでくれた会長さんの言葉。たまたまの出会い、これからも大事にしたいです。