2011年8月30日〜31日の活動

08/30(火)現地連絡会。
30夕方と31午前は大谷派「現地連絡会」。
東北と近郊の教区から集まったメンバーでこれまでの報告や情報交換、
これからの方向性について語りました。
話題の中心は放射能に苦しんでる人へのサポートだったように思います。
また、阪神、淡路に関わり続けている先輩たちは当時は仏青でした。
16年を経た今でも問題は起きてくるとそうです。関わり続ける覚悟についても語られました。
どこまでということは区切れないのかもしれないと感じました。もちろんできる範囲ですが。

08/31(水)46回BOP

牡鹿半島の小学校の避難所へ炊き出しとバザー、念珠作りに行きます。
参加はチーム高田6名、久留米7名、Yくん、Oくん。
あれ、仙台仏青がいない。今回は仏青会議のため準備のみでお見送りです。
それでもBOPと言い張ります(笑)。
バザー、すごい勢いで準備中にもう始まってしまったそう。
自宅避難の方たちがかえって困窮しているのかもしれないと思わされます。

仮設の説明会は9/2に伸びたためいつも通り小学校で。
全国からの皆さんと一緒に活動する時はなるべく前回来られた時と同じ場所に行けるようにと思っています。
高田の皆さんは住吉、飯野川、女川3小、寄磯と行ってくれてる場所も多いのですが、
今後もこういう形(仙台仏青不在)が増えてもいいのかも。
高田は次回炊き出し予定も直接現地と連絡を取ってくれました。

9月末にお邪魔する予定ですが、その時は仮設になります。










2011年8月29日 怒涛の三日間 倉庫造っちゃうよ 完成編

 この日は、名振での三日目の活動になります。そして今日で倉庫を完成させる予定です。
 参加メンバーは、仙台仏青、チーム久留米、チーム九短、チーム三条、チーム名古屋、チーム東京、チーム支援センターです。偶々ですが、かなりの大所帯になりました。


8時に別院に集合して、まずは無料バザーの品物を詰め込む作業をします。人数も多く、流れ作業であっという間に終わりました。昨日の内に無料バザーで欲しいものを調査しました。衣類系は、他の団体からの物資が届いているそうです。そして食器関係も以前にもらったもので充足しているそうなので、今回は消耗品、台所関係や洗剤関係などを中心に積み込みをしました。
積み込みが終わり、別院を出発したのが9時頃。またまた倉庫班と無料バザー班に分かれて出発しました。無料バザー班は今回、カキ氷を提供するために氷を調達してから向かいます。また倉庫班は前日で不足していた資材をホームセンターで仕入れてから向かいました。先に現地入りしたのが、バザー班。早速、カキ氷を準備し、道行く人に提供します。また30分ほど遅れて到着した倉庫班。丁度、時計の針が12時を指そうかという頃でした。到着後、大工さん一人、倉庫作りの準備に取り掛かり残りの人で、昼食の準備をします。が、前日にチーム能登が作ってくれたカレーとご飯を頂こうと思ったら、悪くなるかもしれないということで仮設の方がもらってくれてました。それで急遽、僕たちのご飯を作ってもらえることに。またそれに合わせて、昨日現地の人から頂いた銀鮭を炭火のコンロで焼いて食べることに。お父さんが、銀鮭をさばいてくれました。とてもおいしかった。

ご飯を食べてからは、また倉庫班とバザー班に分かれて作業をすることに。バザー班は昼食の片付けをして、その後は念珠作りをしました。前日もみんなで念珠作りをしましたが、昨日同様たくさんの人が来て賑わいました。
 一方、倉庫班は屋根造りを大工さんが、側壁造りを九短生が主に作業をします。また今回は九短生に京都の大学生も一人加わり作業に取り掛かりました。作業場の近くに沢水を引いた蛇口があるんですが、九短生や京都の大学生が水掛し合ったりしてました。また暑かったのかパンツ一丁で作業をし始めたり、他にもあんなことしたりこんなことしたりで和気藹々と作業をしていました。そんなふざけながら(?)作業する彼等ですが、いざやり始めるとまじめで、このビスを真っ直ぐ打つにはどうしたらいいかとか、自分たちで考え主体的に動いていました。大工さんも太鼓判を押すほどの手際の良さとチームワークであれよあれよという間にできあがります。見た目とは裏腹にまじめでホントチームワークが良くいい子達です。
 またそれと並行して、完成した倉庫に僕たちが造った証を残したい。僕たちが帰っても、それを見てもらえれば思い出してもらえる、そういう物を何か造りたいということで、倉庫にBOP君のマークを描くことにしました。薄いトタンをBOP君マークにくり抜き、その上からスプレーを塗り、波板にマークを描きます。このくり抜く作業が思いのほか苦戦することに。BOP君マークをA4の用紙にコピーし、それをトタンに写してカッターでくり抜くんですが、薄いトタンのわりに全然切れません。この作業は東京の方とチーム名古屋が担当してくれました。一時間以上は作業をしていました。
 その途中、倉庫に雨どいを付けたいということで雨どいを調達することに。丁度昨日、周辺を散歩していたら、そこの住人の人と出会い雨どいをもらう交渉をしていました。「どうせ壊す家だから」ということで昨日の内に了承をもらい、今日無断で取りに行くことに。人生初の雨どいを取る光景を見ました。大工さんが同行してくれ、それこそお猿さんのように壁をつたい屋根によじ登ります。そしてお目当ての雨どいを無事ゲットできました。
 その家の庭に一つの掛け時計が置いてありました。丁度、3時28分で止まっています。恐らくその時間に津波が来て、止まってしまったんでしょう。時間を告げる時計が、津波襲来の時刻を指している。名振地区の何もかもが変わってしまった瞬間でした。

その頃、念珠作りのほうは並行してバザー準備に取り掛かります。バザー開始は4時。消耗品を中心にあっという間になくなりました。名振から買い物に行くといっても近くて車で30分以上かかります。中には車が無い人もいて、いくら在庫があったとしてもやっぱり消耗品のストックは必要でしょう。これからの需要を感じました。
 倉庫の方はというと、先に側壁ができ屋根が上がり後はドアの部分のみになります。盗難が続いているということもあり、施錠付きにしてもらいました。またそれと並行してBOP君マークの吹きつけをしました。そして九短生は自分たちのロゴ、「九短佛青」の文字を一人一文字ずつ担当してペンキで書いていきます。ペンキで色々と描いているうちにドアも完成して、これですべでの作業が終わりました。
 「物置が欲しい」という何気ない一言から始まったこの三日間。最初はそんなことは無理だろうと思っていましたが、多くの人の協力で出来上がりました。色々な人と出会い、考え、笑いあいながら無事に完成まで漕ぎ着けました。
 作業中、九短生の一人が「地元に帰っても何かをしたい。例えば、コミュニティーセンターにあったようなメッセージを送ってはダメですか?」ということを聞かれました。彼等も自分たちで考え、何かできないのか色々と考えていたのでしょう。またこれからも色々な形でつながりを持てたらということも聞きました。翻って考えてみると、自分が20代前半の時に、例えば九州でこの様な災害があった時に、果たして自分はボランティアに行っただろうかと考えた時にまず行かないだろうなと思いました。そういう意味では、彼らがここまでボランティアに来ようと思った原動力は何だったのだろうか、ふとそんなことを思いました。
 それでも日本全国に被災地のために何かしたい、そういう悶々とした気持ちを持った人がいる。そういう話しはよく聞きます。それをどのように実現するか、形にできるかは縁次第なんだろうなと思います。そういう意味でもこのブログを見て、何かしたいという想いがある方は是非連絡してもらえたらなと。そして一緒に被災地の人に会いに行きましょう。必ず役に立てることはあります。一人でも一日でもやれることはあります。そういうことを思います。
 そういう意味では、僕は恵まれています。宮城という被災地のすぐ近くに住んでいて、仙台仏青という仲間がいて、ボランティアをする僕を支えてくれている家族がいる。そういうご縁があって僕は活動できています。僕たちの仲間でも活動したくてもできない仲間もいます。僕も状況が変われば身動きが取れなくなることがあるかもしれません。だからこそ、そういうご縁は大切にしたい。
 偶に「活動をがんばってるね」とか「活躍しているね」とか言ってもらえるけど寧ろ逆です。本来僕がしなければいけないことを、僕の父が、母が、妻がしてくれているから僕は活動できています。僕がしなくちゃいけないことを僕の家族がしてくれているから、支えてくれているから活動できています。僕の負担を僕の家族が被ってくれています。だからがんばっているのも、活躍しているのも僕ではなく、僕の家族なんです。表面的にはあまり目立たないけど、僕を支えてくれている家族の方が僕の何倍も苦労をしている、迷惑をかけている、そういうことを思います。ボランティアは本来、自分の余裕のある中でするのが普通なのかもしれません。だけどこれだけの規模の災害だとそれでは追いつきません。僕たちを待っている人たちがいる。その人たちに会いに行くには、それなりの犠牲や負担が必要です。もし、僕一人なら潰れてしまいます。だけど僕の家族が仲間が支えてくれてるおかげで活動できているのです。ボランティアに行けないからって劣等感を持つ必要もないし、たくさん行ってるからって優越感があるわけでもない。偶々、縁があったから行っているだけです。そして、そういう縁を作ってくれた家族や仲間に感謝しています。そして、これからも活動は続けて行きます。





















2011年8月28日 怒涛の三日間 倉庫造っちゃうよ 着工編

 この日は名振での活動、二日目になります。

 参加メンバーは仙台仏青、チーム東京、チーム能登、チーム久留米、チーム九短、チーム支援センターです。

 7時に別院を出発して一路、名振に向かいました。10時くらいに現場到着。到着後、倉庫班と炊き出し班に分かれて作業に取り掛かります。

 倉庫班はチーム東京の大工さんとチーム九短が担当します。まずは昨日買出しをした資材の加工に取り掛かります。その傍らで九短生が電気工具、インパクトの使い方の練習をしています。日頃使い慣れない道具、怪我だけはしないでね。

 その後、30分後くらいには加工が終わり、いざ倉庫製作へ。製作現場は車で5分ほどの場所にあります。元々、倉庫のあった場所でしたが今回の津波で流され、その跡地に造りなおす事になりました。大工さんの指導の下、木材と木材をビスで留めていく作業を、主に九短生が担当します。

 それと並行して進めているのが炊き出し班。今回は昼と夜提供します。昼はソーメンを作ります。これはチーム能登が担当。また仙台仏青やチーム久留米が炭火コンロで焼肉を提供します。提供時間は12時。チーム能登は事前に準備しているため、段取りがスムーズでした。また焼肉班も順調に進め、時間通りに提供できました。

 倉庫班が昼食のために仮設に帰ってくる途中に、一人の若い女性が防波堤の上で何かしていました。建設現場に向かう途中に瓦礫の中を一人、歩いている姿が気になっていたのを覚えています。彼女は徐にロウソクを取り出し、その防波堤の上に置き、線香に火を点けていました。大切な人を亡くしたのかはわかりませんが、弔いに来たのでしょう。その様な光景を今でも度々見かけます。

 仮設の人たちに食事を提供した後に、僕たちも同じものを頂いてから午後の作業に移りました。

 倉庫班は引き続き、木材をビスで留め骨組みを造っていきます。ここからはチーム能登と一緒に来ていた小学生も作業に参加。一人前に資材を運んだり、インパクトでビスを留めたりの作業を手伝いました。

 最終的にこの日は、骨組みを完成させるところまでいきました。明日、屋根を載せて、側面に波板を取り付ければ完成になります。

 炊き出し班は、昼食の片付けをして13時半くらいから念珠作りをしました。以前に訪れた時からまた作りたいということをお伺いしていたので、この時にも多くの人が集まり賑わいを見せていました。

 またそれと並行して、チーム能登の女性二人がマッサージさんということで、希望者にマッサージを施してあげることに。マッサージさんはどこに行っても人気です。マッサージさんから「みんな体のコリが酷い」という旨のお話を聞きました。仮設での生活からコリが酷くなったのか、精神的なことが作用しているのかわかりませんが、僕たちの見えない所にも多くの負担がかかっているのかもしれません。

念珠作りも終わり、その後夕食の炊き出しの準備に取り掛かります。夕食のメニューはチーム能登がカレーライスと中華丼を担当し、仙台仏青とチーム久留米がフランクフルトを焼きました。またお昼に残ったソーメンやネギなどの薬味を使いソーメンのチャンプルを作りました。これもおいしかったです。また一緒にアルコールやおつまみも提供しました。お酒を飲みながら色々なお話をしました。

 最近、他教区や他県の方と一緒に活動させてもらう中で考えることがあります。せっかく他教区や他県から来てくれるなら前線で活動してもらいたい。裏方の仕事や片付けなどは仏青が担当すればいい。もっと人と接して、そこで色々と感じたり、気づいたり、考えたり、笑ったり、泣いたりして欲しい。そしてその感じたことを地元に持ち帰って欲しい。僕たちにはできないこと、それは遠く離れたところに被災地の現状を伝えることです。それを一緒に活動してくれた仲間が伝えてもらえれば、復興の足がかりになるんじゃないかと思っています。風化させないためには伝えなければいけません。だけど僕たちでは人も時間も足りません。だからこそ色々と接して感じて欲しい、そして伝えて欲しい、その様に思います。

 明日で倉庫は完成になります。またそれと並行して無料バザーと念珠作りもします。また明日会いに来ます。












2011年8月27日 怒濤の三日間 倉庫造っちゃうよ 下見編

今回訪れたのは石巻にある名振地区。何度も訪れているところです。
前回訪れた時に仮設の方から「倉庫を造ってほしい」ということを言われました。最初は素人だしそれは難しいだろうと思ってたんですが、以前訪れた時に東京からボランティアで来て、一緒に活動した人が大工さんということが発覚。今回はその方にお願いして造ることになりました。
今回のところでは偶々相談されましたが、仮設での収納スペースの少なさはよく聞きます。山元町のある仮設ではわざわざ50万円ほど払いプレハブ倉庫を建て、三世帯くらいで割り勘をして使ってるということもお聞きしました。
これから秋になれば夏物の衣類や扇風機などをしまうスペースが必要になるし、寒くなれば厚手の布団を置くスペースも必要になります。
普段生活していてあまり気づきませんが、必要な物って結構多いのです。

ということで、本日は仮設にお邪魔をして倉庫を建てる場所や大きさや形を相談しに行きました。
今回、一緒に行動したメンバーは仙台仏青、チーム久留米、チーム九州大谷短期大学、チーム東京、チーム支援センターで行ってきました。
11時くらいに出発して到着が13時くらい。それから打ち合わせが始まりました。
名振の仮設はあまり離れてないところに二カ所あります。なので両方に四畳半程度の倉庫を一つずつ造らせてもらえないかと打診をしていました。しかし、打ち合わせの中でどうやら仮設のある土地には勝手に建ててはいけないということが発覚。それで急遽、津波で被害にあった倉庫跡地に建てさせてもらうことになりました。海からは近いところです。この倉庫は漁の道具をしまうのに使わせて欲しいとのことでした。後で聞いたら漁に使う道具などが頻繁に無くなるということがあるそうです。ブルーシートを被せて隠しても見つけて持って行かれる始末。そういうこともあって、鍵付きの倉庫を建設することになりました。大きさは八畳ほどで長方形型になります。
また倉庫造りの他にも炊き出しや無料バザーや念珠作りも並行してすることに。段取りや提供時間の打ち合わせをしました。
打ち合わせが終わりこれから資材の買い出しになります。仙台で待機してくれた仲間に連絡をして、利府のホームセンターで買い出しをしました。
軽トラに積み込み、他には炊き出しのお肉やアルコールを購入して帰路に。
明日から二日間、倉庫造りと炊き出しなどの活動をします。












2011年8月24日〜25日 掲示板からの報告

24、25日に岐阜に福島の高校生を迎えにIさんと行きました

9時に仙台出発。18時に山と川の学校に到着しました。到着後、翌日に高校生たちが帰るということでお別れ会をする直前だったようで、何もしていない僕たちも参加させてもらうことに。
内向的な子どもたちで最初はどうなるか心配だったけど、この十日間で変わったという校長先生の言葉が印象的でした。
10時くらいには解散して宿に帰りました。夜の1時過ぎまで高校生たちとしゃべって就寝。
次の日は7時に起床して朝食、8時に岐阜を出発。17時過ぎに福島駅まで無事に高校生たちを届けて解散。
Sさんと仏青会長もお出迎えしてくれました。また学校の先生や生徒、保護者の方も来てくれてました。

①写真はお別れ会直前の様子です。















2011年8月21日 掲示板からの報告 

08/21(日)
熊本のIさん、名古屋のNさん、センターのお2人と石巻、女川、牡鹿半島を回ってきました。
石巻港で降りてすぐの仮埋葬場には以前はなかった「撮影禁止」の大きな看板が。今は埋葬されてる方もいない様子で、プレハブだけが残ってました。

ひより山の南、たくさんの皆さんが墓所でボランティアをしていました。
さお石が倒れてどこかにいってしまったお墓の花筒にも(おそらくお盆で)花がそなえられていたのが印象的でした。


渡波、女川を通って牡鹿半島へ。
小学校の体育館はようやく網戸(くぐってはいるタイプ)がついていました。よかった。
24日に仮設住宅の説明会があるそうで、その後に詳しいことを決める予定ですが、31日にチーム高田に炊き出しの予定です。
仮設で行うか、体育館で行うかは24日以降に連絡を取って相談します(移動が済んでいるかどうかわからないため)。
現在は寄磯の14世帯、30名ほどの人がおられますが、仮設には前網浜の人たちも入って全部で32世帯になるそう。建物の数は34あります。

仮設に移った場合の要望をいただきました。
・たな(食器なども)
・げたばこ
・洗濯機の上に物をおくたな
収納がかなり気になっているようです。これらは実際に移られてから相談させてもらおうと思います。

あと、山ばかりで建物を建てる場所がないので山を削って人が住める土地を作ってくれるように訴えてほしい、呼びかけてほしい、と言っておられました。

①その後、津波被害にあった小学校に行きました。


②別の仮設にも寄ってみましたが、雨のせいか作業している人もなく誰にも会えませんでした。
浜でも会えなかったけど、いくつか変化がありました。まず、避難所の看板が下ろされてなくなっていました。
そして我らがBOPP第1号、とうとう役目を終えたようです。
いつも前の道を通ると昼間っから煙があがっていて、使ってくれてるなぁと思いつつ通り過ぎてましたが少し寂しいような嬉しい様な感じです。がんばった。
お風呂、その後処分に困るようなら引き取りにいこうと思っています。まだ連絡はしてませんが。
4号機は健在でした。その間くらいの場所に仮設が建っていて寄ってみたけど、こちらでも知ってる人には会えませんでした。


③別院に着いてから七夕飾りを撤収。
短冊は回収して持っています。





















2011年8月16日〜25日 岐阜県郡上八幡にて高校生に闘魂注入!!

さてさて、8月16日から25日まで岐阜県の郡上八幡に行ってまいりました。

今回は、福島の高校生が岐阜でボランティアをするということで、彼らの引率です。

あ、もう一度言いますよ!高校生の引率です (はぁと)

ワタシ →アラサー
高校生 →16~18才

ちょwwなんという年の差ww

おっさんキモイ!とか言われたらどうしよう。。。

そんなドキドキしながら集合場所の福島駅に向かいました。

お!いたいた。まずはひとりずつ自己紹介。

あれ?みんな元気ないな。下を向いて不安な表情。声も小さいぞ。

大丈夫かな。。。

見送りに来た高校の先生から、「よろしく頼みます!」なんて言われ、

内心こりゃメンドーなことを引き受けちゃったかなあ、なんて思ってしまいました。


まあ、そんなこんなで岐阜へ向けて出発したのです。

車のなかでは改めてワタシの自己紹介。

仕事を辞めて、いまはローソンでバイトしてること。
アイドルオタクであること。
年齢は20才であること ←

ちょっと笑わせてやろうとギャグを言うが、すべるすべるww

みかねた1人の高校生が、トランプやりましょうと助け舟を出してくれました。

みんなでババ抜きをして徐々に盛り上がる車内。

あぶねーあぶねーwww


10時間ほどで岐阜に到着。宿ではみんなでおしゃべり。

ちなみに、彼らの高校は全校生徒が100人くらいなので、みんな顔見知りとのこと。

さいきん流行ってること。学校生活。じぶんの趣味。将来の目標。

いろいろ話してみると、高校生は真面目だなあという印象を持ちました。

ベクトルがどこまでもまっすぐというか。

こんな素直な時代がワタシにもあったのだろうか、いや、ない (反語)

ちなみに、ある高校生からゼッタイ黒そうですよねw

って言われました。\バレちゃった/

間違ってもこんなオトナになってはいけません。

うん、ワタシに足りないのは白さだ。

そうだ、これからは純白なパンティを穿こう(ry



前回のつづきです。

今回ワタシたちは、岐阜県・郡上八幡にある『山と川の学校』(以下、山川)の

ボランティアに参加しました。

山川とは、小学生のこどもたちと川遊びをしよう!的な企画をしている会社です。

まず1日目は研修を受けました。

スタッフとしての心構え、川遊びの際に気をつけることなどなど。

川遊びと聞いて、当初ワタシは小川のようなものを想像していました。

なんていうか、せせらぎっていうんですか?カワイイものを想像していました。

2日目はOJT。スタッフとして実際に働きます。

子どもたちとともに、いざ川へ出陣じゃ!GO!GO!GO!

・・・。
・・・。
・・・。


ちょwwなにこの川!流れ激しすぎじゃねwww

こんなとこで遊ぶのかよ\(^o^)/

不安になるワタシ。

子どもたちに先駆けて、スタッフが川に入ることになった。

おそるおそる川に入る。

ワタシ : ちょwwつめ%&#”&%&

思わず、冷たい!という言葉が出かかる。

しかしとっさに、ここで子どもたちを不安にさせたら、ビビッて川に入って来なくなる。。。

そんな風に思ったワタシは

“ああ~きもちいいいい~~~\(^o^)/” 

そうです。完全に痩せガマンですwww

おそるおそるワタシのことを見る子どもたち。

“ほら、みんなも入ってきなよ。最高だよ! (はぁと) ”

ひとり、またひとりと川に入ってくる子どもたち。

ワタシ: ほらほら、早く入ってこないと水かけちゃうよおwww

キャッキャとはしゃぎ、川のなかで互いに水を掛け合う子どもたち。

福島の高校生たちをチラリと見ると、小学生と一緒にはしゃいでいる。

笑顔も出てきた。

ああ、よかったよかった\(^o^)/



前回のつづきです。

山と川の学校(以下、山川)には年間で1万人以上の小学生が訪れるらしいのです。

当初、親御さんに勧められたから遊びに来てるのだと思ってたのですが。

驚くことに、実際には子どもたち自身が「行きたい」と言って申し込むケースが

圧倒的に多いことが分かりました。しかも、ほとんどがリピーター。

小学生の1人は、自分でお小遣いを貯めて申し込んだと言ってました。スゲー。

ワタシは福島の高校生と同じ宿に泊まっていたのですが、

夕食の時間にそんな話をすると、ひとりの高校生が

”小学生には、イイ思い出作って帰ってもらいたいっす”

と言い、みんなで口々にそうだそうだと頷いていました。感心感心。

高校生たちと一緒に活動していて気付いたのですが、だんだんと

顔つきが変わってくるんです。

最初は何かモジモジしていて不安そうだったのが、2日3日と経つうちに

堂々として、自然に笑顔も出てくるんですね。

子どもたちと一緒に遊んでいる姿をみると、ただの高校生から

立派なおにいさん、おねえさんになったという印象を持ちました\(^o^)/

いやはや、すばらしいの一言です。


引率のワタシは学校の先生ではないので、高校生の自主性を尊重していました。

というとカッコつけた言い方ですが、基本的には放っておきました。

ただし、一度だけ夕食の時間に

挨拶はしたほうがいいよ~、時間は守ったほうがいいよ~的なことを注意したくらいです。

注意した次の日からは、さっそく5分前行動、そして大きな声で挨拶をしていました。

やればできる子ですね<(_ _)>

こんな素直なところ、すきです。


川では、大きくわけて3つの遊びをします。

①カヌーに乗る ②魚釣り ③タイヤのチューブに乗って、川下りをする

ワタシは、高校生の女の子とともに魚釣りの担当スタッフになりました。

ドキドキしながら、網の使い方やゴーグルの付け方、魚の取り方を小学生に説明する。

大丈夫だべか。。。

というのも、ワタシはこの日まで1匹も釣ったことがなかったのです。


高校生: 任せました。ぜひ魚を釣ってくださいね (笑顔)

ワタシ: お、おう! (ハニカミ)


他のスタッフからも、がんばれよ!とのお言葉。

ゼッタイ釣ってやる。意気込むワタシ。

開始10分後、高校生が1匹ゲット!

盛り上がる子どもたち。やるな!負けらんねえ。

さらに10分後、またまた高校生が1匹ゲット!

ちょwwwなにそれwwすごくねwww

次第に焦るワタシ。固唾をのんで見守る他のスタッフ。

しばらくして、またまたまた高校生が1匹ゲット!

しにたい\(^o^)/


こりゃマズイと思われたのか、川下りの担当になってくださいと言われる。

配置転換。あぶねーあぶねーwww

しばらくして、子どもたちと川下りをする地点まで歩く。

へっへっへ、川下りは簡単そうだな\(^o^)/余裕綽々のワタシ。

15分ほど歩いて到着。さっそく子どもたちと川に入る。


男性スタッフ: みんな、チューブは持ったかなー??


あれ?ワタシの分のチューブがないぞ?

男性スタッフ: オトナはチューブ無しで川下りしてもらいまーす! (笑顔)

はうあ!マジかよ。川の流れ、激しすぎなんですけど\(^o^)/

おそるおそる川に入るワタシ。

スタッフから、カラダを仰向けにして流れるようにアドバイスされる。

ゴクリ。。。。。

3、2、1、GO!!!

いきなり岩に足をぶつける。いてえええええ!

とっさにカラダを曲げてしまったため、全身が回転しながら岩にボコボコぶつかる。

ちょwww死ぬwww

もう。。。DAMEDA。。。。。

それからは、記憶にございません (BY 田中角栄)

下流までいき、フラフラになりながらやっとこさ岸にたどり着く。

楽しかったあ~!

子どもたちが、ワタシのところに来て口々に言う。

ワタシ: うん、最高だったね!またやりたいね\ハハハ/


オトナはときに、平気でウソをつくいきものです。


前回のつづきです。

さてさて、ワタシはときどき人から、無気力だね~と言われることがあるのです。

まあ、それは否めないのですが。。。

ただし、けっして人生には絶望してるわけではありません。

ふつうの人とは違う道を選んでしまったこともあり、

なかなか他人から理解されないというか、変人扱いされます ←

え?ゼッタイ変人だろって?? うるせー\(^o^)/

夕食後、高校生たちと部屋で談笑していたのですが。

数人ほど、中学時代に不登校だった生徒がいました。

訊いてはマズイかなと思いながら、理由を訊くと

先生とうまくいかなかった、突然学校に行きたくなくなった、などなど。

不登校ということは、その間ずっと家にいたということかな!

あれ?もしかして、3年半ほど引きこもってたワタシと同じ境遇じゃね。

おお、マイフレンド!なんだか、急に彼らにたいして共感してきました。


高校生の1人から、なんで仕事辞めちゃったんですか?と訊かれました。

彼曰く、ゼッタイおかしくないですか、ありえなくないですかと。

ふむふむ、彼は大学へ進学を希望し、将来は公務員を目指しているとのことでした。

ワタシは、在職中に申請書類を偽造しまくり、挙句の果てに
マスコミに取り上げられそうになって、もみ消し工作までした話をしました↓

なんだか世の中に絶望して引きこもったけど、AKB48のファンになってからは

希望が見えました (はぁと)

そんなウケを狙った話をしたのですが、まったく笑ってもらえなかったというww

\やっちまった/

誤解のないように付け加えますと、後日彼は、がんばります!と笑顔で言ってくれました。

他にも、将来はスポーツトレーナーを目指している高校生、レコーディングエンジニアを

目指している高校生、幼稚園の先生を目指す高校生、アパレルで働きたいという高校生。

目標に向けて走る彼らを見ていると、元気が湧いてきます。

先輩のお坊さんは、そんな高校生たちのことを シンプルな真っ直ぐさと表現していました。

ワタシは高校生の前では、闘魂注入してやるぜ!なんて強がってはいたものの

逆に、彼らから闘魂注入されて福島に帰ってきたのです。

これから(も)必死に生きなきゃなと思いました。

\ガンバルゾ/

高校生と10日間いっしょに遊んで、たくさんのことを教えられたのでした。

ありがとう。



















2011年8月17日 宮城県美里町避難所 解散

 8月17日、宮城県美里町の避難所が無事に解散しました。御支援くださったみなさん、本当にありがとうございました。美里町の避難所に避難されていた方は主に東松島市の野蒜地区の方々。避難所に指定されていた小学校にまで津波が押し寄せ、多くの方が亡くなられた地域でした。ご報告が遅くなってしまいましたが、仙台仏青ではこれまで二度、こちらの避難所にバザーと念珠作りでお邪魔しました!

 一回目が7月6日。この時はまだ70人以上の方が避難所にいる状態。日用品から食品、洋服等大人気でした。大勢いるにも関わらず、バザーが始まる時間まで、みなさんきちんと並んでくださいました。早い人では30分以上前から!!愛知からボランティアにかけつけてくれた方と一緒に活動。聞きなれない東北弁にちょっと戸惑いぎみでしたが、みなさんと打ち解けて頑張ってくださりました!!

 二回目は7月24日。チーム富山・能登・福井・東京のメンバーと一緒に活動!一回目に行った時よりも避難所の人数はかなり人数は減って48人ほどでした。そのため初回に比べて、バザーの品物を見に来られる方も少なかったのですが、その分、お一人お一人とお話をする機会があったように思います。

 あるおばあさんは、視力が悪く、二級障害者手帳も交付されているほど。にもかかわらず、なかなか仮設住宅があたらないとのこと。障害者優先と聞いていたけれど、現実的にはなかなかうまくいかないようなのです。

 一緒に念珠を作ったおばさんは義理のお父さんを亡くされていました。笑顔で念珠を作っていたけれど「お金も無いし、どうしたらいいか分かんないし、もう、津波がきても逃げねーわ。一緒に流されてしまいたい」って、ぐちをこぼしてくれました。大丈夫かな。元気にしてるかなあ。

 小学生の女の子は、小学校が津波の被害を受けて使用できなくなってしまったことを話してくれました。そのため東松島市役所鳴瀬総合支所で間借りをして授業を行っているそうです。毎日避難所からバスで通学。夏休みに入ってからはみんな遠くに出掛けてしまって、ちょっと淋しいって。念珠作り、一番作ってたんじゃないかなあ。最後には私にブレスレットをプレゼントしてくれました!!

本当にありがとう!!!!

 たくさんたくさん元気をもらった美里町避難所でした。役場職員の方、本部の方、本当に色々お世話になりました!

 8月17日で全ての世帯が仮設住宅、もしくは一般住宅への入居が決まり、避難所が解散しました。ただ、これで万歳!・・・ではなくて、これからの生活が大変だと思うのです。考えたくはないですが自殺や孤独死の話が各地から聞えてきます。実際、仮設に移ってしまうのは淋しいという方もいました。これからも引き続き、支援を続けていきたいと思います。
 避難所解散、これからが大きな課題です。











2011年8月16日〜18日 郡上八幡、冒険キッズ 掲示板からの報告

郡上八幡、冒険キッズに参加してきました。

15日(月)、盆まいり後移動、二本松に宿泊。

16日(火)、10人乗りの車を借りて早朝にHくんと福島駅に向かう。
高校生と8時半に集合。その後、岐阜に向けてひたすら移動。
昼食は新潟の柏崎。東海北陸自動車道に入ってからが渋滞、2時間近くかかったかもしれません。途中世界遺産の白川郷がちらっと見えました。到着は6時頃。

①郡上は徹夜踊りの最終日ということもあって大盛り上がり。高校生は翌日から現場ということもあるので無理せず宿で休憩。スタッフでずっと入っている二本松のKさんと合流して少し飲みました。

17日(水)、冒険キッズスタッフ研修。
「山と川の学校」校長のMさんからテキスト「ベーシック」を使ってのお話。今回の宿の愛里にて。
②山川の学校に移動して、コアスタッフのおやじ286からテキスト「サマー」を使ってのお話。おやじさん286歳らしいです。数え初めは277歳。

午後から実習。東海三県(岐阜、愛知、三重)を中心に毎日50人くらいの子どもたちが5~7団体くらい冒険キッズに来ている様子。
その子どもたちを1チーム5~6人のスタッフが迎えて、吉田川のそれぞれ離れた別のポイントで川遊びをします。実習内容は、実際に川遊びに参加。

カヌー、タイヤチューブの川流れ、チチコ(小さい魚)取りという中心になる遊びが三つあって、それを一緒に体験しました。
川の水はけっこう冷たい。しかもスタッフは子どもが流れないように川に入りっぱなしで見ているので冷えがかなりきます。でも子どもらはあがらない。楽しすぎてガタガタ歯をならしてても泳いでます。

撤収後、近くの公民館で着替え、おやつは完熟トマト。地元の施設を借りているので最後はトイレや部屋を掃除して帰ります。山川の学校に戻って片付け、ミーティングが終わると6時半頃でした。

③18日(木)、冒険キッズ。いよいよスタッフとして最初から参加です。
朝食後、宿から学校へ車で移動(山道で10km以上)。
8時半ミーティング。カヌーやチューブ、トイレ、食事用の机など用意。積み込みです。
高校生たちも各場所に3人ずつ振り分けられています。若干緊張気味。あとは現場に分かれてそれぞれ準備したあと、バスでやってくる子どもたちを迎えます。

全体的に準備と撤収が大変でした。
あとは、水が思ったより冷たくてしりごみする子どもたちより先に平気な顔で水に入り「気持ちいぃ~~~♪」と余裕の表情を見せるのが、けっこうきつかったです。ほんと冷たいんだから。

スタッフはニックネームで呼び合います。
④18日別れ際の写真。東北メンバーです。

後半の日程は24(水)まで。明日郡上を出て福島に帰ってきます。みんなたくましくなってるかな。夕方に福島駅で解散予定。



















2011年8月11日 子育てママにほっとできる活動を

 8月10日(水)東松島市矢本子育て支援センターにて、腕輪数珠作りの活動をしてきました。

 ここは以前、娘の通う幼稚園で集めた支援物資を届けに行った折、仙台仏青のチラシを置いてお話しをさせて頂いてきたご縁で、「子育て中のママにほっとできる活動を。」とご依頼をいただきました。

 いつものように無料バザーや炊き出しの傍らでの腕輪数珠作りとは違い、子育て支援センターの子育て講座の一コマとしての活動でしたので、みなさん小さなお子さん連れのママばかり。センターからのチラシを見て来てくれたという小学生の親子参加もありましたが、幼稚園にあがる前の子連れママがほとんどでした。

 スタッフは大人6人に子ども3人。参加者は20組ほどの親子連れでしたが、小さい子が多いため、ビーズの入れ物をひっくり返したり、ビーズを口に運ぼうとしたり、なかなか大騒ぎでした。私は途中から託児専門になって、小さなお子さんの遊び相手になり、本を読んだりままごとをしたりと、ママたちが腕輪数珠作りに専念できるように後方支援に回りました。2時間ほどの活動でしたが、お子さんの分、ママの分に加えて家族や友人の分まで作る人が多く、時間いっぱいいくつも制作を楽しんでらっしゃいました。割とみなさん、自分の子どものことを放っておいて数珠づくりに熱中していましたが、私も子育て中の身、ああやって同じママ同士、子どもを安心して遊ばせておける環境の中で、情報交換をしたり世間話をしたりしながら手元を動かして、日頃のストレスを発散しクールダウンしているのだなあと感じました。

 活動を終え、支援センターのスタッフの方とお話しをさせていただきましたが、「今までずっと暗い顔をしていた方が、今日は本当にいい顔をして制作していてホッとしました。」と涙ぐみながらおっしゃっていらして、被災地の子育て支援センターとして、どんなふうに活動して被災者を支えていけばよいのか、スタッフの方々も5カ月もの間、心を痛め続けていらっしゃるのだなあ、とこちらも切ない気持ちになりました。また「一度お会いして、お話しをうかがっていたから、どんな方たちなのか想像できて、依頼することができました。」とも言われ、大変でも足を運んで、顔を見せて、つながりを作っていくことの大切さも改めて感じました。



 支援センターの前は、東松島市のボランティアセンターの拠点になっており、グラウンドには大小様々のテントが張られていました。聞けば、多くのボランティアの方々のおかげで、東松島市では泥出しの作業がほぼ終わり、月末にはボランティアセンターを解散して、災害復興センターとして再出発するとのこと。「お盆が近づいて、またボランティアに来て下さる方が増えています。中高年の方が多くてびっくりしますよ。」とおっしゃっていましたが、お盆休みにわざわざ被災地へ足を運んでくださる日本中の善意ある方たちにもほんとに頭が下がります。

 私もやっぱり、できることをできる限り継続してやっていこう、と思いを新たにしました。



 後日、支援センターからお礼の暑中見舞いが届きました\(^o^)/。細かい心配りに、感謝感謝です。













2011年8月10日 掲示板からの報告

8/10(水)43回BOP in矢本
東松島市矢本子育てセンターの依頼で子どもたちと念珠つくり。
参加は仙台仏青2名+家族4名、Oくん、山形のFさん、東京のKさん。
危うくS家だけのところでしたが、おかげ様でピンチをしのぐことができました。
誤算は車の数です。
お盆休みによるボランティア渋滞&帰省ラッシュが起こっているらしく、仙台東ICまで並んでやっと三陸道にのったもののあまりの渋滞に一区間であえなく離脱。
その後はした道を進みます。あと40kmで残り1時間。微妙です。
Iくんのした道知識と鬼の運転で何とか数分の遅れで到着。いやー焦りました。
8時に出る予定が、チームS(うちの家族)のために30分くらい遅れたのがいたかった、すみませんでした。


20組くらいの親子、40人弱くらいの参加でした。
前日に仙台市場への七夕飾りのお礼として腕輪念珠を作成したりして練習にぬかりはなくスタッフ全員作り方はばっちりです。
しかしちっちゃい子はホントよくひっくり返します。あちこちでザザーー、ザザーーってなだれが起きてはお母さんたちの(そしてスタッフの)悲鳴がきこえてました。
10時すぎからお昼までの短い間でしたが、かなりのパワーを要しました。
子育てセンターのTさんが最後に「近所のお子さんが亡くなってずっと元気がなかったお母さんが今日はすごくいい顔してくれてた。よかったです」と言って涙ぐんでおられて、行けてよかったなぁと感じました。
過去には支援はいいけど、お母さん達に対して子育て論を説教し始めるボラんティアさんもいたそうで、「そ、それは頼んでないんですけど」と思うこともあったとか。
善意とはいえ、全然知らない人をお願いするのは難しいと話していました。
ここは東松島市のボランティアセンターが敷地内にあることもあって様々なお話があるけれど、この頃は少し選ばせてもらってるとのこと。呼んでもらえて良かったです。
要望のあったサイズのこども服だけ置いて帰って来ました。


③余談ですが帰りは35度強。月並みな表現ですが、超アツいです。
帰って来て速攻でコンビニへ氷の買出し。
この日は使わずに別院に置いていったかき氷機を出動。くりでかき氷大会勃発です。
当然のようにレインボーをつくるIさん。
教務所へも配達しました。
知覚過敏をうったえる列座、シロップなし(氷オンリー)をオーダーする主計、くせ者ぞろいでした。


④写真はリサイクル工作です。
9日は女川の体育館で活動、七ヶ浜に泊まって10日はそこで工作してきた愛知のボウイスカウトの皆さんの作品。
もう少し早く帰ってくればかき氷あったのに。
ちえの輪も挑戦させてもらいました。
けっこう燃えます。たぶん、置いて行ったので別院に行ったらやってみてください。



















2011年8月8日 大原中学校

牡鹿半島のだいたい真ん中くらいに位置する大原中。町場に避難していた人たちも仮設が建ったので戻ってきている。校舎におられた大谷川(おおやがわ)の人、体育館におられた谷川(やがわ)の人にそれぞれ戻ってきた人たちが加わって9世帯ずつ。泊、小積から4世帯ずつ。
3時頃に到着するとかき氷とバザーの話を聞いて外で待ってくれている人たちが。「お待たせしました。今準備しますね」。
木陰にある机といすをお借りして喫茶店。あわせてかき氷。着いた時は暑かったのにどんどん曇ってきて辺り一面に靄がかかってきた。あれ?ちょっと冷えてきてる?・・・少し寒いくらいかも。むしろ温かいコーヒーが大人気、はりきってかき氷準備したのでちょっぴり残念。
お茶菓子を食べながら歌(たぶん、さんさしぐれ)を歌い出すおばあちゃんも。みんなすかさず手拍子。夕方になってだんだんと人が集まって来る。

7月末、以前一緒にBOP活動してくれたスピリチュアルケアのIさんから連絡が入った。僕らとIさんを通して大原中に冷蔵庫を寄付してくれたグループの代表のシスターが自分もぜひ訪ねたいとのこと。まずは大原中に行ったことのあるメンバー中心に仏青内で相談するが、お盆前ということもあってなかなか動ける人が少ない。避難所にいた人たちは大原中敷地内に建てられた仮設住宅に移っているらしい。大谷川の区長さんに電話で聞いてみると、ちょうど谷川のMさんも近くにいて「土日より平日の方が人がいるから」という。平日ということになると、いつも活動に参加してくれるお寺以外の仲間たちにはきつい。うーん、なんとかせねば。
たしか今は夏休みだったはず。BOP参加経験のある大学生たちに聞いてみるが震災の影響なのかお盆直前まで学校があったり、帰省していたりでつかまらない。あと1週間、このままだと仙台仏青1名+Iさんたち数名に。それはそれで念珠キットを持っていけるけれど、せっかくだから全国からの支援品も運びたい。できれば炊き出しも。インターネットでも呼びかけてみる。そして困った時にばかりお願いしているおとなり山形にも泣きつくとすぐに声がけをしてくれた。
なんとフタを開けてみると仙台仏青が3名、東京から駆けつけてくれたKさん(寄磯以来2度目のBOP)、急募に応えてくれたチーム山形が4名、Iさんとシスターを含む4名でいい感じの人数に。よかった。これは本当におかげさま。これならバザーも、かき氷機も、念珠つくりもできる。Iさんたちは前回同様にコーヒーやお菓子で喫茶。BOPと言っても仙台仏青メンバーだけでの活動はほとんどないし、支援の品、活動費、バックアップなど、本当に多くの人たちに支えられていることをあらためて思う。というか、いろんな支えなしではまったく活動がなりたたない。本当に感謝。

バザーでは扇風機と九州から届いたゴザが人気。ここではいつも「男ものの大きいのがないんだよなぁ」とつぶやかれ続けて来たので今回は仙台で追加購入して自信満々で開店。「あれ、Aさん、早くいかないとなくなりますよ」「え?でっかいのあるの?あきらめてた」そう言わず、はやくはやく。
念珠つくりしながら孫が流されたと語るおばあちゃん。でも前にきた時よりお元気になられた様子。ホヤのたねつけが再開して、貝殻につけて12月に海に入れるらしい。作業できる、仕事ができるっていうのも元気のもとなんだろうと思う。しばらく話してから「あれ?あんた前にも・・・話聞いて泣いてくれた人だっけ?」。おばあちゃん、僕は最初から知ってましたよ。

ここではいつも最後に宴会。集会場に場所を移していろんな話をする。「お寺って変わっていいの?」「戒名っていくらくらいなんだ?」「おまいりどうしたらいいんだべ」。「こうやってしてもらってばかりで何にもかえせないなぁ」「甘えてばかりだと自立ができなくていつまでも甘えてしまう気もする」。「泊まってけばいいべ、泊まってけ」。
ここは焼酎を飲む人が多い。盛り上がってきて歌が始まった。何人か手をたたいていない人を見て、以前きた時に聞いた話を思い出す。「うちらの地区は亡くなった人がいて、本当はこういう楽しい時には歌が出て手をたたいてもっと盛り上がっていくんだけど、今は歌が出てもこれ(手拍子)がないんだ」。今回は帰りの時間もあって8時前には帰路に。最初にお邪魔した時からずっと編んでいた漁に使う網が完成して、試しに海に入れるという。気持ちはまだまだ時間がかかるかもしれないけど、仕事や環境はだんだんと動き始めている。今度は中学校の運動会にお邪魔する予定。




















2011年8月6日〜8日 子供ご縁忌「短冊」仙台七夕へ

七夕。節句の一つで本来、旧暦の7月7日を指していたが仙台では一般的に8月6日から8日までを七夕と称して街中はもとより、市内でも至る所で見かけます。震災で開催が危ぶまれた中、今年も昨年同様に様々な七夕飾りが街を彩りました。今年の七夕のテーマは「復興と鎮魂」。一日でも早い復興が願われます。

去る5月4日。東本願寺で子ども御遠忌が行われました。そこで日本全国から集まった子どもたちに被災地の子どもたちに向けてのメッセージを短冊に書いてもらいました。
それを仙台仏青がお預かりし、仙台の七夕で飾り被災地の人たちにその想いを届けたいという事で企画しました。
今回はそのお預かりした短冊を笹に取り付けに行きました。
短冊を飾る場所は仙台駅前から徒歩数分にある仙台朝市というところです。
ここは仙台空襲で焼け野原になった時に、初めて市場として食材を提供したことが起源でできたそうです。
今でも「仙台の台所」とよばれ、連日人通りの多いところです。
今回は御門徒さんがこの朝市でお店を出しており、ご厚意で飾らせてもらうことになりました。
用意していただいた竹二本に子ども御遠忌で書いてもらった短冊571枚をすべて飾りました。
8月6日~8日までの間に飾らせてもらい、その後東北別院に飾らせてもらうことになります。
余談ですが、毎年七夕の時期に朝市にはテレビ中継が入るそうです。門徒さんが話を通してくれてテレビでこの短冊を撮ってくれるようにしてくれました。6日の午前中にローカルでしたが生放送で放映してくれました。京都で子どもたちが書いてくれた短冊ということもお話してくれたので多くの人に見てもらえたのかなと思います。

















2011年8月6日 雄勝町の名振地区と女川町の稲井地区の仮設に物資を運びに行く

またまた名振地区と稲井地区に物資を運びに行きました。ついでに雄勝町にある林業振興センター傍にある仮設の調査に行きました。
同行メンバーは仙台仏青と名古屋教区の方です。
まず向かったのは雄勝町の名振地区です。前回お伺いした時にゴザの話をしたら是非とのことでしたので、今回30個ほど持って行きました。ついでにお米も五キロの袋を戸数分持って行きました。

仮設先でお話している時に、仮設での自殺者が宮城県で8名もあることを聞きました。中には孤独死もあったそうです。避難所から仮設に移り住むことで色々と精神面の負担や環境の変化による負担などがあるのでしょう。避難所で多くの人の中での生活がある意味での支えになることもあるんじゃないかと思います。それが仮設に移り住み、その支えが無くなる上に、つながりの断たれた慣れない仮設での生活。身寄りがいなければ独りで生活しなければいけません。将来への不安も考えずにはいられないでしょう。

ここではすぐ傍に名振コミュニティセンターという公的な施設があります。「仮設の狭い部屋に一日中いると精神的に悪いから」とある女性。確かに今回お伺いしたときも何名かコミュニティセンターにいました。日中には暇があればセンターで集まって世間話をしているそうです。仮設に移り住んで別々の生活をしていても孤立することがありません。少し顔が見えないと元気にしているか仮設に見に行くそうです。
今はあまり問題になってはいないのかもしれませんが、仮設での孤独死も考える必要が出てくるかもしれません。
今回は調査も兼ねて林業振興センター傍の仮設を見に行きました。今は30人ほどの人が住んでいるみたいです。炊き出しや無料バザーなど事前に連絡すればできそうなので候補になりそうです。


















2011年8月4日 山元町の仮設に物資を届けに行く

今回訪れたところは、山元町の山下第一小学校の近くの仮設になります。以前に山下第一小学校にはBOPで何度かお邪魔しました。仮設に移動したということで、久しぶりに今回お伺いしました。
ここの仮設は130戸あり、約400人ほど生活している大型の仮設になります。
今回持って行った物資は、扇風機77台、カラーボックス25個、ゴザ30枚、他には食料関係を中心に持って行きました。
お聞きすると、扇風機が物資で20台届いていたそうです。しかし、戸数分にしては全然足りなくてまだ配らずに保管していました。それでこれから扇風機を集めなければいけないと思っていたところに私たちがお伺いして、渡りに船で大変喜んでくれました。数は足りなかったけど家族数が多いとこから配っていくそうです。
仮設の代表の方が悩むのが平等性です。ある仮設では戸数分物資がなければ配るのに困るから戸数分欲しいということもお聞きしました。顔見知りの方が入居している仮設なら譲り合いもあるかもしれませんが、いくつかの地域が集まっている仮設ではトラブルになる可能性もあります。物資を渡すことによりトラブルを招くのは本望ではないので、代表の方とお話ししながらできる範囲でお届けすることが大事なんだと痛感しました。
避難所から仮設に移って結構経ちますが、仮設になってからほとんど物資が届かなくなったことをお聞きしました。以前までは物資として届いていたお米等が無くなり食料に困っているそうです。なので今回は食料中心に物資を届けました。今後、仮設では食べ物関係の需要が増すかもしれません。需要の品が最近変わりつつあるのを実感しました。


















2011年8月1〜3日 掲示板からの報告

08/01(月)
今日、山元町にある仮設に行ってきました。
以前に避難所になっていた山下第一小学校の人たちが移動した仮設です。
ここには130戸ほどの仮設があります。
物資を頼まれたので4日か5日くらいに持って行こうかと思います

扇風機、カラーボックス、ゴザ、お米やレトルトなどの食べ物を持って行こうかと思います
扇風機は今ある在庫全部持って行きます
カラーボックスやゴザは現物を見ての判断になります
お米やレトルトは教務所から適当数を持って行こうかと思います

①子ども御遠忌の短冊を飾る件の方も始動しています
Iさんが子どもたちが書いてくれた短冊のレプリカを作成してくれてます
雨風にさらされてもいいようにレプリカを飾ろうと思います
七夕の飾りはチームK家で作ります
家族が手伝ってくれているので助かります。
七夕を飾る竹はうちから持って行く予定です
飾る場所は今のところ教務所を予定しています。
教務所の前のバス停から見えるところに設置したら、バス停待ちの人が見てくれるかなと思いました。
飾る期間は6日~8日くらいでそれ以降は雨が降ってもいいようなとこに置ければなと、ここら辺は張崎さんなどと相談しながら考えようかと思います

08/03(水)
七夕の飾り場所ですが教務所を予定していましたが、Kさんがお話を通してくれて仙台市場(仙台駅西口Eビーンズ裏)で飾れるかもしれません
門徒さんのSさんという方がそこで八百屋をされていまして、住職のAさんを通してそこで飾らせてもらえないか交渉してくれました
詳しくは5日にお伺いして場所などの相談をする予定です

②話しは変わりますが、仙台の七夕といえばくす玉だろうということで家族総出で二個ほど作ってみました
片方には滋賀のHさんのを参考にBOPの文字を入れてみました
母親曰く「もう少し早く言ってくれれば、もっと作ってあげれたのに」と。
このくす玉二個に、早さきさんが作ってくれた飾りを飾り付けに使いたいと思います

③これが二体目です
BOPくす玉よりは一回り小ぶりです