2011年10月29日 牡鹿中学校の文化祭

さてさて、宮城県・石巻市にある牡鹿中学校へ行ってきました。

こちらを訪れるのは、9月の運動会以来の2度目となります。

今回は、中学校の文化祭です。

きょうは、以前、牡鹿半島の避難所で出会った中学生たちの晴れ舞台なのです。

へっへっへ、子どもたち元気にしてるかな。

そんな感じで前夜はひとりワクワクしていました。

朝9時ごろ中学校へ到着し車を降りると、先に到着してたA先輩がワタシに声をかけてきた。


Aさん: おはようピンコ、眠そうな顔してるね    ※ピンコ=ワタシ

ワタシ: いつもこんな顔です\(^o^)/


そんな短いあいさつを終えると、さっそく準備に取りかかる。

今回は、中学生に焼き鳥とワタアメの提供です。

美味くできるかな。。。

そうこうしてると、体育館に入場する中学生たちが続々と通り過ぎていく。


中学生1: お、今日は何すんの?

ワタシ: ワタアメと焼き鳥だよ(^-^)てか、ひさしぶりじゃね?以前会ったことあるよね?

中学生1: え~おぼえてないなあ

ワタシ: ちょwwまじかよorz


ガックリしながらも、ひたすら準備準備。


途中トイレに行きたくなり、校舎の中へ。

すると先ほどの中学生と、廊下でバッタリ会った。


中学生1: よお、ピンコ!

ワタシ: あれ?

中学生1: きょうは(来てくれて)どうもな!


なんだ、覚えてたのかよ\(^o^)/

思わず抱きしめたくなる。

反抗期も見方を変えればかわいいものですww


牡鹿中には、ワタシたち以外にもボランティア団体がいらっしゃっていました。

こんにちは、彼女たちに挨拶をする。

あれ?どこかでお会いしませんでしたか?

思わず口にしてしまった。

※これはけっしてナンパではありません。

そうです。ボランティアさんの1人が、

先日の牡鹿中大運動会で、一緒にリレーを走った方だったのです!

これにはお互いビックリ。

すごい偶然もあるもんだ。

しかも、みかんを食べてくださいと、4箱もみかんを頂いてしまった\(^o^)/

よくよく話を聞くと、彼女たちのスポンサーである南国フ●ルーツさんが

中学校の文化祭で、炊き出しに来ている他のボランティア団体に渡してください、との好意らしい。感謝感謝!


他にも、ブタの丸焼きを提供していた団体もありました。

コレね、ほんとにブタ1頭、まるまる焼いてるんですよ。

生まれて初めてみました。

物珍しそうに見てると、よかったら味見しませんか?(笑顔)

またまた頂戴しました<(_ _)>

ブタさん、すっごく美味しかったです\(^o^)/

そうそう、今回はワタシたち仙台仏青メンバーの他にも、助っ人が来てくれました。

某仮設住宅のBOPに行った際、文化祭に来れるメンバーが少ないんですよ~、なあんて話をした結果、助っ人を快諾して頂きました。ありがたい。


さてさて、すこし時間があったので体育館のなかに入り、中学生のよさこいソーラン節、合唱コンクールを見学する。

すると、避難所にて顔馴染みになった中学生の姿がちらほら見える。

ああ、彼女とは、けいおんのあずにゃんについて話したな。

お、彼とはB’zについて語ったな。

へっへっへ、あいつとはAKBの話で盛り上がったなあ。


そんなことを思い出しながら、彼らの笑顔、一生懸命な姿を前にして、

おもわず目頭が熱くなる。

ああ、今日はホント来てよかった。











2012年10月26日の活動報告62回BOP&63回BOP 掲示板より

参加メンバーは仙台仏青7名、センターのKさんです。
午前中のみYさんのお友だち3名が加勢してくれました。
今回は相馬の北飯渕にある仮設とと大野台の仮設に行ってきました
7時半に別院集合して積み込み。
8時に出発、到着は9時少し過ぎでした。まず相馬市市街地での活動になります。
到着後、念珠作りチームとバザーチームに分かれて行動。
仮設の集会場の一角を使って念珠つくりを、残りのスペースでバザーをします。
念珠作りは25人から30人くらいいたでしょうか。好評でした。
念珠作りの傍でバザー品を陳列するということで仮設の人の目に付きやすく
並べたものを広げて見る人もいました。同じスペースでの準備は難しそうです。
もしくはバザースペースに入らないように区切りを設けるなどの配慮が必要かなと思いました。

①バザー開始が10時35分。今回は1品50円。お一人様4品までということでしました。
下着肌着は3点で1品計算、衣類は2点で1品計算などルールを設けました。
またお会計の時に長崎から送ってもらった手紙もお配りしました。
バザーと念珠作りは並行してしていましたが11時半には終了し片付けへ。

12時過ぎには最初の場所を出発して一路山間部の仮設に向かいました。
13時前には到着して早速念珠作りの準備へ。今回も集会場をお借りします。
その一角で喫茶スペースを設けました。Yさんお手製のチャイや抹茶や羊羹、
お菓子などを準備しました。16時頃に念珠作りを終了して片付けへ。
喫茶の時にビデオ撮影を仮設の方にお願いして、その中のお一人が引き受けてくれることになりました。
そして念珠作り終了後撮影へ。福島の今をテーマにお話して頂きました。
Sさんが質問して仮設の方が答える形で撮りました。このビデオは教区の日に上映します。
そして何だかんだ仮設の方たちとお話ししていて仮設を出たのが18時くらいでした。
そして別院に到着、解散という流れでした。

②午前中の念珠作り風景です。

③午後の仮設の念珠作り風景です。


④喫茶なう。後ろでは抹茶を作っています。

たくさん念珠を作り満面の笑みの男の子。お母さんの手には積算線量計が。
この子も毎日、首からさげているそうです。























2011年10月25日 第61回BOPは、牡鹿半島の寄磯へ

寄磯へ何度も足を運んでくれているチーム高田が、足湯・喫茶・炊き出し(クリームシチューに焼売)を提供。
仙台仏青は、バザー(一品50円の数量限定有料)と焼き鳥の炊き出しでした。

高田の方々は、手慣れた感じで炊き出しの準備を、仙台仏青もバザーの準備に取り掛かります。
前回こちらでバザーをやった時に、あとから来た人に品物が残っていなかったり、不公平感がでたとのこと。
仮設住宅の方だけでなく、近隣の住民の方も共にこられるということで、それぞれ置かれている状況で想いも様々です。
些細なことで、摩擦が生じるのは色々な場所で見てきた光景です。
取りまとめして下さってる方と、相談した結果、屋外を会場に、くじで抽選して人数を区切って品物を選んでもらうことに。


バザー品を会場に陳列し、焼き鳥の準備に移行するが、恒例の忘れ物が発覚します。
200人分の焼き鳥を用意しないといけないのに、焼き網を半分忘れていました。
仕方ないので、少ない網で急いで焼きにかかります。

続々と、焼き鳥を待つ列が出来ていますが、いかんせん焼くスペースが足りなくてお待たせしてしまいます。
待っておられる方は、バザーのくじの話などをしているのですが、その中の一人は1番を引いたと興奮気味。
周りの方たちも、羨ましいと興奮しきり。私は80番だから、まだまだとふて腐れている方も。

しばらくすると、雨が降り出してきて、コンディションは最悪です。
あとから聞いたところバザー会場は、結局雨の為、みなさん一斉に入ってもらい、取り合いもあったようで、
不平不満の声が聞こえてきました。

品揃えを知っている私からすれば、特に高級な品があるわけでもなく、生活に必要なごく当たり前の物があるだけですが、
それに対して、そこまで必死にならなくても・・・と思ってしまうわけですが、結局それは満たされている者の意識であって、
それだけ、まだまだ当たり前の物が足りていない、ということの表れでもあるのでしょう。

今回は、焼き鳥の不手際も目立ち、列に並んでいるご婦人方の厳しい叱責とご指導を受けながら、針のむしろに座る思いでの
炊き出しとなりました。

ですが、素敵な再会もありました。
私は以前、まだ仮設もできていない頃に、こちらに足を運んでいました。
避難所でバザーをさせてもらい、その時の方が皆さん物がなく、本当にすごい勢いで物が無くなっていったのを覚えています。
その時に、お腹を抱えながら衛生用品を手に取っておられる方がいました。
もうすぐ臨月で、避難所生活の中、出産を迎えることになるとは思わなかったと笑っていました。
実は、私もその数日前に第二子が産まれたばかりでした。
震災が起きて、妊娠したなか過ごす日々が本当に過度のストレスを伴うことを、身を以て実感していたので、そんなことを
お互い話し合ったように思います。

その方が、赤ちゃんを抱いて焼き鳥をもらいに来てくれていました。

本当にたくさんの命が失われて、それでもまた新しい命が産まれてくる
理屈ではわかっていましたが、やはり実際に、新しい生命を目にすると堪らなく嬉しく、自然と前を向かされる気がします。


寒い中、たくさんお待たせしてしまいましたが、無事に提供を終え、例によって酒盛りへと
地元の方が、鮭のちゃんちゃん焼や、刺身を振舞って下さり、夜は更けていきました。





2011年10月20日の活動

買い出し。
河北町のお宅に、日用品を輸送。
山形教区青少年教化委員の方々と、河北~石巻バイパス仮設住宅~渡波~日和大橋~野蒜
を、視察。


今日は金額の大きなお買い物。
セールの一言で、元の値段からどんと変わる。
物の価値って。

それとは全く関係なく、今日は物資輸送と他教区の視察に同行。

避難所がほぼ閉鎖された今、被災して家を失った方は、
仮設住宅かアパートなり住宅に移り住んでいることになる。

「○○地区仮設住宅」と書いてあれば、そこは被災した方がまとまって住んでいるとわかる。
ボランティアもくるかもしれない。

では昔からあったような、一般のアパートや住宅に移り住んだ場合、どうなるのか。

被災している、あるいは○○がなくて困っている、そういう方がいることがわからなくなるのだろう。
今回伺った家は、普通の民家にしか見えない。

たまたま避難所にいた時に、たまたまお話をすることができ、
たまたま連絡先まで聞く機会があった。それだけのきっかけで訪問。

お届けしたのは要望のあった日用品。
普通に街で買えるものばかり。

こんなものをお願いしてすみませんねぇ、と言われていたが、値段が高かろうが安かろうが、
普通に生活に使うものが買いに行けないから困るということが多いのだろうと。

仮設もそうで、買い物に、病院に行くのに、公共の移動手段では不便な所が多い気がする。

車がないと、免許がないと生活にすぐ支障がでる場所。あえて言えば田舎。
便利な街の中に住みたくても、街の中に空いている物件がないと住めない。

こういう状況って、他にもまだまだありそうだと感じた今日の訪問でした。

その後は石巻、東松島を他教区の方々と視察。
たまに助手席から見ると、よく通っているはずな道でも細々目につく。

もうほとんど直ったと思っていた信号も、今新しいものを建てていたり。
被災した店が、色をなおして開いていたり。
あるいは取り壊された店の跡に、違う店が新しくできていたり。
震災後にできたお店が、もうつぶれていたり。

「仙石線を早急に復旧させよう」ののぼりが、野蒜駅にあった。
仙石線が復旧することがあっても、ここはもう駅にはなれない?らしい。

いまだ震災当時とあまり変わらないように見える駅周辺と、
新しい店がならぶ街中の時間のギャップが印象的だった。





2011年10月14日〜16日の活動

10/14(金)
前日から二本松で三条教区の皆さんが交流学習会を開催。
夏休み、北海道に子どもたちと行ったお母さんたちも参加しました。
①14日は福島の現状についての講義、仙台仏青会長の佐々木より。
その後、二班に分かれて座談会です。
高山、高岡からも来てくれていました。

午後からは仙台に移動して東北別院報恩講バザーの準備。

10/15(土)、16(日)
東北別院報恩講。15日には震災への追悼法要も勤まりました。
仮設住宅から来てくれたという方もおられました。

②仏青パネルも展示しました。

③陸前高田の松から作った念珠。


④メモリアルボードです。福井より。必要な方がおられれば無料で配ってくださいとのこと。本来透明なアクリル板がついていますが、この時はつけ忘れています。

⑤ラジオ出演中の会長の映像もみてもらいました。お茶飲みながら見る人や、立ち止まっていた人も。声にならない福島の声を聞いてほしい、と。










2011年10月11日〜13日の活動

10/11(火)
①京都の本山からお米3パレットが届きました。
一旦、今回の震災後に建てた仮倉庫にお米を運びいれます。
米と水、これからもまだまだ必要です。

10/12(水)
11、12は仙台教研。
御遠忌第一期中止の意味なども話あわれました。
中止にしたことに思っているより大きな意味があるんじゃないか、など。

②12の午後から仏青会議と並行して教区御遠忌委員会。
11月29日1時から東本願寺視聴覚ホールで「福島を生きる―いまそして これから―」を開催します。講師は神戸大学放射線計測学の山内知也さん。
福島の声を映像や、小丸洋子さん(福島県浪江町)と佐々木道範さん(福島県二本松市)の報告でお届けします。

10/13(木)
Iくんと石巻の平屋を借りられた方へ支援品お届け。
おとな用おむつLとLL、子供用おむつMとL、長くつ、ゴム手袋など。

自分の都合で仮設に入らなかったので、支援してほしいけどなかなか頼めないでいたそうです。
地元に遠慮の気持ちがあるが、町に近いとはいえ車もなく、知り合いもいないので話す相手もなかなかないとか。最近ようやく近所の人と話せるようになってきたと言っておられました。
「バザーやりましょうか」と言ったら、避難所にいた時最初は嬉しかったけど、わかっていてもルールが守れない、たくさん取ってしまう自分が嫌で申し訳なくてつらいのでバザーはしてほしくないと断われました。
その時のバザーは僕らがおこなったものです。申し訳ない、もっと持ち方を考えなくてはと思います。

その後、仮設へ頼まれた毛布などをお届けに行きました。
町に近い仮設と地元の仮設でも遠慮する気持ちがあるそうで、少しぎこちなく感じているそうです。なかなか地元に戻らなくなったとのことでした。

その後、牡鹿半島の二つの仮設へ頼まれていた靴とストーブをそれぞれ運びます。
ちょうどトラックで支援品を配っているところで、他の団体かと聞いてみたら地元の人たちでした。
日給が自治体から出て、各世帯へのお届けを担当しているとのこと。
他にも地元のボランティアで瓦礫や土砂の撤去などをされていました。
③写真は仮設の柵です。先月お彼岸の時の台風15号で流されました。







2011年10月10日 雄勝町水浜地区仮設で念珠作りをする

今日訪れたのは石巻市雄勝町水浜地区の仮設です。ここは以前に何度かお邪魔したところです。今回は水浜地区の人たちと一緒に念珠を作りをしました。

メンバーは仙台仏青、チーム東京、東京の方のご家族の方も一緒に行きました。
チーム東京は名振経由で水浜に向かうため仙台仏青は11時に別院を出発しました。チーム東京は一昨日、昨日とお邪魔した名振で棚を造るとの事でしたので後で合流します。

12時くらいに休憩場所の道の駅、上品の郷に寄りました。雄勝町に行く時の休憩地点になっています。軽く食事を済ませ現地に向かおうかとしたときに聞き覚えがある声が・・・。なんと一昨日、昨日とお世話になった名振にいた青年が道の駅にいました。そして紹介されたのが道の駅の敷地内にある出店でした。そこは雄勝町支援チャリティーグッズを販売していました。聞くところによると避難所の方が作られた物を販売して、それを支援金として送るそうです。被災された青年に誘われては断るわけにもいかないので一枚Tシャツを買うことに。皆さんも上品の郷に寄られた際には是非見てみてください。

そんな出会いもありながらも一向は一路水浜に向かうことに。途中、時間に余裕があったので大川小学校を視察に行きました。大川小学校は全児童の7割近くが被害にあった学校でもあります。大川というだけあって目の前には大きな川、北上川が流れています。今は津波の被害で見る影もありませんが自然豊かなところだったのでしょう。今でも行方不明の生徒がいるそうです。数週間前にお邪魔した名振地区でもあるお父さんが数日前に大川小学校の女子生徒が陸に流れ着いたのを発見したと教えてくれたのをふと思い出しました。

残された人として行方不明というのが一番つらいそうです。ある方は「指一本でもいいから見つかって欲しい」というお話を聞きました。私には到底分からないことなんだろうけど、ある意味では踏ん切りが付けられない感情が残るんだろうと思います。指一本でも何か手がかりが見つかってくれればという言葉にすごい切実感を感じました。
大川小学校の風景や墓石に手向けられた花を見ると心が凹みました。あまりに惨い現実を突きつけられた様な気がしました。

ちょっとテンションが下がりながらも水浜地区の仮設に向かうことに。結局、予定より30分ほど早く到着しました。私たちが到着すると話を聞いていたからなのか少しずつ人が集まりだしたので開始することに。会長さんの配慮で多くの方に声をかけてくれたみたいで祝日ということもあり、たくさんの子どもたちが来てくれました。途中、チーム東京とも合流し一緒に念珠作りをしました。何回も作ったことのある人が多かったので結び方を含め一人で作っちゃう人も多かったです。時には仮設の人が仮設の人に教える場面もありコミュニティーの場なっていました。

16時には片付けが終わり、その後お茶を頂きながらお話をして水浜仮設を出たのが16時半。帰りの夕陽はすごい綺麗でした。

念珠作りだけなら短い時間でしかも少人数で活動できます。特に何回も念珠作りをしているところなら数人でもいけるんじゃないかという感じでした。人数が少ない時でもこの様な形ならば無理なく続けられるのかなと思います。これからの活動の幅がさらに広がった気がする活動になりました。





2011年10月9日 続・倉庫造っちゃうよ 完成編

名振二日目。今日で倉庫が完成する予定です。
参加メンバーは仙台仏青、支援センター、駐在、東京から二名、チーム谷大が二十四名で総勢三十二名になります。
朝6時半に別院に集合してまずはバザーの品物を積み込むことに。最近は専ら消耗品を持って行くことが多いです。車一杯に積みましたが人手があるためあっという間に終わりました。その後、準備を整えて別院を出発したのが7時。途中、道の駅で休憩を挟み一路雄勝町の町役場へ。そこからピストン輸送で名振に向かいます。名振に到着したのが9時半過ぎでした。今日は連休の中日でさらに松島でマラソン大会があり、下道が封鎖されると情報を得たんですが混雑もなく予定より早く着きました。

到着後、チーム倉庫班は現場に向かいます。チーム炊き出し班は炊き出し開始が12時ということもあり「時間的に余裕ですね」なんて話していましたが急に慌ただしくなりました。

名振コミュニティセンターの前には曹洞宗のお寺さんがあり、そこに物資が届いているそうです。それで代表の方にそれも一緒にバザーで陳列して欲しいと言われました。谷大生と段ボールの運搬をしましたが、最初は大した数では無いだろうと思っていました。しかし次から次と段ボールが。あっという間に山積みになりました。それに加えて以前に名振を訪れた縁で九州大谷短期大学の人たちが衣類を送ってました。それも一緒に並べさせてもらうことに。代表の方の考えで平等に配れない物は配らない方針だそうです。

ということで大量の衣類入りの段ボールは山積み状態に。バザーは15時開始予定で直前に並べようと思いましたが時間が間に合わないため急遽総出でバザー品を陳列することに。コミュニティセンターを半分に区切りバザーコーナーを作り並び始めました。並べてみると衣類とその他で9対1くらいの割合でありました。今までで一番多い様に思います。

余裕だった時間もあっという間に過ぎバザー品陳列と並行して炊き出しの準備に取りかかります。本日のメニューはタコの炊き込みご飯、焼き肉、野菜サラダになります。

炊き出しの提供スタートは12時。天気がいい昼間ということもあり海で仕事をしている人も多いせいか疎らな人数でした。またチーム倉庫班も12時過ぎに戻ってきました。この時点でほぼ完成ということで驚きです。

12時40分くらいに片づけを開始。チーム谷大が京都に帰るためには名振を13時頃には出なければいけないということで大急ぎで片づけをしてチーム谷大を見送りました。

その後は残ったメンバーで活動します。14時から念珠作りの予定でしたが13時半くらいには人が集まりだしたので始めちゃうことに。何度もここで念珠作りをしているせいか一人でできる人が多くなりました。

15時からバザー開始のため5分前くらいには念珠作りを中断してバザーの説明をしました。原則お一人様一種類に付き一品でお願いしていますが、今回衣類は他団体からの支援物資ということもあり必要枚数ということでお願いしました。

15時半過ぎて人が少なくなってきたので少しずつ片づけを始めることに。半分くらい衣類が無くなったとはいえたくさんの衣類が残りました。夕方までかかるのを覚悟してましたが名振の方達のお手伝いもあったおかげで17時前には積み込みが完了することに。

コミュニティセンターを後に完成され倉庫を見に行きました。落ちていた桧の板を使い、それにBOP君マークを描き倉庫に取り付けていました。ここでお父さんに倉庫の鍵を渡し無事に完了です。

その後代表の方に挨拶をして名振を後にしたのが17時半くらい。帰りに石巻市にある鹿又という地区の在宅避難者に約束していた物資をお届けしました。それから別院に到着したのが19時半くらい。帰るとちょうどお勤めをするところだったので仏青も一緒にお勤めすることに。お勤めの後、支援センターの方からプロジェクターで映像を見せてもらい法話がありました。その後、チーム谷大を見送り解散しました。


僕たちは被災地にいるので被災地からの目線でしか見れない部分があります。被災地外から見たら今の被災地はどの様に見えるのだろう。ひょっとしたらすでに復興しつつあるように思うかもしれない。また3月11日の衝撃も日々の生活で薄らいでいる部分もあるかもしれない。その小さな積み重なりが風化につながっていくのだろう。

確かに被災地は変わりつつあるように思う。避難所が解散して仮設に移り住む人が多いし、漁業も少しずつではあるが動き出しつつある。名振も例外ではない。だけど問題が無くなった分けではない。仮設に移り住むようになってから生まれた問題もあるし、漁業を再開する上での課題も山積している。またこれから仮設が解散した場合の住まいの問題も出てくるだろうし、海から放射能が検出されればたちまちに漁ができなくなる。短期的な問題と中長期的な問題を抱えている。そしてこれから何が問題になるか分からないのが現実です。

震災後、お父さんが初めて海に出たとき一番顔が生き生きしていたと嬉しそうにお話ししてくれたお母さんがいました。その一つ一つの喜びが希望につながるのかもしれません。そしてその希望が復興を後押ししているんだとふと思いました。




2011年10月8日 続・倉庫造っちゃうよ 着工編

 今回訪れたのは名振地区の仮設です。前回は倉庫建てをしましたが再度要望があり今回も二日の日程で建てちゃいます。名振には今は28世帯、54名の方が住んでいるそうです。
参加メンバーは仙台仏青、支援センター、東京から二名、チーム谷大が二十四名で総勢三十一名の大人数での活動になりました。

 朝6時半に別院に集合。前日に大工さんが問屋から資材を手配してくれてましたので、まずは資材の積み込みになります。積み込みの最中にチーム谷大が大型バスで到着。久しぶりに大谷大学のバスを見ました。

 準備が整った後は二手に分かれて行動しました。まずはチーム倉庫班が現地に向かいます。メンバーは仙台仏青二名にチーム谷大が八名。途中、夜の炊き出しに提供するアルコールなどを買って行きました。チーム倉庫班が名振に到着したのが11時半くらい。もうお昼目前なので大工さんととりあえず倉庫を建てるところに行き打ち合わせをします。ここは元々は納屋の有ったところで今回の津波で何も無くなってしまったところです。前回とは違って地盤がコンクリートのためそれを生かして設計することに。今回は正方形で八畳の倉庫を造ることになりました。

 打ち合わせが終わり軽く昼食を取ってから倉庫造りに移りました。前回は電気の供給が無いため全て加工が手作業になりました。それを踏まえて今回は発電器を持参。電気ノコギリで木材を切断していきます。木材を切る作業は大工さんがして、切った木材を組み立てる作業を谷大生が担当しました。電気工具のインパクトドライバーを使い、ビスで木材を留めていきます。初めての人も多く最初は手つきがたどたどしかったですが慣れてるのも時間の問題でした。大工さん曰く「主体的に動いてくれてたので加工以外はほとんど彼らがやってくれた」そうです。この日は倉庫の骨組みまで終わりました。

 一方、別働隊のチーム炊き出し班ですが午前中は別院に残り炊き出しの仕込みの作業をしました。今回の炊き出しのメニューはカレーライス、フランクフルト、野菜サラダになります。ジャガイモや人参の皮むきやキャベツやキュウリの千切りをしました。約100人分の炊き出しを作るために大量の仕込みになりました。

 仕込みが終わり別院を出発したのが11時半。大人数の移動なので谷大の大型バスも出動しました。が、問題が。この大型バスでは名振に行く途中の細い道が通れません。ということで事前に止まれる場所を探していました。それが雄勝町の役場になります。雄勝町の役場は津波の被害に遭い、今もこの施設は機能していません。今日、明日とここに停めさせてもらいました。ここから名振の仮設まではワゴン車でのピストン輸送になります。そんなこんなでチーム炊き出し班が現地に到着したのが14時くらいでした。

 15時から念珠作りを予定していましたが、14時からと間違って来てる人もいたので少し早くなりましたが開始することに。今回も名振コミュニティセンターをお借りしました。またそれと並行して炊き出しの準備にも取りかかります。三カ所に分かれての活動になりますが人手も多く助かりました。

 17時頃に念珠作りが終わりそれから急いで炊き出し提供場所の準備になります。また17時過ぎくらいにチーム倉庫班が作業を終え帰ってきました。倉庫依頼のお父さんから秋鮭を頂いたのでこれは後ほどボイル焼きにしておいしく頂きました。

 18時から炊き出しの提供予定でしたが、時間前に少しずつ人が集まってきたのでまずはアルコールやおつまみでお待ちいただくことに。提供時間になるとたくさんの人がお越しになりました。ある程度炊き出しの作業が終わると仮設の人たちに混じってカレーライスやアルコールを頂きました。

 21時から三陸自動車道が通行止めになるということでそれまでに大型バスは帰らなくてはいけません。ということで片づけは居残り班に任せて谷大生を中心に19時頃から名振を後にしました。残りのメンバーで後片づけをして、撤収したのが19時半くらいでした。
明日も引き続き倉庫造り、また炊き出しやバザーや念珠作りも予定しています。

 帰り際、名振で仲良くなった青年から「明日も来るなら日刊新聞とタバコを買ってきて」とお願いされました。名振の仮設から近くのお店まで買い物に行くにも40分ほどかかります。タバコ一つ買いに行くにも1時間半近くかかりますし、ガソリン代も馬鹿になりません。ある仮設では誰かが街に行くときにまとめて買い物を頼むと言っていた人もいました。被災地ではコンビニの建設の話をよく聞きます。津波の被害に遭いその周辺に買い物ができる場所が無くなったことと仮設に集団で住むことにより需要が見込めるからだそうです。しかし雄勝町では見たことはありません。建てる場所や仮設の人口など理由はあるんだろうと思いますが。今回の津波で過疎が進み、さらに不便になりました。また行政も見放してるんじゃないかってくらい対応が悪いです。雄勝町には二人の議員さんがいるんですが何もしてくれないとある人は嘆いていました。誰を頼りにしたらいいのか分からないのが現状です。

 「自衛隊の人とボランティアの人には本当感謝している」名振の青年がふと呟いた言葉が心に残ります。また明日来ます。







2011年10月4日 福島県二本松市

毎年2回行っている仙台仏青座談会や森達也さんをお呼びしての研修会、
そして今回のお風呂活動BOPでおせわになりっぱなしのチーム二本松の地元。
いろいろに負けずお祭りです。

二本松提灯祭り。
夕方、七つの町内が集まって出発式です。祭り自体は朝7時すぎからやってます。
提灯やはっぴ、手ぬぐいの模様も町内ごと。毎年10月の4、5、6日

たくさんの人に会って飲みました。小網倉や山下1小でお世話になったバーバーマンOさん、
仙台の大学にいるTくん兄弟は若連で参加。山車を押します。
いつも送り迎えしてくれてたご両親にもお会いしました。
お風呂用意してくれたMさん。K先生や、岐阜に行った高校生たちにも。東京ラガーチームも来てました。
我らが仏青会長やKさん、Wくん、Mくんは若連の歴代会長でサポート役。けっこう飲んでた。
Aくんは現役会長。お風呂、炊き出しで活躍のYくん、Sくん、Kくんも現役。
いつも賑やかで熱い二本松。
休日は子どもたちと福島を離れたり、家族は別の土地に移ったり、
町内で小学生の通学路を除染したり、NPOの放射能測定室をたちあげたりしています。
起こったことを戻すことはできないけれど、これからのための今に全力でぶつかっています。

僕は宮城。地震と津波、自宅と仮設、沿岸部と内陸、生産者と消費者、30km圏内と圏外、福島とそれ以外、行くと行かない人、声をあげる人と我慢する人、動く人と動けない人。
起きた事は同じ震災だけれど、状況が違うことで分断され、対立さえしているように感じています。
相変わらずどうすればいいかわからない。でも、この今を全力でいきたい。対立もしたくない。
お祭りを通して、そんな風に感じました。