2011年11月26日、28、29 掲示板より

11/26(土)
今日は11月29日京都東本願寺での「仙台教区の日」で使うSさんが作った資料の綴じ込みを、別院で行いました。
400部は、なかなかの分量でした。
中身は、たちあがれ自分のホームページに、仏青メンバーが寄稿したものを抜粋したものです。
寄稿した仏青メンバーは、全員分載っています。
いままでの活動のまとめ的なものとして、作成されました。

11/28(月)
京都入り。19時にホテルのロビーに集合。
仙台教区御遠忌委員会の皆さんと講師陣、助っ人の久留米の皆さん、仙台仏青の面々。
静岡からおまいりに来てたまたま同じホテルに泊まっていた専修学院卒業生仲間も。
大谷大学の学生さんたちも来てくれました。
簡単な自己紹介と29日の役割分担などを行いました。

11/29(火)
仙台教区御遠忌事業『福島を生きる いま そして これから』
於 真宗本廟視聴覚ホール

①当日は東本願寺の参拝接待所に9時集合。
向かう途中に白洲で大原中で活動してくれた青少幼年センターのIさんに遭遇。
そして阿弥陀堂前ではSさん率いる気仙組の団参の皆さんに。
やっぱり人が集まってきてます。

参拝接待所では、外で案内する用のプラカードやアンケートに使う鉛筆、
パネル展示用のボードなどをお借りしました。
ほぼ当日行って急にお願いする感じです。
動座式でお忙しい中ありがとうございました。
白洲で配布用のチラシ印刷までお願いしちゃいました。

いやーバタバタでした。
パネル展示用のボードについては一応事前にお願いしていたけれど、
どこにしまってあるか分からずに倉庫をはしごしてようやく発見しました。
パネルは能登から本山に仙台仏青宛で郵送されたものの、
どの部署にあるか当日までわからずヒヤヒヤでした。
展示できてよかった。ほんと。
前日の打ち合わせに集まってくれた皆さんがそれぞれ仲間を集めてくれました。
京都在住、Yさん、Nさん、Iさん。
「あれ?ドラムリールがないぞ」「あれ?先生の資料印刷できないぞ」
皆がいてくれなかったらホントに危なかった。

②たくさんの方が駆けつけてくれました。
仏青同盟や全国の仏青の皆さんや、有志会の人たち。
最初、おり込み業者に断られた新聞広告も最終的には2万部おり込むことができました。
京都新聞の記事を見てきてくださった方も。
入れ替わり立ち替わりだったので、満席にはならなかったけれど
400人入るホールにほぼ400人の方が来てくれました。

③小丸さん。
なぜ本当のことが教えてもらえなかったのか。
大切なあの時やあの場所に戻ることができるのだろうか。
来てくれて本当にありがたかった。お会いできて嬉しかったです。

④佐々木くん。
悪いのは誰、・・・誰、・・・誰なんすか?
ぼくだ。子どもたちに、ぼくがこの状況をつくったと教えられた、と。
最近粉ミルクのことでテレビや新聞で取り上げられているけれど、
メディアは大企業に対するスキャンダルの方向で持っていこうとすることが多いそうです。
でも農家のおじさんだって、企業だって普通に作ってるだけなんだもん。
放射能が降って来ちゃってるんだから、同じ被害者なんじゃないかって
この講演のときじゃないけど話していました。

山内さん。
2年、せめてセシウム134が半減する2年の間に
妊婦や子供たちを避難させて、除染をすすめられないか。
屋根を取り換えることで劇的に除染が進む。
講演後、大谷婦人会館に移って座談会。参加はなんと80人くらい。
お寺関係に限らず、様々な方が来てくれました。福島出身の方の参加も。
客観的な数字を出せる民間にホールボディカウンターがあれば、行政も動かざるを得なくなる。
仮に真宗大谷派に機械が持てるなら非常に画期的なことですよ。

























2011年11月24日 雄勝にて

24日、雄勝に物資を持っていったので報告

①19日の時に調味料と日常用品が不足しているというお話を聞いたので
今日持って行きました。調味料は事前に調達しました。
日常用品は教務所にある物を持って行きました。
ただシャンプーや洗剤などが全然無く買い足す時間も無かったので
後日持って行こうかと思います。

需要物資も少し変わり始めてきました。
毛布や暖房器具は水浜では足りているそうです。
19日に東松島に行った時も集会場に僕たちの持って行った毛布がまだありました。
足りないとこはまだあるんでしょうがピークは越えたように思います。
需要があると感じているのは調味料関係です。いくつかの場所で言われました。
中々値段がかさむのでバザーの時も少ししか購入していませんでしたが人気はあると思います。
後、これも需要があると思うのは灯油。
この浜には茨城の方が灯油式のファンヒーターを送っています。
浜で聞いたら一週間に一回は灯油屋さんが来てくれて補給してくれるとの事。
だけど移動販売なので値段も高いのが予想されるので何とかならないかなと。
ただ大量の灯油を運ぶためには危険物取り扱いの資格がいるとかどうとか。
そもそも危険かもしれないけど何かアイディアがあれば是非。

雄勝で聞いたんですが、茨城の方が浜で新年会をするそうです。
僕たちも忘年会、新年会と銘打ってどこかで活動するのも面白いかもと思いました。
もちろん仏青の坊念会とは別にで。

ふと思ったのは年賀状。
色々と協力してくれてる方たちにお礼とこれからもよろしくの意を込めて
送ってもありかなと思いました。
子育てセンターのようなお世話になった方たちにもどうでしょうか。
避難所になっていたお寺さんとかもありかも。
これはグレーゾーンだけどお世話になっている仮設の人に年賀状はどうなのだろうなのかと。
個人で出すか仏青名で出すかもありますが。そもそも世間では喪中なので微妙ですが。
とりあえず年を跨ぐってのは一つの節目なので何か出来ないかなと思いました

②坂本龍一さんが関係しているデザイナーの方が造ってくれた机だそうです。
集会場で使われてました

③机の裏面にはルイヴィトンの文字が・・・。
これひょっとしてかなり高価なものなのかもしれません。










2011年11月23日 報恩講 

70回目のBOPはセンターのKさんと別院の列座さんと報恩講のお手伝い。
7時半に別院集合で発電機や水を積みこみ、お寺に到着が8時半。
10時の開式までに準備をします。
①まずは仮設トイレの前に手洗い場を。

②床の間に仏具をお荘厳しました。
この後、床の間上部にライトを設置、全体で3か所に照明をつけました。
石油ストーブは5つ。

9時半を過ぎると続々と門徒さんたちが来られました。
その様子を見て住職は「やっぱり集まりたいと思ってくれている、
ここにお寺が必要なんだ。できることがあるはずだ」と言っておられました。
③報恩講のお勤め、続いて今後の話し合いです。
おそらく一同に会したのは本当に久しぶりのことだろうと思います。
閉会後も皆さんそれぞれ話し込んでいました。

終了後、後片付けをして帰ってきました。
閉会の前に東北別院にある物資の説明をさせてもらったところ、
午後から何人か直接取りに来ることに。
この日、実は近くの市民センターでも仮設に入らなかった
住民の皆さんを対象に物資を見てもらう、というのをしていました。
門徒さんたちはそこに行った後で別院へ。
僕等がバザーをするといっても運べるのはほんの数種類です。
今くらい交通機関や移動手段などが落ち着いていて市内であれば、
こういう形でお渡しするのもいいなと思いました。今後相談してみましょう。





2011年11月21日 69.5回BOPin牡鹿半島

高田の活動にお邪魔した感じです。

昼前の用事を済ませてから移動、仮設に着いたのが3時過ぎでした。
①高田の皆は昼頃から足湯や喫茶などタープ5つをつなげた大テントの下、
ストーブ持ち込みでワイワイやってました。

②今回は仙台仏青1名なので活動はこれのみ。
仏青バッジ、ポストカード。福井の大工さん作成のメモリアルボード。
陸前高田の松で作った念珠。長崎から届いた子どもたちの手紙など。
念珠や手紙は全部持って行ってもらえました。バッジもだいぶ少なくなったかな。

寒い中のカキ鍋が美味かった。
今回はひさびさに何もしなくてい・・・手があいていたので
心おきなくおばちゃんたちと話し(柿の焼酎漬けの仕方なども)、
子どもたちに遊んでもらいました。

牛乳「まきばの恵み」が読めない低学年と幼稚園かな?の女の子たち、
「まきばのしみ」「まきばのひとみ」「まきばのこうみ」と繰り返すうちに
だんだん楽しくなってきた様子、「あおみ」「しろみ」「あかみ」色シリーズ?
「かみ」「やみ」「いみ」二文字パターン。かなり盛り上がりました。

高学年の男の子たちはゲーム、ストーブでチョコレートをとかしたり
割りばし焦がしたりしてた。
最近のゲーム機は歌もダウンロードできるらしく、いっしょにけっこう歌いました。
なぜか「なごり雪」も。

談話室では男衆が手拍子で浜歌を。
新潟の人はもちろん秋田からの助っ人も言葉が聞き取れなかったそう。
宴会は9時頃に終了して、それぞれマッサージの約束したところや、
酔ったおじさんを送っていったりとか、自分の部屋に誘ってくれた人について行ったりしてばらばらに。
一緒について行ったら、ひとんちのコタツに入るなり爆睡する人が!?
この人、結局朝まで爆睡でした。いい感じです。

1人を除いては談話室に戻ってこれたので、それぞれ寝袋にくるまって就寝。
③朝ご飯とほたて汁をご馳走になってから、テントや道具などを撤収。
チーム高田と別れました。二本松に寄っていくそう。
こちらは京都から送ってくれているコタツ用に毛布を積んできたので
ここで半分降ろし、もう半分を旧大原中にお届け。
牡鹿半島の西側をまわって帰りました。









2011年11月19日 東松島市月浜地区で網を分別する作業と雄勝町水浜地区に視察に行く

以前に月浜に訪れた時にお手伝いをした海苔の養殖に使っていた網を分別する作業をしに再び訪れました。

参加メンバーは仙台仏青と東京から来たミュージシャンの方たち総勢7名での活動になります。

8時半に別院に集合して軽く積み込みをしてからの出発になりました。到着が10時過ぎくらいでした。いつもの駐車場には大型バスやマイクロバスなどが停まっていました。見てみるとボランティアの御一行の様です。土曜日ということもあってたくさんのボランティアさんが月浜で活動されていました。

今回お手伝いするのは海苔の養殖に使う道具の分別作業です。これは鉄と網でできているのですが、津波で使い物にならなくなってしまいました。しかし、網の部分は処分しますが鉄の部分は溶かして再利用できるみたいですので、この網と鉄を分別します。作業自体は至って簡単ですが、その量はめちゃめちゃ多いのです。人手がいる作業でした。早速仕事場に行くと既に作業に取り掛かっていました。私たち以外にもボランティアグループがいて一緒に作業をしていました。聞くところによると東京、神奈川から来ている『サポートチームG』という有志のボランティアグループです。中には小学生くらいの子どももお手伝いしていました。どうやら親子で参加されているそうです。


この地区は40世帯くらいあるみたいですが37世帯が津波の被害にあっています。養殖の道具が流されなかっただけまだいい方で中にはすべて持っていかれるケースもあったそうです。

曇天の中、雨が心配していましたが午前中はもってくれました。作業の方も12時を回った辺りで無事に終わりました。この作業だけで一週間くらいかかったそうです。これから寒くなる前に終わってよかったです。

昼食を集会場で済ませ午後の活動になりましたが、予想以上に分別の作業が早く終わってしまいました。なので急遽雄勝町水浜に行くことにしました。途中、門脇小学校や日和大橋や女川町内を視察しながら向かうことに。水浜に到着したのが15時半くらいでした。物資の鹿児島から届いたサツマイモを届け一時間以上お茶のみ話をして、水浜を出たのが17時過ぎくらいでした。19時くらいに別院について荷物を片付けて解散しました。

今回の活動ではたくさんのボランティアの方たちとお会いしました。下は小学生くらいの年齢から上は還暦を迎えたであろう年配の人もいらっしゃいました。ボランティアの数が少なくなったという言葉が嘘かと思うくらい人が活動していました。しかし、その反面雄勝町の水浜ではほとんどボランティアの方を見かけません。月浜と水浜、ボランティア格差と言ってもいいのかもしれないけど現実は非常に厳しいのということを感じました。








2011年11月18日 68回BOPin仙台

沿岸部のお寺のお掃除です。
ライフラインは来ていません。掃除用の水や道具を持ち寄って集合。
チーム東京と仙台仏青、センターでの活動。
報恩講、東北別院で勤めてはどうか、という声もあった中で
「やっぱりここで勤めたい」「お寺でやるんだ」という総代さんたちの思いを受けて、
皆動き始めました。

①今まで半分以上埋まっていた石碑。
これから計画する共同墓地に使えないか検討中とのこと。

前回泥出しをさせてもらったのが4月の末。
今回入ってみて、当たり前かもしれないけど、あの時の翌日に来たぐらいの印象でした。
壁も床もあちこちまだ泥がついています。


②ブルーシートを敷いて別院から持ってきた椅子を並べていきます。


③弁当を食べて、最後の仕上げ。2時頃には終了できたんじゃないかな。
この地域、今月に入ってからの決定で居住が可能に変更されました。
地盤が下がっているので土盛りをしなくてはいけないなどの条件も幾つか。
まとめて土地を買い上げて集団で移転する予定で、家屋を壊してしまった人も多いとのこと。









2011年11月16日 石巻の河北町と雄勝に物資運び

16日に石巻の河北町と雄勝に物資を運んだのでご報告。

メンバーは仙台仏青4名です。
河北のお宅には蛍光灯やオムツLLや尿取りパットをお届け。
ようやく知りあいもできてきたそう。近所を散歩してみると、
仮設があったので話しかけてみたら、同じ雄勝の別の地域から
来ている人たちだったので、また話し相手ができたと喜んでおられました。

①雄勝の仮設には中古の自転車2台を届けました。
自転車を購入した自転車屋さん自身も自宅が名取の沿岸部で家がなく、
仮設から通っているとのこと。なかなか、地元に戻る気にならないと。
道具などいろいろサービスしてもらっちゃいました。

②佐世保カー内に2台の自転車を積みましたがぎゅうぎゅうでした。
ほんと狭かった。

③雄勝でも仮設に断熱材を取り付ける工事をしていました。
これで少しは寒さをしのげたらいいですね。

お茶をいただきながら、いろいろお話ししてきました。
女性陣は復興祭に出す商品の作成中。お喋りしながらの作業、いい感じです。
「ここは少し高台で間に木も多いので避難してきた人たちは直接、
家や船が津波にのまれるところを見ないですんだ。だからよかった。
見ていたら今も、もっと苦しんでいる」と。
船が一台も残っていなかったので、最初に北海道から寄付された船を
「希望」となづけて海の作業を皆で共同で行ったそうです。
手探りの普及作業の中、本当に希望だったとのこと。
現在はそれぞれ船を注文しているけれど、順番待ちでなかなか届かないとか。


④今年
は柿がたくさんなっているそうです。「塩でそだつのかねぇ?」という冗談も。
















2011年11月10日 67回BOPin盛岡 掲示板より

東日本大震災被災者支援チャリティ岩手公演にスタッフとして活動したので報告。
中国から江蘇省円演芸集団の人たちが来日しチャリティー講演がありました。

「九条の会」経由でMさんに話が来たみたいです。
①参加メンバーは仙台仏青5名、チーム久留米4名で行きました。
11時くらいに別院出発して岩手真宗会館に着いたのが14時半くらい。

そこで岩手グループと合流して会場のマリオスというところに移動しました。



②15時から全体の打ち合わせで担当の発表がありました。

チーム仙台仏青はホール入り口担当、

チーム久留米は会場内の案内担当になりました。

他にも色々な団体が入っていまして富士大学や

岩手大学の中国人中学生もたくさんいました。
17時半に入場開始、開演は18時半でした。

入場開始の際は数百人で長蛇の列ができました。

結局、入場者数はカウント数で1249人。

100人くらいの人がスタッフとして関わっていた模様。

売上金は経費を抜いて義援金として送られるそうです。
20時半に閉演してその後片付け。21時には解散になりました。

③パンフレットにチラシを差し込む作業中です。



④ホール入り口担当でしたが会場前には溢れんばかりの長蛇の列が。

入り口で「あなたは中国人?」と聞かれちゃいました。

いや、リーベン(日本人)ですから。



⑤一階の会場だけで900人もの人を収納可能みたいです。ちなみに三階まである建物です。

終了後の仙台仏青。






















2011年11月9日 沿岸部視察

東北別院~陸前高田本称寺~気仙沼~東北別院

本日は、支援センターが陸前高田のお寺さんに行くということで
早くも三日目に突入したチーム久留米も同行し、沿岸視察をすることに。
チーム久留米5名、センター2名と私で出発。
途中、花巻組のお2人と北上で合流し、陸前高田へ。

ちょうど紅葉真っ最中の道を抜けて高田に近づくと、
残骸の撤去が非常に進み仮設店舗が沿道に並んでいました。
前回きた時との景色のあまりの違いに驚きます。

まずはお寺さんの跡地へ。
ここで京都教区山城第二組の組・副組長さんのグループとも合流。
お寺を偲ぶ物は、土台の石しかありません・・・。
周囲の街だったところも残骸の撤去が進んだ結果、
土台や塀が姿を見せていました。
そのことでかえってここが家や建物だったのだ、
ということがはっきりわかるようになっていました。
見渡す限り続く家々の土台・・・。
ここはお寺の正面の細い道、入り口に掲示板があったなと。
次に仮本堂へと向かいます。若干山手に向かった所にありました。
プレハブ的な一間の建物がそうでした。
そこに寄贈されたお内仏、そして寺族の方の写真も置かれていました。
そして一同で勤行。
帰りに見ると、壁には被災前のお寺さんの写真がかけてありました。

ここで仙台組みとそれ以外に別れ、我々は45号線を一路南へ。
特盛であるという食堂が定休だったため、昼食の予定がやむなく通過。
気仙沼までずっと沿岸を見ていきます。通しての印象は、
残骸の撤去等の作業が非常に進んでいること。
どこでも重機が何台も動いているのを見た気がします。
これが石巻~牡鹿~雄勝周辺での、どこかでまとまって重機が動いているが、
それ以外は残骸はまだまだそのままという感じだったりするのに比べると早いように思います。
気仙沼市内では、仮設道路が変化していたりして若干迷ったり。
そして陸上に残っているあの漁船。
陸上にあるとなんて大きいのだろうと思います。
周りがきれいになっている分、これはどこから流れてきたの?
という疑問もでるほど違和感がある光景でした。
それでも港には、漁にでるとおぼしき漁船が並び、活気があります。
が、港とかさ上げされた道路をはさんだ反対側は、
水に浸かったままの壊れた市街地がここはそのままでした。

その後はなかなか交通量が多く、
渋滞気味な国道45号線を通って南三陸町役場へ。
庁舎跡前には花が供えられていました。
夕暮れ時、一人歩く警察官の方が。
?と思って見ていると、庁舎にお参りされていました。

東北別院に帰る頃は夜に。
帰りは沿岸部を通りましたが、延々と被災地が続きました。
改めて被害地域の広大さを感じます。





2011年11月8日 東松島市子育て支援センター&月浜へ!

 11月8日、午前は東松島市の子育て支援センターにて、念数作りのボランティア。午後からは月浜地区にて支援物資のお届けと念数作りをしにお邪魔しました。今回の助っ人はチーム久留米、富山、新潟、愛知、日本中からボランティアに駆けつけてくださいました!

 午前中、子育て支援センターでは、小さいお子さんがいるお母さんたちと、一緒に念数作りをしました。この施設は、子育てについての相談の場、子育てに関する情報を提供する場、親子のふれあいの場、親同士の交流・学習の場として、10年ほど前から開かれた施設。

 前回この場所で行った念数作りが大好評で、今回は二度目の訪問。センターの職員の方から要請があり、行ってまいりました!約10組ほどの子連れママ達が集まり、「おんぶ」についての講習を受けた後、実際にお子さんをおんぶしながらの念数作り。「家事と子育てに追われる日々だけど、たまにはこんな時間も大切ですよ。」と職員の方が話していたのが印象的でした。中には震災直後の出産を経験されたお母さんも。ストレスの多い日常を離れて、ママ友同士の楽しいひと時も、大切なこと。旦那さんとの問題や、子育ての様々な悩みも安心して語り合える場だなあと感じました。 

 帰り際、センターの職員の方からプレゼントが!実は前回この施設で念数作りをしたのですが、そこに参加していたお母さん達からのメッセージが!とても心の温まるメッセージをいただきました。

 午後からは月浜の仮設住宅へ。女性の皆さんを中心に、10人ほどの方々が集まりました。ボランティアで何度か訪れているため、中には前回作った念数を愛用してくださっている方もいました。「これは、ばあちゃんの分、おばちゃんの分も作らなきゃ!孫の分もね」と、せっせと作る方も!窓からのぞきにきたおじさんが「俺にはキラキラの星が付いだやつ作ってけろ!やっぱり派手なの付けないとな!!」と、豪快な笑顔。さすが漁師町。みなさん元気に明るく、こちらも一緒に大声で笑いながらのひと時でした。

 私事ですが、この日、京都から友人が訪ねてきてくれました。はるばる遠方から、こちらを気にかけて会いに来てくれる仲間がいること、嬉しすぎて言葉になりません。自分自身の日常のことに追われ、中々腹の底から笑い、腹の内を話すという機会が減っていた自分にとって本当に有難いひと時でした。月浜のボランティアの後、私は友人を連れて沿岸部へ。野蒜の海辺を歩きました。野蒜の遠浅に広がる静かな海が夕日に照らされ、美しく輝いていました。何事も無かったかのように。ただ、砂浜の所々に置かれている、瑞々しい花束と、背後に広がる今なお解体されずに残る家々が、未だに「復興」とは程遠い現実を訴えているように感じました。

 それでも、小さな繋がりが大きな力に繋がっていきます!少しずつだけど確実に。私に何ができるんだろ。何にもできないけど、笑顔を届けられるようになろう!改めてそう強く思えた一日でした。












2011年11月5日 南三陸町〜気仙沼

岡崎のMさんと南三陸町志津川へ。ベイサイドアリーナにも仮設ができていました。
ボラセンと役場も併設。お店群もアリーナからすぐ北に仮設店舗で展開しています。

①BOPP3号機(常設お風呂)は、現在倉庫として使われていました。
なんと、大人数で手で押して移動したそう。家の西側から北側に場所が移ってました。
残念ながら留守でしたが、電話でお話ししてきました。

②荒島。島の名前を教えてくれた道で会ったおばあちゃんは、
津波のことなどいろいろお話ししてくれたり、軍歌を歌ってくれたりして、
リポビタンDまでもらってしまいました。

③通りがかったおじさんによると、遠くに見える山の上の神社へ逃げて助かったそうです。
浜にいた人たちは駅の上から山に入って森の中を神社まで抜けたとのこと。
かなりの距離です。

④気仙沼、避難所になってテント村になっていたお寺は今は広々としてました。
中学校のグラウンドに大きな仮設ができて6月にそこに移ったそうです。
仮設の軒先での井戸端会議中にお邪魔しました。
子どもたちと再会できなかったのが残念でした。

⑤気仙沼市街地を抜けて一関から帰って来ました。
だいぶ建物がかたづけられていました。



2011年11月4日 物資のお届け

11/04(金)
岡崎のMさん、仙台仏青3名でお米、毛布、湯たんぽなどをお届け。

①ぎゅうぎゅうに詰め込んで出発です。
石巻市街地沿岸部のお寺さんによってお話しさせてもらいました。

女川の旧小学校で22世帯分、毛布、お米、湯たんぽをお届け。浜へ水を運びました。
以前、念珠作ってくれた人たちがお話ししてくれました。
せっかくなので避難所になっていたお寺にも。皆さんお元気そうでした。
その後、寄磯へ。前回聞きそびれてしまったので若い代表の方と連絡先を交換。
あわびのお仕事の話など聞かせてもらいました。
小網倉での活動の時に「うちにもきてほしい」と言っておられた他の浜の方を訪問。
仮設ではなく、自分でプレハブの家を仮に建てていました。他の自宅避難の方にも配ってくれるとのこと。
最後は河北町の部屋を借りている方へお米をお届け。ご夫婦で見送ってくれました。

②大原浜で夕日撮影。自転車とめたおじさんが「あと十分もしたら真っ赤になるぞ」って。
とても綺麗でした。